10話 何でも屋
第二騎士団長の執務室に行き、グレアスに事情を説明して至急フェリシアの許に向かうよう要請すると、彼は美しい顔を僅かに顰めて、傍にいた年若い騎士に指示を出し、ライカと共に執務室を後にした。
一緒にフェリシアのところに行くのだと思ったらしいグレアスに、自分は別の用事があると言ってライカは自室に足を向ける。別れ際に「くれぐれも気を付けてください」と囁かれた。
手早く髪を黒く染め、服を着替える。靴の底や服の中に仕込んでいる、暗器と呼ばれる武器に問題がないことを確かめると、部屋を出て隠し通路に急いだ。
今は陽も高く、この時刻は通路の出口がある城の一番外側の庭園は一般に解放されている。ライカは庭園を散策に来た民を装い、堂々と城門をくぐって外に出た。
辻馬車を拾いキールがいる宿屋に向かう。途中、一日の真ん中を告げる昼二の鐘の音が聞こえてきた。
(国境沿いにあるファラムルに着くのはどんなに急いでも明日の夕方。間に合えばよいのですが)
伯爵家を襲撃した犯人がファラムルに向かったとするならば、明日の昼には着いているだろう。
目立つ昼間に人を殺すとは考え難い。夜を待って決行すると考えるのが自然だ。間に合うかどうか微妙なところだった。
「兄さん、着いたよ」
御者の声がして、馬車がゆっくりと止まる。ライカは馬車から降りて御者に金を払うと、眼の前にある『妖精の隠れ家』と書かれた看板が掲げてられている、三階建ての建物の中に足を踏み入れた。
大勢の人でごった返していて、食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。キールが店を構えている宿『妖精の隠れ家』は一階が食堂兼酒場となっていた。
ライカは一度も食べたことはなかったが、安くて美味しいと評判らしい。
空いている席を探す人の間をすり抜けて、ライカは一階の奥にある宿の受付に向かう。キールは受付の横で何でも屋をしているのだ。
マールによるとまあまあ繁盛しているとのことだった。
「キール」
受付の中で後ろを向いてなにやらごそごそ動いている人間に声をかける。声をかけられた人間は、ぱっと振り向くとライカの姿を見て破顔した。
明るい茶色の髪と眼をした、元気があり余っているといった感じの青年。彼がマールの双子の弟で、何でも屋を営んでいるキールだ。双子だけあってよく似た顔をしている。
受付には宿の人間はおらず、キール一人だった。
「ライカさんっ、待ってたっす!」
「キール、この姿のときはライルと呼んで下さいといつも言っているでしょう」
小さく溜息をついてキールを睨む。ライルはライカが使う偽名の一つだ。今の姿で名乗る必要があるときはライルで通している。
「あっ、そうでした。すいません、以後気をつけるっす」
キールは自分の頭を叩いてぺこりと頭を下げた。彼の「以後気をつける」はあまり信用できなかったりする。
しかし、何故か大事な場面で下手を打つことはないため、ライカも軽く注意するだけで本気で怒ったことは一度もなかった。
「お願いします。それで、準備は出来ていますか」
「はい、それはもうばっちりっす! ベルが文を持って来てからすぐ用意し始めたっすから」
自慢げに言ってキールは下に置いてあった皮袋を取り、どんと受付の台の上に置いた。
「相変わらずベルは優秀ですね」
袋を開けて中を見る。食料や水、馬用の岩塩などファラムルに行くのに必要なものが揃っていることを確認すると、ライカは頷いてキールに硬貨が入った小袋を渡した。
「ありがとうございますっ! って俺は優秀じゃないってことっすか!?」
嘆くキールにライカは嘆息する。ベルというのは双子がライカと出会う前から飼っている青耳兎のことだ。
その名の通り耳が青く、そして長い。体長より耳の方が長い。足が速く跳躍力も猫並にある。野生で警戒心が強く、人に懐くことは滅多にないのだが、ベルは双子にとても懐いていた。
王都の外に広がる平野で獣に食べられそうになっているところを助けたのだと、出会ってからしばらくしたときにマールが教えてくれた。
ベルは双子に助けられ、双子はライカに助けられ、ライカはフェリシアに助けられた。ベルは今、城にいるマールと城下にいるキールの連絡係となっている。大げさに言えば国を助けていると言えなくもない。
繋がりとは不思議なものだ。
「そうは言っていないでしょう。キールも優秀だと思っています。そうでなかったら、貴方に頼んだりしません」
肩を落としていたキールはライカの言葉で瞬く間に元気を取り戻した。取り戻し過ぎて今にも踊りだしそうな勢いだ。
「そうっすよね! 俺って優秀っすよね! 絶対マールより出来る自信あるっすもん! ライカさん、いつでも何でも言って下さいね。俺、何でもしますから! あ、馬のところに案内するっす」
鞍はもう付けてあるんですぐ乗れるっすよと言いながら受付を出て上機嫌で裏口に向かうキール。
よほどライカに優秀と言われたのが嬉しいらしい。今しがた呼び方を注意されたにも拘わらずライカと呼んでしまうほどの浮かれ具合だ。
(優秀なことには違いないのですけれど……)
少しおだて過ぎたかもしれないと、キールの後を追いながらライカは溜息を吐いた。