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数日後。
お三方曰く、ありとあらゆる「ツテ」を使い、旅支度が整った。驚いたことに私のドレスも数着新しく用意されたのだけど、これは子爵婦人である、キャサリンの口利きがあったらしい。「権力とはこう使うものですわ」と、にっこり微笑んだ彼女は、海千山千の貴族社会で生き抜いてきた逞しさを持っていた。
そんなある日、宿を訪ねてきた相手に私は苦笑を向けるしかなかった。手にした一通の手紙に目を通しため息をつくと、宿のご主人に許しを貰って、時間外の食堂の一角に腰を下ろした。
「兄上に聞いた…旅に出る、と」
また、情報が筒抜けですか?っていうか、どっから洩れた?いや、考えるほどのことでもないですね、やっぱり守秘義務を設定すべきだ、ギルド。
「あの男と一緒にいくのか?」
「はい」
にっこり笑顔で応じる。本当は他にも同行者はいるけど、わざわざ話すことでもないしね。
「愚かだと思うか?引導を渡されたのに、追う俺を?」
ずるい言い方をするとおもう。別に嫌っているわけじゃないから、こういう問い方をされると答えに困る。ここで「愚か」と言ってしまうには、彼とその周辺に関わりすぎてしまった。
「人が人を思うことを愚かしいとは思いません。与えてくださるお気持ちには感謝をいたします。しかし、私には受け入れる事ができません」
いや、この場合、はっきり「嫌い」と、言ってあげたほうが親切なんだろうか?
「あの男のせいか?」
あの男…多分ウォルフさんの事だろうな。まぁ、男と旅に出るって言ったら、そっち方向に結びつけるのも無理ないかな?でも冒険者ギルドの規律って結構厳しい。合意の下でなったとしても、違約金を取られる。勿論双方からだ。言い換えれば、依頼者は、契約金に加えて違約金を取られ、冒険者は報酬を貰えない上、違約金を取られるという、踏んだり蹴ったりの結果になるのだ。
ちなみに、黙っていれば解らない、という考えは持たないほうが身のため、とギルドのおねーさんが意味ありげに笑った事がある。レーエンさんに訊いたら「知らないほうがいいと思うよ…多分」と言われた。
まぁ、今回の場合、依頼者は別にいるようで…だから、皆非雇用者側だったりするけどね。
「ロウエンの騎士団にお戻りになられると、キャサリンさまのお手紙には書かれておりますが?」
とりあえず話を逸らしてみる。
「ああ、一兵卒からやり直して来い、と義姉上から言われた。戻る前にもう一度会って話したかったのだ」
正直一兵卒っていうのは無理な話だろうな、と内心思う。まぁ、降格とか何らかの処分はあるだろうけど。
「エイダによろしくお伝えください。騎士団の皆様にも」
では、と立ち上がって去ろうとして、ふいにその手を捕まれた。
「リーリア」
…いい加減にしろよ。喉まででかかった言葉を飲み込む。こんなイイオトコにここまで想われて、何故に?と声が聞こえてきそうだが何とか堪えてそちらに視線を向ける。
ああ、これは思慕の瞳だ。
ふいにそう思った。彼に感じていた違和感。それは恋するものの熱さではない、切なさを含む母を追う瞳。そういえば、幼い頃に両親を亡くし、兄と姉を親代わりに育ってきたとキャサリンが教えてくれたっけ。
だからといって、口説いている相手に向ける視線じゃないわな。本人無自覚だろうけど。
そこで、同時に気が付いてしまった。レンやレギオン、ブランやシュルツ、ヴィダやキャサリン。彼らに対して持っている「母親」としての気持ちが彼に…いや、彼だけじゃないな、きっとウォルフさんにもだろうけど、持てない。獣人は自分が設定した人種じゃないからだろうけど、同族にもとはね。笑えるわ。
このガキが。こうなると音叉を返却したことが悔やまれますな。ヴィダに出張らせれば一発で終わるのに。
「…いい加減になさい」
静かな、というより何か黒いものを背負っているような声が背後から聞こえてきた。振り向いた私の瞳に映ったのは、目の前の存在の義理の姉。
「キャサリン」
助かった。思わず大きく息を吐く。手が離されたことに気が付いて彼女の傍へといった。
「アナタ」
おや?いらしたんですか?閣下。なんて、いい加減私も失礼な奴だな。
『あの事を伝えたら離れなくなったんですの。ごめんなさい、おかぁさま、愚弟がご迷惑をおかけしました』
腕に手を置いて『声』を伝える彼女に小さく笑ってみせた。…やっぱり、この子は可愛いわ。大事な私の娘。
『ありがとうございます。私も大好きですわ、おかぁさま』
きゅ、っと一瞬手を強く握ってキャサリンは笑みを深くした。
「申し上げたはずですわね。リーリアの事は彼女たちが旅立ってから話すように、と。ワタクシの手紙も執事に預けたはず」
「…すまん。だが、キャシー」
「言い訳は結構ですわ。弟が可愛いのは結構ですが、その結果がこれでは、私フランドル公に顔向けができません」
おお、おっしゃいますねえ。この場合、全面的に悪いのは聞き分けの無いおぼっちゃまでしょうに。『そうですわね』と、笑うと彼女の視線は、義理の弟へと向けられた。
「確かに無理に諦める事は無い、と言いましたけどね」
おい、キャシーさん、そんなことをおっしゃったんですか?
「こうも言ったはずですわね。大人になれ、と。彼女を黙って包み込み護れる男になれ、と」
一生無理なんじゃないっすか?
ちなみにキャサリンとは手を握ったままなので、こっちの思考は洩れまくっておりますが。情けない顔をした彼女を周囲がどうとったのか、子爵閣下が大きく息を吐いて弟を見下ろす。
「キャシーの言う通り、彼女の情報をお前に与えたのは間違いだったようだな」
「兄上」
「お前とて多少魔力を持つ身。彼女の傍に居る者が何者か気づかなかったのか?そこまで目が曇ったか」
へ?と思って辺りを見ると、少し離れたところでウォルフさんが苦笑しているのが目に映った。…旦那、黙って見ていたんですね。お人が悪いですぜ。お礼は後できっちりさせていただきます。ってね。
「ウォルフ殿、だ。豹のウォルフ。名前だけならお前も知っておろう」
弾かれた様に、って表現を良く使うけど、きっとこういうことを言うんだ、って動きで、副隊長さんはウォルフさんの方に顔を向けた。
それ以前にご存知だったんですね閣下。結構あなどれねぇ。
「色々な面で鍛えなおす必要がありそうだな。…迷惑をかけた」
最後の言葉は私に向けてのものなので、腰を折り、頭を下げた。目下のものに謝る事ができる…素晴らしい美徳ですね。
さすが、キャサリンの旦那だわ。
『ありがとうございます』
いえいえ、どういたしまして、ってね。
一瞬、何か言いたげな視線を私に向けて、立ち上がった副隊長さんは軽く頭を下げると宿の外へと出て行った。
「ごめんなさいね、リーリア。…気をつけて」
「はい、キャサリンさまもご自愛ください」
笑って手を取ると、軽く背中に手を回した。
(体を大事にいい子を産んで頂戴)
『はい、おかぁさま』
笑顔を見せて、彼女は夫である子爵閣下に連れられ宿を出て行った。
あーやれやれ。