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当日、やたら立派な馬車が迎えに来た。馬車なんて初めてだわ、どっちの世界でも。
心配そうなブランとシュルツを軽くひとなでして、乗り込むと思わず唖然としてしまった。
…なんだ、これは。
馬車の中というより、小型の応接室。
ふかふかのソファにクッション。流石にテーブルはないけど、椅子と椅子の間は充分広く、優に5,6人は座れる造りになっている。
「これに一人で乗れ、と」
着替えや化粧なんかは領主館でやってくれるとの事だったので、着替えが入った包み一つ持ってきただけです。
こんな広いスペース必要ありません。いっその事、騎士さんの馬に同乗する程度で充分です。
広いスペースがあるのに隅っこに座ってしまうのは庶民の気質かもしれません。漸く付いたお屋敷で御者さんが扉を開けてくださったのですが、ちょっと驚いて――次いで一瞬下を向いて肩を震わせたのは気のせいではないと思います。
はっ。言葉使いまで妙な方向に走ってしまいそうになったわ。
裏口、というか勝手口で出迎えてくれたメイドさんに案内されて…案内されなきゃ迷うわね、広すぎて…入った部屋にまたのけぞる。
えーと、えーと、えーと。
案内してくれたメイドさんが去って軽く十数分。ただぼーっと立っているしかありませんでした。
コンコン。
びくぅ。
振り返ると、さっきのメイドさんとは別の女の子が私に気が付いて腰を折る。いや、なぜワタクシにっ!?
そのまま、じっとしているからクビを傾げてはっとする、もしや、これはギルドで習った、マナーの一つですかっ!?
「どうぞ、顔を上げてください」
おずおずと声を掛けると、明らかにほっとした様子でメイドさんが顔を上げる。ごめんなさい、あの体勢はきついですよね。
「失礼しました歌姫さま。本日お仕度とお世話をさせていただく、エイダと申します」
「リーリアです。よろしくお願いします」
慌てて頭を下げる。すると焦った様子で「どうか、お顔を上げてくださいっ」と返って来た。
思わずお互い顔を見合わせて笑いあう。うん、こんな感じのほうがよっぽど楽だ。
「え、とエイダさん」
「どうぞ、エイダとおよび下さい、リーリアさま」
「そんな、私のような者に尊称をつけないでください」
「いいえ、リーリアさまは御領主さまが招かれたお方、礼をつくすのが当然でございます」
慣れていないんです、しかも娘と年の変わらないお嬢さんに、こんな風に扱ってもらうなんて。いや、それ以前に領主さまのお屋敷で客室担当で働いているのなら、相応の身分だと思うんだよね。使用人の躾が行き届いているんだな、と感心してしまった。どんな立場であれ、ホスト側は招いた相手に最善を尽くす。案内してくれたメイドさんも、ここに連れてきてくれた御者さんも対応がとても丁寧だった事を思い出して納得する。それがこの領主のやり方を表しているのなら私が旅を始めるのに、この地を選んだレンやレギオンの気持ちがよく解る。
行き過ぎた過保護っぷりに母は涙が出てきますよ、息子たちや。
兎も角、ここは私が折れるしかないですね。
「あの、エイダ?御領主さまに招かれてはいますが、私はここに歌を歌いに来た者。このような立派なお部屋に通していただけるような身分ではないので、なにかの間違いではないのですか?」
「いいえ、リーリアさまのお部屋はここで間違いありませんわ」
まだ時間があるからと、軽食とお茶を用意してくれながら、エイダは笑顔を見せた。
そう、この部屋やたら広いのだ。ヘタすれば住んでいた家の一階半分は楽に入るんじゃないかと思うくらい。
ちなみに、二世帯住宅で6LDK+αの持ち家だったからね。田舎だから、これくらい普通だったけど、都会からきた友人は「なんつー広い家だ」って感心していたから。
貴賎を問わず、ってやつですか?獣人保護のお国柄だからね、流石っていえば、流石だよね。
とりあえず、仕度に当たってお風呂は一人で入らせてもらいました。いやいや、いくら自分の体じゃないとはいえ、恥ずかしいですよ、はい。
自分の体じゃない…か。
この姿形になって、一番初めに思ったことが、自分が来たことでリーリアという存在をどこかにやってしまったんじゃないかと、いうこと。
でも、それはレンとレギオンによって否定された。
元々、この世界にはリーリアという存在は無かったのだそうだ。それが、私という魂を引っ張り込んだ時点で、それが作り上げられてしまったのだ。
簡単に言ってしまえば、リーリアという存在はでっち上げられたモノ、だということだ。
旅の一座に拾われ、育てられた彼女は、当然どこの国においても出生証明は無い。これは、芸人にはよくあることで、国によっては「戸籍」なんてものも存在しない場所があるから、不思議でもなんでもない。
彼女が一人立ちする最大の理由になった一座の解散も、きちんと調べれば、抜けた花形役者も、病気になった親方という存在も無い。ただ、そういう理由があって解散した一座が居たという認識のみギルド側にあるだけなのだ。
ギルドもわざわざそんな事実確認はしないし、この世界ではたまに起こっていることなので、誰も不審に思わないらしい。
なんらかの力は働いているんだろうけれど、私も敢えて突っ込むことはしなかった。
そんなことをつらつらと考えている内に仕度が出来上がった。
いやー、エイダさん、貴女はプロです、凄いっす。
アクセサリーも何も持たない私に、笑顔で「ご心配なく」と言った通り。
髪には、どこで調達してきたのか、小ぶりの花が挿され、襟元は結った髪の毛の先を片側に下ろすことで寂しさをなくし。
化粧においては、向こうの世界で充分プロとしてやっていけますよ、的な腕前で。
鏡を見て、リーリアってこんな美人キャラだったんだ。と感心してしまった。
こんな風にやってもらって、何かお礼をと言ったら、「仕事ですから」と笑顔で返してくれた後、思い切ったように口にした台詞に私は笑顔を返した。
短くて良いから何か一曲、のリクエストに返したのは天空の城の主題歌。