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何か夢を見た気がするけど、綺麗さっぱり忘れてしまった。
ただ、目覚めてみて、何か胸の痞えが落ちたような、心残りが消えたような、そんなさっぱりとした気分になっていた。
昨夜、そのまま寝ちゃったので服がしわくちゃだ。レンたちが持たせてくれた荷物を開けると、着替えが一式と、下着が数枚、寝巻き代わりのワンピースのようなすとん、とした服が一枚。
とりあえず、顔を洗って着替える。洗濯は宿泊中なら有料で宿がやってくれる。ホテルのクリーニングサービスみたいなもの。もちろん、自分で洗い場を借りてやることも出来るけど、今回はやってもらおうと思い、下にもって行く。
「おや、やっと起きたね」
食堂へ行くと、女将さんが笑顔で迎えてくれた。「おはようございます」と声を掛けると、「もう、昼だよ」と笑いが返ってきた。
「昨夜はありがとうね。久しぶりにいいもの聴かせてもらったよ」
洗濯物を頼んでから、女将さんに言われるままに、食堂で座って待っていたら、スープとパン、サラダが添えられた魚が運ばれてきた。
「これは、私からのサービス」
内緒だよ、とウインクされて笑顔で礼を言う。時間外なのに申し訳ないと謝ると、昼の仕込みの最中だから大丈夫だとの事。この宿は、ご主人夫婦の他に、厨房と食堂に人が雇われていた。後、宿にも数人掃除や洗濯をする人たちが居る。
この世界でも、割と大きな宿に属する場所だった。
コンソメ風のスープに、白身の魚は塩コショウで味付けしたシンプルなもの。流石港町、新鮮な魚が美味しい。
ついてきたブランやシュルツも皿に薄く味がつけられたスープに煮込まれたくず肉が浮いたものを出してもらっている。
「さて、で、どうするね?酒場で歌った代金、現金がいいか、宿代として折半がいいか」
ご主人とアバウトな話しかしていなかったからなぁ。宿代チャラも魅力的だけど、ここのレベルの宿泊料み見合うかどうか謎だよねぇ。てか、実際の経理面は女将さんなのね、どこでも財布を握っているのは主婦だって事かしら。
「じゃあ、出演料ください。この町は初めてなので相場がよくわかりませんから、女将さんにお任せします」
「…そりゃあ構わないけど。いいのかい?」
言いたいことは何となく分かる。多分世間知らずだと思われているんだろうな。まぁ、確かにこっちの世界の事はよく解っていないのは確かだけど、この女将さんも確認する辺り人がいいと思う。黙って適当に相場以下のお金を支払うって事も可能なのに、それを躊躇うんだもんね。
「大丈夫です。それに宿の信用を落すような真似はなさらないでしょう?」
ちょっとばかり人の悪い笑顔を浮かべてみる。旅の芸人なのだ、それに見合う料金を出さないというのは、その宿の芸人に対する扱いと評価を意味する。下手なことをすれば、これからここで歌ったり演奏する芸人が居なくなる、ということだ。
もしくは、宿のレベルに満たない腕の持ち主しか寄らなくなる。
酒場を兼営している宿にとって、そこで落とされる利益は少なからずあるはずだ。人を集める腕の良い芸人が来なくなるというのは、相応の痛手になる。
「若いのに、色々慣れているねぇ」
昨夜と同じような言葉を、別の意味も含まれてしみじみと言われてしまった。…ええ、人生そこそこ歩んでいますから。
「じゃあ、これ。昨夜の分だよ」
予め用意していたのだろう。渡されたのは銀貨が10枚。だいたい、一枚1000円単位換算。こっちの相場としては破格の報酬だと思う。
「契約は10日間。今回のこれは契約金込みの値段だよ。後は一晩銀貨5枚、でどうだい?」
「充分です。っていうか、私のような駆け出しには過ぎた金額だと思うのですが」
日本人だな、我ながら。謙遜が美徳ってか?柄じゃないけど。
「いいんだよ。あんたのその外見も評価のうちさ。今夜辺り、耳にした若い連中がやってくるだろう。そいつらから元は取らせてもらうさ」
あはははは。もう、笑うしかない。オサスガ、しっかりしてらっしゃる。と、銀貨をもう三枚渡された。
「それで、市場でも回って、営業活動しておいで」
それも込みですか。この商魂の逞しさ。大阪商人レベルですね。…って、結構偏見はいっているけど。
「イッテキマス」
呆れた気配を隠そうともしない「お供」を連れて、宿を後にした。
<途中まではいい勝負だったのにな。惜しかったなお袋さま>
くつくつと笑いながら言うブランを睨みつけると、器用に肩に飛び乗ってきた。
【言葉が過ぎよう。あの女人にとってご母堂は娘のよな年頃なのだろう。故に自然扱いもそうなる】
娘、ねぇ。確かに小遣い渡して「いってらっしゃい」は良くやったけどさ。
(ここの、成人年齢は?)
<ん~、国によって多少の差はあるけど、シェロンは15じゃなかったかな?だから、お袋さまは充分成人だぜ?>
【ちなみに、平均の適齢期は18から25,6だ。安心めされよ】
何を安心するのかな?シュルツくん?
思考に出さず、笑顔だけで応えると、尻尾がたれて(いや、狼だから垂れているけど)肩を落す様がなんか可愛い。
<お袋さま…S?>
否定はしないわね。これもまた、笑顔のみで返すと、慌てて肩から降りていく。わかりやすい奴等。
(舞台衣装でも作ろうかな。でも、嵩張るのも嫌だしなぁ)
服地を扱っている店で立ち止まる。ちなみに裁縫の腕は底辺を張っているので、作ってもらうか既製服を買うしかないんだけどね。決して安くは無いんだよな。あくまで、ここの物価基準だけど。
「いらっしゃい。おや?昨夜ロイドのとこで歌っていたねーちゃんじゃないか?」
ロイド?ひょっとしたら、宿屋のご主人の事かな?聞いてみると。肯定の返事が返ってきた。
「俺も昨夜あそこにいたんだよ。今夜もまた歌うのかい?」
「はい、暫くあそこで歌わせていただきます。よろしかったら、聴きに来てください」
にっこりと笑顔で答えれば、店の親父の鼻の下がみるみる伸びていく。やれやれ、どこの世界も美人の若いねーちゃんには弱い男が多いってことかな?
しかし、それを利用しない手はない。どこかで<悪党>という思考が聞こえるが、あえて知らぬ振りをする。
「舞台衣装を作りたいんです。あまり嵩張らなくて、質のいい、お値打ちな布はありませんか?できれば仕立ててくださる方を紹介してくださると嬉しいんですが」
スマイルゼロ円。ただより高いものは無い、ですぜ、旦那。
値切ったわけでもないけど、かなりお安く一式用意できたのは、言うまでもない。