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9、ピアノソナタ第二番

 眼を開けるとそこは、山の中にある廃屋だった。どこにある山かは知らないが、とにかくそういう場所だ、ということだけ知っている。

 何度も何度も悪夢で見た場所だ。

 一度目は後輩がそこで死んだとき。二度目は月重湖でねじ曲げられて溺れたとき。そのあとも、繰り返し夢に見た。

 そのたびに聞いたあの幻聴が、今はもうない。

 井島は歩き出した。一階にいるようだったので、階段を塞いでいるビニルテープをのけて、上に向かう。前に来たときと少し状況や光景が違っているが、それは大した問題ではない。

 そうするべきなのだと、井島の本能は知っている。井島でなくともすべての人間は、ここへ辿りついたときそうする運命にある。

 そして井島は二階にあるほとんどの扉を無視して、いちばん奥の突き当たりにあるそれに手を伸ばした。

 扉の色は、……黒だ。

 ああ、と息を吐いた。前に来たときは二度とも白か、あるいは青だったはずだ。今度は黒か。それは正しい色なのだろうか?

 ここは性悪説の世界。

 そんな言葉が脳裏をよぎる。誰の科白かはわからない。

 諦めて扉を開く。


「……お久しぶり、です」


 部屋の主に挨拶をした。

 そこは、壁一面が真っ黒に塗りつぶされた部屋だ。井島も普段だったら不気味がって近付きさえしなかっただろう。

 そして、全身に漆黒を纏った女の子がひとり。革張りのロッキングチェアに腰掛けて、大切そうに一冊の本を抱えている。みどりの黒髪を揺らしながら、彼女は井島を見ないで、何も言わない。


「僕を覚えていますか」


 念のため尋ねてみると、彼女はけたけたと笑った。


『わたしはあなたそのものよ』


 それが彼女の答えだった。

 井島は納得した。今の井島の心にくすぶる、古田一十への恐怖や懐疑が、彼女を黒に染めたのだ。

 彼女は目に見えない、眼の見えない、鬼である。

 人の心に棲んでいて、隠れるものと書いて、おに、と読む存在。


「あなたに頼みたいことがあるんです」


 井島は一歩進んで、手にしていた二冊の本を差し出した。彼女はそれが見えないから、見ないから、空を見つめている。

 後ろで扉の閉まる音がした。井島の退路は塞がれた。

 それにも動じず、(おに)の少女の手をとって、本に触れさせる。


「これを預かってほしいんです。そんな長い期間にはならない。若い男の子が引き取りにきます」

『……それは、あなたの本心なのかしら』


 少女の言葉に井島は瞬きをした。彼女はもう、すべてを見抜いている。


「いいえ」


 そうだ、ここには性悪説しか存在しない。何かを偽る必要はもうないのだ。

 井島は続けた。


「彼を、殺してください」


 我ながら浅ましい答えだった。


『上出来だわ。……お帰り、そしてもう二度と来ないでしょう』

「……そうなることを、祈っています」


 扉が開く。

 井島はもう一度瞬きをした。部屋が光ったような気がして、いつの間にか壁の色は真っ白になっていた。


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