11話 国境沿いの町ファラムル
王都を出て翌日の夕方、空が闇に染まる少し前、ライカは国境沿いの町ファラムルに辿り着いた。
不穏な気配が漂っていないか、神経を研ぎ澄ませて確認しながら町の中を歩く。馬は町の外に置いてきていた。乗ったまま町に入れば目立つからだ。
人通りはそれほど多くはないが、酒場からは喧騒が聞こえてくる。何かが起こっているような雰囲気は感じられない。
(私がここ来る前に何かが起こっていれば、第二騎士団の翼竜が王都に向かって飛んでいるはず)
王都からファラムルへ飛んでいく翼竜は見たが、その逆は見なかった。まだ何も起こっていないと判断しても問題ないだろう。
もちろん、騎士が気づいていないだけという可能性もある。油断はできない。
すれ違う人々に不審なところはないか、細心の注意を払いながらライカは通りを歩いた。
半刻ほど経っただろうか。すでに辺りは完全に闇に包まれている。通りをたまに馬車が走るくらいで、人影はほとんどない。
町の住民は皆、家に帰ったかもしくは酒場で騒いでいるかのどちらかだろう。ライカは通りの隅で立ち止まり、皮袋から水筒を取り出して喉を潤した。
再び歩き始めてしばらくすると、細い十字路に差し掛かった。
さてどの道に行こうかと考えていると、黒い制服に白糸で『戦の護』の紋章が描かれた制服に身を包んだ騎士が右の路地から姿を現した。白い紋章は第三騎士の証。第一ならば赤、第二ならば青と、紋章の色でその騎士がどこに所属しているのかがひと目で分かるようになっている。
隠しているようだが、緊張しているのが顔から見て取れた。
(さりげなく警戒しているようですが、相手は私と同等、もしくは私以上の腕の持ち主。果たしてどれほどの効果が望めるのか……せめて誰を狙っているのかが分かればよいのですが)
ヴァイザ伯爵はバルドゥクからの難民の虐殺を指示されていた。だが、本当の狙いは特定の人物の殺害で、虐殺は撹乱が目的。
ライカが読んだ、バルドゥクの貴族が書いたと思われる文からは、そんな本音が滲み出ていた。
ヴァイザ伯爵はこれに気づいていたのだろうか。死んでしまった今となっては知る術はないが、おそらく知らされていなかったに違いない。
もし全てを明かすつもりであれば、文面はもっと異なっていたはずだ。誰かに見られた場合のことを考えて具体的な内容を記さなかったとも考えられるが、難民の殺害についてははっきりと記されていたため、それは考え難い。
つまり、ヴァイザ伯爵は使い捨ての駒として利用される……はずだった。ライカが屋敷に侵入しなければ。
「すみません、一人でどちらに?」
自分の失態を思い返していると、騎士がライカを呼び止めて話しかけてきた。
物腰やわらかな態度。基本的に騎士が犯罪者以外の人間に対して威圧的な態度を取ることはない。騎士団に入ると、民には礼を持って接しよと教えられるからだ。
「これは騎士様、ご苦労様です。今から知り合いを訪ねるところです」
軽く頭を下げてから声を低くして答える。近づいてきた騎士はライカの顔を間近に見て驚いた表情になった。心なしか顔が赤く染まったようにも見える。
自分の容姿に無頓着なライカは気付いていないが、男装していても彼女の美しさは変わらない。眼の前の騎士のような反応をされることは珍しくなかった。
「こんな遅くにですか?」
「はい。本当はもっと早く着く予定だったのですが、忘れ物をしたことに気付いて取りに戻ったものですから」
身体を動かして肩に担いでいた皮袋を騎士に見せた。
「そうですか。では私がご友人のお宅へお送りしましょう。夜の一人歩きは危険ですので」
騎士は一つ頷くと、にこやかに言った。思いもよらない提案に今度はライカが驚く。
「いえ、そんな。騎士様のお手を煩わせるわけには」
当然、一緒に来てもらうわけにはいかない。ライカは不自然に見えない程度に慌てた様子を装い、断りの言葉を口にした。
しかし、騎士は引かなかった。純粋にライカを心配してのことなのだろうが、一人で動きたい彼女にとって騎士の好意は迷惑以外の何ものでもない。
どうやって彼に巡回に戻ってもらおうか思考を巡らせていると、ここにいるはずのない人間の声が騎士の後ろから聞こえてきた。
「サーゲイト、何をしている」
抑揚のない低い声。サーゲイトと呼ばれた騎士は、大袈裟なほど身体をびくりと震わせた。そして、もの凄い速さで後ろを向くと、拳を左胸に打ち付けて敬礼した。
「ダッ、ダレス団長!」
そう、何故かダレスがいたのだ。
いま彼がここにいるということは、ヴァイザ伯爵家からフェリシアの許に行ったあと、すぐこの町に向かったことになる。ダレスの報告を待たずに王都を出たライカにとって、彼の登場はかなり予想外だった。
何故なら、第三騎士団長が王都を出るには『戦の護』、つまりフェリシアの許可が必要だからだ。
「巡回に戻れ」
「し、しかし彼を」
「俺が送る。任務を怠るな」
静かだが有無を言わせない力をもった声に加え、冷たい漆黒の瞳に睨まれたサーゲイトは、ダレスに反論しようとしたことを死ぬほど後悔した。
「はっ、畏まりました! 失礼します!」
もう一度敬礼したサーゲイトは、脱兎のごとく去っていった。もし暗殺者がいた場合、あれでは何かあると教えているようなものだ。
ライカは眉根を寄せて、走り去るサーゲイトの後ろ姿を見送った。




