0、消失のプレリュード
*この作品はフィクションです。実在する個人団体地域その他とは一切関係ありません。
*全編付け焼刃の警察知識でお送りしています。
*シリーズと銘打っていますが、それぞれ独立した作品です。そのため設定は統一されておらず、前作と異なる設定や表現があります。
「さて、舞台装置は揃ったようだ」
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『消失のプレリュード』
水の冷たさに、幸和子はどきりとした。
きりきりと細い糸で皮膚を締め上げるような刺激。そしてそこにあるはずのものがない。
思わず手を動かしそうになるが、背を包む温もりが彼女をどうにか押し留めてくれた。幸和子を背後から守るように抱き締めている、夫の存在が。
大丈夫? 尋ねる声。
大丈夫。 それは返答というよりも、自分に言い聞かせるための言葉だった。
じっと水面を見つめていると、波紋はようやく静かになった。いつもより随分時間がかかった。それでも水底へと伸ばしている幸和子の手が、彼女の「鏡」に触れることはなかった。
触ることができない。そもそも見えない。
それが意味することはただひとつ。
幸和子は決心して手を引いた。指先は体温を取り戻そうとして真っ赤だが、もうそこに感覚は残っていない。ほんの少し痛みがあるかなきか、その程度。
どうしたの、と、心配そうな夫の声がする。
「明彦さん……私、やられてしまったみたい」
幸和子は答えた。自分でも不思議だったが、さほど動揺してはいなかった。
ただ、ほんとうに痛むのは、指より心のほうかもしれない。
鏡を、盗られた。
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