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緋の扉 改訂版  作者: 緋龍
明かされた真実
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12話 暗殺者

「どうしてこちらへ? 王都で何かあったのですか」


 月明りの届かない場所で、銀と黒の瞳が交差する。

 ライカとダレスは、目立たない狭い路地裏に移動していた。先客――数匹の猫――がライカたちを見て毛を逆立てて威嚇してきたが、ダレスが一睨みすると尻尾を巻いて逃げていった。


「お前のことが心配で」


「何か仰いましたか?」


 本心の呟きはあまりにも小さすぎて、幸か不幸かライカの耳には届かなかった。ダレスは軽く首を振って石壁に凭れかかる。


「いや……ファイザ伯爵の屋敷であるものを見つけた。私兵に宛がわれていたと思われる部屋に、血で描かれた印があった。何かが水面から牙の生えた口だけを出して、上から落ちてくる球体を食べようとしているような――」


「馬鹿な!」


 自分の言葉を遮って鋭い声を発したライカにダレスは驚いた。いつも冷静沈着なライカがこれほど感情を露わにするなど。気味の悪い印だと思ったが、よほど重要な意味があるらしい。ダレスは眉間に皺を寄せた。


「フェリシア様にご報告申し上げたときも、同じように驚いて動揺されていた。あの印は何なのだ。何を意味している」


 石壁から離れたダレスが眼の前に来て訊いてくるが、すぐに答えられないほどライカは動揺していた。頭の中に遠い過去の記憶が甦ってくる。

 毎日が赤い赤い血色に染まっていた日々。与えられた仕事をこなすことだけが唯一絶対だと信じていた日々。生きる目的も死ぬ目的もなく、閉ざされた世界でただ過ごしていただけの日々。けして許されない――罪の日々。


 (誰かが生き延びている……私は……)


 微かな狼の遠吠え。人が話し合っている声。翼竜が羽ばたく翼の音。そして、自分とダレスの呼吸する音。眼を閉じて聞こえてくる音を感じることで、ライカは冷静さを取り戻していった。静かに息を吐き出し頭を下げる。眼を向けるべきなのは、過去ではなく現在いまこの時なのだと自分に言い聞かせた。


「取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。ですが、今のお話でダレス様がファラムルに来られた理由が分かりました。姫様がめいを下されたのですね」


「そうだ」 


 確かにフェリシアの命でダレスはここにいる。しかし、もし命がなかったとしても自ら申し出て、この町に来ていただろう。何故かは分からないが、嫌な予感がした。そして、その予感は先ほど確信に変わった。


「ダレス様の仰った印、それは『闇』が使う印なのです。水面は死の世界、牙の生えた口は『闇』、球体は命。意味は――」


 突然頭上に現れた強い殺気に、ライカとダレスは同時に動いた。持っていた皮袋を投げ捨て、裏路地に置かれていた木箱に跳び乗り、さらに跳んで民家の屋根に着地する。二人の立っていた場所には月光を浴びて鈍く光る短剣が二本、深々と突き刺さっていた。ライカは隠し持っていた暗器を取り出し、ダレスも背中に背負っていた大剣を抜いた。


「どこにいる」


「通りの向かいの建物の上です。すぐに次の攻撃が……っ」


 言い終わらないうちに短剣が飛んできた。ダレスが大剣を盾のようにして短剣を弾く。その横をライカはすり抜け、助走をつけて暗殺者がいる少し離れた場所に向かって跳躍する。後ろから待てという声が聞こえたが、印の話を聞いて狙いは自分だと確信していたため、足を止めることはしなかった。

 着地する瞬間を狙って暗殺者が短剣を振りかざしてくる。それをぎりぎりのところでかわして、手首を掴んで自分の方に引き寄せる。暗殺者は態勢を崩しながらも身体を捻り、ライカの首を狙って蹴りを繰り出してきた。並大抵の人間では真似することの出来ない動き。

 掴んでいた手を放し、後ろに跳ぶ。建物の上という限られた場所の端と端で向かい合い、初めてライカは目の前にいる人物が若い男だということを知った。


「印は見たか」


 男が抑揚のない声で話す。高くもなく低くもない、“無”のような声。

  

「貴方は誰ですか」


 構えの姿勢はとっていないが、すぐに攻撃に移れるよう警戒しながら相手を観察する。

 黒い髪に宝石のような無機質な紫の瞳。年齢はおそらく自分よりも下。


 (『あそこ』には私よりも年下はいなかった。しかし、彼の動きは『闇』で教えられるものによく似ています。それに印のことも)


「あれを描いたのは貴方なのですか」


「意味は分かっているな」


 男は問いに答えようとしない。無造作に短剣をライカに向けたまま、まるで彼女の声が聞こえていないかのようだ。


「……裏切り者に死を」


 男を真っ直ぐ見据えて答える。印の持つ意味、それは『闇』を裏切った者に贈る死の宣告。裏切り者の身近にいる人間の血で描くことで、より恐怖を与える。ライカも数回描いたことがあった。最初のときは何度洗っても血の匂いが指にこびりついて取れない気がして、手の皮が剥けそうになるほど洗い続けた。二度目のときには何も感じなくなっていたが。


「『闇』を滅ぼした国に仕えるお前には死が相応しい。死ね……あの人もきっとそれを望んでいる」


 (あの人?)


 言い終わるのと同時に、眼にも止まらぬ速さで男が間合いに入ってきた。振り下ろされた短剣を暗器で受け止める。力でも武器でもライカの方が劣っているが、こんな状況には慣れている。重心を左にずらして力の流れを変え、男の背中に蹴りを入れた。


「私はまだ死を望んでいません」 

 

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