寄り道 シェロン 6
柔らかな声が辺りに響く。
彼女が歌うは別れの歌。
しかし、別れの中にも再会の希望を持たせるようなモノが多かった。
「あの歌が創られた場所は、春が別れの季節だ」
俺の疑問を感じ取ったのか、隣に居る男が薄く笑って教えてくれる。
「歌の中に出てくる『サクラ』というのは、花の名前だ。…この辺りで見かけることは無いが、樹に薄桃色の花を咲かせる」
散り際が見事で潔い花だとレイドルフは続ける。
「こんな歌ばかり選ぶのは、あいつらのせいだろうな」
視線の先を追って、思わず苦笑が洩れる。泣きじゃくるレーエンを抱き寄せ慰めているエルグの姿。
二人の部屋まで行ったリーリアは、只頭を下げた。言い訳もせず、一言「申し訳ありません」と深く頭を下げたのだ。
それだけで、エルグもレーエンも納得してしまった…納得せざるを得なかったのだ、一国の皇太子が彼女の保護を申し出たのだ、それ以上何もいえる訳は無い。彼らとて伊達に冒険者ギルドの特Aを持っているわけではないのだから。
俗に言う、最高級に属しているこの宿は、それに応じて客質も高い。当然色々な意味で目も耳も肥えている連中が何も言わず黙って聴いていることが、彼女の実力の高さを示していた。
「あれなら、宮廷歌人として十分やっていけるだろうな」
俺の言葉にレイが肩を竦めた。彼女にそれを納得させるのに一役買ったこの男。一瞬の視線の交わりの後、リーリアは溜息一つで首を縦に振った
昼間キャサリンが、俺とリーリアに間を揶揄したが、あれは動作を伴った相手の反応を読むだけのものだ。お茶を淹れながら、自分に視線を向けられれば、大体の意味合いは理解できる。
微かによぎった胸の痛みに自分自身を嗤う。決して恋愛感情ではないのだが、どこか独占欲にも似た感情。自分以上に相手のことを理解している存在に対する嫉妬、とは、我ながら度し難い。
「だが、シェードの王宮より、魔族の里のほうが護りは堅いんじゃないか?」
「…里は駄目だ。ヴィダが入り浸る」
「ヴィダが?」
思わぬ大物の名前に思わず目を見張る。ヴィダ…ヴィヴィディダという通り名を持つ魔族の長はあまりにも有名だ。
一部伝説とされてしまうほどに。
「名付け親だからな」
「ほう」
あのヴィダが名付け親なら魔族の知り合いが多いことも頷ける…しかし。
「彼女はレンが唯一認めた例外だ」
弾かれたように顔を上げた俺の視線の先には、苦笑する古い友人の姿がある。
「とはいえ、ヴィダの方からリーリアに接触することは許されていない…彼女が望んだときのみ、だが…あの性格だからな」
確かにと思う。他者に迷惑をかけることを極端に嫌う。かけられる迷惑は苦笑して受け入れるのに、呆れた奴だと何度旅の最中に思っただろう。
ふいに耳慣れぬ言葉が聞こえ、リーリアの方を見る。異国の言葉だろうか、静かに流れる旋律はどこか郷愁を誘った。
「…組曲『四季』、か」
「しかもわざわざ日本語で歌うか…らしい、といえば、らしい、な」
聞きなれない声に思わず身体が強張る。いくらリーリアに気を取られていたとはいえ、ここまで近くに来られるまで、その気配に気づけなかったなどと、傭兵失格も甚だしい。
蒼い瞳を持つ男は、カウンターに肘をかけ、俺の席の一つ向こう…レイドルフの横に立って視線をリーリアに向けていた。
「気に病むな、と言っても無理か。だが、こいつは『特別』だ。…見えるのは初めてだな、ウィン」
前半は俺に、後半は現れた男に向かってレイが言う。
「ああ、しかし日本語を解するとは思わなかったな」
その名に思い当たる節があった。リーリアの守護者の長。ヒトを生きたまま氷漬けにできるほどの実力の持ち主。レイが「特別」というのが良く分かった。
「アキから話は聞いていたが…成程な」
そう言って紡がれた名前に俺は目を見張る。それは初めてリーリアと出会った時に彼女の唇に浮かんだものと同じ「音」だった。
「その相手とも既知なのか?」
「既知、と言われると困るがな。実際あったことは無い、だが彼女の周囲ではよく知られた相手、と言っておこう」
「ウィン?」
不思議そうなレイの声に、男は喉で笑った。
「セリムの生みの親関係、といえば分かるか?」
暫く考え込んだレイドルフだったが、すぐに「ああ」と頷いた。一人蚊帳の外に置かれた気分ではあるが、訊くことを許さない気配が彼らから漂う。多分、それはリーリアの過去にも由来するのだろう。魔族の長を名付け親に持つほどの存在。
ならば、俺が踏み込んでいい事ではない。
「男を見る目、だけはいいんだよな」
面白そうに俺を見て言うウィンに同意を示すようにレイが笑う。
「惜しむらくは、恋情を抱かない、抱かせない相手しか関わらない、というところだろうな」
言いたいことは分かるが、俺に振るな。
翌日、カーマイン一行と共にリーリアは旅立った。