4、囚われ女王のためのパヴァーヌ
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五十嵐七枝は今、力いっぱい後悔している。
後悔しながら、どうにか逃げる術はないものかと、二日酔いで痛む頭をどうにか回転させようとした。その結果はじき出された結論は、「今はまだ無理だ」。
体力が回復するまでは待ったほうがいい。何より頭痛が治まらないことには、的確な判断ができそうにない。
しかし、どうしたものだろう。
両手は後ろ手のかたちで封じられ、パイプベッドの角の柱に繋がれている。拘束に使われているのは、感触や動かしたときの音などから判断すると、手錠らしい。恐らくは七枝自身の。
鍵は服の内ポケットあたりに入れてあった気がするが、奪われてしまっただろうか。
ますいことになった。幸い目や口は塞がれていないが、大して意味がないこともすぐにわかった。窓から見えるのは森か林のようだが、七枝の知る限り、S市のあたりでこういう光景が見られる場所といったら、湖の近くか山のあたりしかない。
前者は季節によっては観光客で賑わうが、今はオフシーズン。後者は観光客も地元民も決して寄りつかないエリア。要するに声を上げたところで無駄だ。
無駄な努力は好きじゃない。
七枝は部屋を見回した。ごくふつうの四角い洋部屋で、永いこと人が住んでいなかったのかフローリングの床には埃が分厚く積もっている。ベッドに積まれた布団からは黴の臭いがする。
室内は七枝を繋ぐベッドのほかに、箪笥や机などの色のあせた家具が幾つかある。必要そうなものがだいたい揃っているのだから、たぶん前の住民は独り暮らしだったのだろう。こんな辺鄙なところに、だ。
それから、扉の近くに人間がひとり佇んでいる。
七枝は彼を知っている。ここに七枝を連れ込んで監禁したのが彼だということも、もちろん知っている。
彼の名前は古田一十。
養父の著書である呪いの本を探して彷徨う青年だ。だがその本を持っている人間は、彼と接触すると死んでしまう。魚の妖怪に殺されてしまうのだ。
まさかねえ、と七枝は苦い笑みを浮かべた。
「木崎のバカが、遺留品リスト誤魔化したなぁあいつ」
一十もまた、困ったような笑みを浮かべた。
「刑事さん」
「なによ」
「井島刑事は、僕らの要求をのんでくれるかな」
「僕らの、とかいうんじゃない。私は酔ってて判断を誤ったのであって、あんたの計画に乗った訳じゃないんだからね」
「酔ってたのは免罪符にはならないよ」
一十はそう言って七枝に近付いた。本能的に身構えようとした七枝だが、がちゃりと手錠の鎖の音がして、両腕が封じられていたことを思い出す。舌うちをする。
一十は七枝の顔を覗きこむようにして言った。
「それにさ、あんた言ってたろ。井島刑事はきっと七枝さんを助けにきてくれるって……信じてるんだろ?」
「えー私そんなこと言った覚えありません」
「とかいって顔、赤いよ?」
「うっさい。呼ばれてるんでしょ、早く行きなさいよ」
若者に言葉で弄ばれてしまうなんて七枝らしくないにも程がある。一十はそういう意味ではいちばん嫌な相手だ。それも前に比べて扱い辛さが増している。
七枝は溜息をついた。
こいつにだけは、弱点を握られたくはなかったのに。
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