寄り道 シェロン 5
王子様ご一行は、お忍びという形で来ていらっしゃるので、落ち着いた先は高級宿でした。
そこには、すでにキャサリンが待っていて、少しふっくらしてきた体つきに思わず微笑んでしまった。と、いってもお腹が目立ってきた、というわけではなく、線が柔らかくなってきたといった方が正しい、かな?
エルグさんとレーエンさんは別室を与えられ、そこで休みようにと言われましたが、事実上ここでお別れと言われたようなものです。むっとしてはいましたが、流石に一国の王子や宰相補佐の奥方を前に言うこともできず、挨拶もそこそこに出ていかれました…もう一度、ちゃんとした挨拶ができるといいんだけどな、と考えつつ、貴賓室のソファに身を沈めます。
流石、一流。身体の沈み方が違います。浅からず深からず、程よいクッション具合はもう立ち上がるのが嫌になるほどの心地よさ…やっぱり、疲れているんだよな、色々と。
ソファの片方にはキャサリン、もう反対側にはカーマイン。しかも、この王子様、ソファに座るなりヒトの肩に頭を置くもんだから正直重い…さっきから、キャサリンとセレスから呆れたような視線を送られているけど、何処吹く風、って感じですな。
「しかし、殿下とリーリアが旧知の仲とは存じませんでした」
「だろうな、フランドルも知らぬことだ。私よりもセレスの既知、といった方が正しいが」
ほう、とウォルフさんが目を見開いて私たちの正面に座るセレスに視線を送る。しかし、同席を許されたにも関わらず立ったままとは…そんな律儀な性格でもないだろうし…警戒を解いていない、というところですかね?
「それでも、彼女は私にとってもかけがえの無い存在だ…断っておくが色恋沙汰ではないぞ」
ひっそりと殺気がどこからともなく漂ってきたので、慌てたようにカーマインは顔を起す。あー重かった。
「当たり前ですわ。殿下のような遊び人にリーリアを任せるようなことワタクシが許すとでもお思いですの?」
あはははは、キャサリンさん、笑っていらっしゃいますが目が怖いです。
「そなたたちの仕事は終了だ。…ああ、そうだウォルフ、客人が来ている」
目配せを近くの騎士さんに送ると、軽く頷いて部屋を出て行く。少しのどの渇きを覚えて、私は立ち上がった。
「リーリア?」
「申し訳ありません。お茶を淹れさせていただいてもよろしいでしょうか?」
はっとしたように慌てた騎士さんをセレスが手を上げ制した。キャサリンにごめんね、と通してもらいティセットに茶葉を入れる。いい香り、流石高級品がセットされていますな。
人数分…一応立ったままのウォルフさんや呼ばれているお客さんの分も数に入れセットする。心の中で数を数え、お茶を均等に入れる。
ウォルフさんにどうするか視線で問うと、テーブルにおいて置くように視線で返された。それを見て、キャサリンが意味ありげな顔をした。
「アイコンタクトですの?リーリアも隅におけませんわね」
「そりゃぁ、三ヶ月近く一緒に旅をしていましたからね。それくらいできるようになりますよ」
にっこり笑って切り返すと「つまらないですわ」と茶器を手にとって「美味しい」と褒めてくれた。口のおごった魔族からのOKなら問題はなさそうだ。セレスやカーマインからも同様の返事が返ってくる。
ノックの音が聞こえ、さっきの騎士さんが案内してきた人物を見て、思わず回れ右をしたくなった。
「レイ!レイドルフじゃないか」
「…げ」
ウォルフさんの嬉しそうな声に、少し驚いた。こいつを相手にそんな嬉しそうな声を出せるなんて、ホント大物ですね、旦那。
「…ようやくの出会いの第一声がそれか?リーリア」
「あー、うん、元気そうで…すね、レイ」
「気持ち悪い、普通に話せ」
薄い飴色の髪と、ブルーグレイの瞳を持った青年は心底嫌そうに私に向かって言う。
「相変わらずよね。でも、会えて嬉しいのは事実だわ。元気そうで何より」
「お前も健勝でなによりだ…ああ、気にするなウォルフ。こいつは魔族にやたら友人知人が多いだけのただの歌謡いだ」
「魔族に知り合いが多いだけで『只の』とは言わないと思うぞ、レイ」
レイ。レイドルフ。その名前からも分かると思うけど、有る意味レンの関連キャラであり、割と古い付き合いのキャラクターだ。
ヴィダがレンやレギオンを心酔して傍に仕えているキャラクターなら、彼は傍観者であり助言者の位置づけだった…最初は。
気が付いたら、辛口の罵詈雑言も平気なキャラになってしまったが。
脳内の遊びでも、言うことが人一倍きついキャラクターとして存在した。優しい奴なんだけどね、口が悪いだけで。
「まぁ、座れレイドルフ。それで、どうなった?」
「リーリアが巻き込まれた時点で魔族の動きは決まった。あとはこちらで引き受ける」
なんで、そこで私の名前が出てくるかな?一人掛け用のソファに腰を下ろすと、カーマインの不満そうな視線とぶつかったけど、知らない振りを決め込んだ。男の人の頭って重いんだもん。肩が凝りそうだから、ご遠慮させていただきますわ。
「何が起こっているのか訊いても構わないか?」
ウォルフさんの言葉に、腰を下ろしたレイは周囲を見回す。それに頷いて、セレスが騎士さんたちを下がらせた。いわゆる人払いってやつだ。ご丁寧に結界の魔法まで部屋に掛ける。しかも二重って、どんな機密事項ですか?
「馬鹿どもが、妖魔を使ってヒトを粛清しようが、何をしようが我らには関わりない。勝手にやってくれだが、リーリアが狙われているのなら話は別だ」
一旦言葉を切って、レイはお茶を口に含む。
「魔族が動く。妖魔は我々が始末しよう」
「レイ!」
思わず声を上げたけど、相手は冷静に私に視線を向ける。
「罪を犯す前に同族の手でレギオン様のところへ送るんだ。十分な慈悲だと思わないか?」
「…だ、けど」
子供たちが自らの手で堕ちた同族を手に掛ける…私が狙われている、ただそれだけの理由で。
「堕ちた同族よりお前のほうが大事だ。それともお前はあいつらに意思とは関係なく罪を犯させたいのか」
分かっている。理性では彼が正しいのだと、分かってはいる…けど。
「全てが終わるまで眠りに付かせる、という手もあるんだぞ?」
それは駄目だ。たとえどんな形にしろ、自分の目で確かめることはできなくても、終わった後に知ることだけはしてはいけない。
長いのか、短いのか分からない時間の後、ようやく搾り出した声は我ながら酷いものだった。
「…できるだけ、報告はしてね」
「こちらがしなくても、勝手にしてくれる目と耳を持っているだろう」
そうだね、と薄く笑う私に大きな手が乗せられた。顔を上げると、いつの間にか豹頭に変化したウォルフさんがそこにいた。
「何なら、慰めてやろうか?」
「結構ですっ!」
「まぁ、リーリアったら、何時の間に!?」
「キャシー!」
気を使われている…大事にされている。とても、有り難い事で、幸せな事なのだけれど。
それでも、胸に巣食った罪悪感はこの先自分が持っていくしかないのだ。