15話 王女と侍女
ファラムルの町に戻り、簡単に傷の手当てをしてからライカは王都へと戻った。
ダレスも一緒に戻りたそうにしていたが、平民の姿をしているライカと騎士団長が、共に行動するなど不自然極まりないため、彼は別行動となった。
もっとも、彼はファラムルにいる騎士に指示を出したり報告を受けたりせねばならなかったので、どちらにせよライカと行動を同じくすることは出来なかったのだが。
ファラムルを出て二度目の朝陽を身体に浴びるなか、王都の巨大な門をくぐる。正面に聳え立つ城は、朝靄に包まれながらもその存在感をはっきりと、見る人間全てに示していた。
畏敬の念と安心感を同時に与えてくれる。自分が在りたい場所はやはりここだと、改めて強く思う。
(ですが……)
今回の一件ではヴァイザ伯爵をはじめ、多くの死亡者が出た。原因の一端は間違いなくライカにある。何らかの処罰が下る可能性は十分過ぎるほどあった。
乗っていた馬をキールに返し、辻馬車で城に戻る。隅にある使用人用の通用門に身体を滑らせ、まだ誰もいない前庭を飛ぶように駆けた。
城内に入り隠し通路を通って自分の部屋に戻る。髪の染粉を落とし、服を着替えると、王都の鐘が朝二の刻を告げるなか、フェリシアの私室へと向かった。
部屋に辿り着き、扉を叩こうとしたライカの動きが止まる。彼女の手は小刻みに震えていた。
(緊張、している? 私が?)
『闇』にいたときも、城に来てからも、どんな危険な任務のときでさえ緊張したことなどなかったというのに。手を強く握りしめ、深く息を吸う。
(緊張する必要はない。事の顛末をありのまま話し、罰を受けるだけなのですから)
吐く息の中に、自身の本音を紛れ込ませ、ライカはそう自分に言い聞かせた。
「失礼致します」
扉を叩いてから開けて中に入る。もう手は震えてはいなかった。応接間を通り、寝室へと続く扉をもう一度叩くと、中から布が擦れる音が聞こえ、次いでフェリシアの声が聞こえた。
「おはようございます、姫様。ただいま戻りました」
「ライカなの!?」
先ほどよりも大きな衣擦れの音がして、勢いよく扉が内側から開かれる。現れたフェリシアは、飛びつかんばかりの勢いでライカに近づいた。
「良かった、無事だったのね。昨日、第二騎士が翼竜で戻ってきたのだけど、その報告をグレアス団長から聞いて心配していたのよ」
「ご心配をおかけいたしました」
深く頭を垂れる。
「何があったのか聞かせてくれるわね」
「はい、姫様」
顔を上げ、自分の主を見つめる。夜着姿でもフェリシアの気高いまでの美しさは変わらなかった。
フェリシアの着替えを手伝いながら、ファラムルでの出来事を話す。全てを話し終えると、ライカは跪いて処分が下されるのを待った。
「『闇』の生き残りとそれに従う男、セアルグとロウジュ、ね。そんな人間がバルドゥクにいるなんて、悪い予感しかしないわ。今回は防げたけれど、早急に何か手を打たないと本当に戦争になりかねない。ライカ、数日のうちに騎士団長と話し合うから、貴女も参加してね」
「……姫様」
白い糸で複雑な模様が施された深緑色のドレスに着替え、優雅に椅子に腰かけるフェリシア。普通に会話を続ける彼女に、ライカは躊躇いがちに口を開いた。
「どうかした?」
「私に処分を下されないのですか」
「処分? どうして?」
フェリシアは心底不思議そうに首を傾げる。彼女の黄金の髪が、ふわりと揺れた。
「ヴァイザ家の者が殺害されたことも、その犯人を取り逃がしたことも、全て私の失態でございます」
視線を床に向けたまま事実を述べると、上から呆れたような溜息が聞こえてきた。
「姫様?」
驚いて顔を上げると、フェリシアは優美な眉を下げて本当に呆れた顔をしていた。
「そんな理由で貴女を罰したりしないわ。ヴァイザ家は……言い方は悪いけれど自業自得だわ。欲に駆られてバルドゥクの難民を殺めようとするなど、ローディスの貴族として、いえ一人の人間として恥ずべき行為よ。もし生きていたとしても、厳罰が言い渡されていたでしょう。犯人を逃してしまったのは残念だけれど、でもファラムルにいた人たちは誰一人死ななかった。これのどこに貴女に罰を下す必要があるの」
「ですが――」
反論しようとするライカを手で制し、王女はさらに言葉を紡ぐ。
「何より、貴女を罰してしまったら私が困るもの。貴女にはこれから先もずっと、私の傍にいて欲しいのよ、ライカ」
そう言って笑みを浮かべるフェリシアにとって、ライカは信頼出来る侍女であり、親友でもあった。
『戦の護』は生涯一人身を貫かなくてはならず、恋愛も禁じられている。政治目的で利用されたりすることを防ぐため、普段より接触できる人間も限られている。そんな中で、ライカやマール、エルは最早なくてはならない存在なのだ。
「私は……いえ、私の望みも姫様のお傍に在ることでございます」
嘘偽りのない心でライカは主の想いに応える。胸の奥で確かな喜びを感じた。
「ありがとう、ライカ」
嬉しそうに笑ってフェリシアは椅子から立ち上る。ライカもさっと立ち上り、彼女のために応接間に繋がる扉を開けた。
そろそろマールが来るころだ。
「でも、好きな人が出来たら隠さず教えてね。さすがに恋人との逢瀬を邪魔するほど野暮じゃないわ」
片眼を瞑って悪戯っぽい笑みを見せ、応接間の奥にある食堂に向かって歩いていくフェリシアに、咄嗟に返す言葉が出てこないライカだった。




