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緋の扉 改訂版  作者: 緋龍
明かされた真実
13/36

13話 過去

 建物の上から宙に身を躍らせる。三階ほどの高さから体勢を崩すことなく軽やかに地面に着地し、全力で駆け出した。男もすぐ後を追ってくる。町中で長時間戦えば、それだけ誰かに姿を見られる可能性が大きくなってしまう。巡回している第三騎士団はもちろんのこと、上空を旋回する第二騎士団にも気取られないよう、影から影に翔ぶように移動しながら町の外を目指した。

 通りの向かいの屋根の上からライカと男を見ていたダレスは、二人が似ていると感じた。ライカが髪を黒く染めていることもあるが、それよりも二人が放つ気が酷似していた。表の人間にはけして出せない独特の気配。普段のライカはもっと透き通っていて清冽なそれなのに、あの男と対峙してから暗く濁ったものに変わっていった。他人を寄せ付けないほどの、深い闇。


「あの男は……あれが『闇』、なのか?」


 屋根から飛び降りて先ほどまでライカといた路地裏で一人呟く。

 十年前に当時の騎士団が殲滅した犯罪集団。騎士団にも少なくない犠牲者が出たと、団長になってから過去の事件の記録に眼を通したときに知った。

 国の大多数の人間に知られることなく、生まれ消えていった『闇』。

 ライカが『闇』の生き残りだと国王から聞かされて知ってはいたが、特に意識したことはなかった。

 冬の空に輝く月のように、美しいと誰もが思うのにけして誰も手に入れることが出来ない存在。フェリシアの後ろに控える姿も、騎士の間で戦う姿も、何度見ても見慣れることはない。会うたびに惹かれていく。この気持ちは彼女の過去などに左右されはしない。

 だが、彼女の暗く濁った気を肌で感じて、ダレスはこれ以上ないほどの隔たりを感じてしまった。『闇』にいたということがどういうことなのか、初めて理解出来た気がした。後を追いたい、追わなければならないのに、足が動かなかった。恐怖を感じたわけでも怖気づいたわけでもない。彼女にどう接すればいいのか、分からなかったのだ。


「俺は――」


 ダレスは血が出るほど強く拳を握り締めた。


 ファラムルの町を出て、さらにしばらく走ったところでライカは足を止めた。

 草が生えているだけの何もない真っ暗な平原。太陽の下では心安らぐ場所も、月が雲に隠れてしまった今はどことなく不気味に感じる。


「覚悟は出来たか」


 ライカの後をぴたりとついてきた男が口を開いた。相当な距離を移動したというのに息切れ一つしていない。ただ静かに佇んでいる……凄まじい殺気を放ちながら。


「ええ、出来ました……貴方を殺す覚悟が」


 氷よりも冷たい声でライカはそう答えると、男に向かって暗器を放った。かわされることを想定して暗器が男に届く前に、瞬時に間合いに詰め寄る。


「くっ」


 男はライカの繰り出した蹴りを腕で受け止めた。みしり、と骨が軋む音がする。

 殺すという言葉に偽りはなかった。フェリシアに仕えるようになってから十年、無益な殺生はしないと決めていたが、それを破ってでも殺さなければならないと感じた。

 あとから考えれば、男の放つどす黒い気に感化されていたのだろう。しかし、このときのライカは何かに操られるように一つのことで頭が埋め尽くされていた。殺されるから仕方なく、などではなく、ただ目の前の男を消去しなければならない。その思いでいっぱいだった。


「どうした。私を殺すのではなかったのか」


 纏う空気と同様に口調も変わる。いや、戻るといった方が正しいだろう。『闇』にいたときライカはずっとこんな話し方をしていた。今では変装しているときですらしないのに。

 男を殺すと決めたライカは強かった。反撃する隙を与えず、眼にも止まらぬ速さで攻撃を繰り出し続ける。男は攻撃を受け止めたりかわしてりして致命傷は避けていたが、小さな裂傷が身体中に作られていった。


「ちぃっ」


 接近戦は不利だと悟ったのか、男が大きく後ろに跳んでライカから距離をとった。さらに上に高く跳び、上空から複数の短剣を同時に放つ。


「芸がないな」


 飛んできた短剣を動くことなく暗器で弾いて地面に叩き落とす。すぐに次の攻撃がくるが、今度は地面ではなく上に弾いて自らも跳んだ。回転しながら上昇する短剣を空中で蹴る。短剣は避けきれなかった男の左肩にぐさりと刺さった。


「もう終わりか」


「……まだだ」


 短剣を引き抜くと、男は紫の瞳に憎悪を宿らせてライカを睨みつけた。殺気以外に初めて見せた感情だ。肩から流れる血が腕を伝い、指先からしたたりり落ちている。


「まだ終われない。あの人の、セアルグの望みを叶えるまでは!」


「なっ……んだと?」


 短剣を持った右手を振り上げて、一直線に男が向かってきた。かわすことなど造作もない単純な動き。だが、男の言葉に動揺したライカは、一瞬動くのが遅れた。身体を捻ったものの、間に合わずに短剣が右腕を掠める。切り裂かれた服の隙間から少なくない血が滲み出す。だが、痛みは全く感じない。


「セアルグ……兄さんが、生きてる……?」


 十年前のあの夜に自分を庇って騎士に斬られた、兄と呼び慕ったセアルグが生きているなど。そんなはずはない。

 血だまりに沈む彼の姿は今でも眼に焼きついている。あの状態で生き延びたというのか。

 あり得ない。……あり得ないが、男は間違いなくセアルグと言った。


 (本当に彼が生きていて、私の死を望んでいるのならば、私は……)


    

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