12
sideウォルフ
一瞬光に当たった「それ」を持っていたのが、子供だった為反応が鈍った。
軽い紐が切れる音と共に、目の前にいた少女に軽くぶつかりながら走り去っていく姿。結構な勢いだった為、ふらついたその身体を支えた。この都の闇は、あんな子供にまで広がりつつあるのかと胸が痛くなる。
事態に気がついたのか、少女と共にいた使い魔らしい動物が追いかけていこうとするが、それをとっさに停めて息を吐く彼女に声を掛けた。
振り返って口を開こうとした相手の瞳が大きく見開かれる。別に珍しい反応ではない。身体の一部を変化させて歩いていると物珍しげな視線に晒されることが多い。煩わしくはあるが、無益な争いを避ける有効な手段の一つでもあるため、仕方がない。…稀に、この姿故に余計な争いに出会うこともあるが。
しかし、少女の瞳の中に現れたのは、純粋な驚きと――何かを堪えるような悲哀に似た色。小さく紡がれた名は、自分の知らぬものであったが、彼女が自分の中に、他の誰かを見たことは確かだった。
口を開けば、キチンとした言葉使いと態度に、見た目より年が上なのかもしれないと思った。実際外見と実年齢が釣り合わない夫婦が友人にいる。――この後会う約束をしていたのだが――名を聞いて驚いた。彼女がステアの言っていた相手、歌謡いの「リーリア」偶然とはいえ、多少出来すぎ勘もあるが、縁などというものは、こんなものかもしれない、と感じ苦笑する。
王都に宿を取っていた俺に、わざわざ使い魔を飛ばしてきた古い友人は、知り合いから預かった相手が近々そちらに行くので、様子を知らせて欲しい、との事だった。
『厄介な相手に目を付けられたようでね』
そう言って、使い魔の口から出た相手の名を聞いて、さもありなん、と思ってしまった。好色で有名な男の名は、広く知れ渡っている。しかし、そちら方面以外は、それなりに有能な男なので強く言うものも居ない相手だった。
『それにもう一人…害にはならないと思うが、家がちょっとね』
告げられた相手を聞いて首を傾げる。俺の記憶違いで無ければ、少し離れた場所で要職についているはずだ。そんな俺の疑問を見越したように、使い魔はその理由を言葉にした。
「女一人のために辞職する、か。まぁ、元々望んで付いた職ではないらしいからな」
『まぁ、そっち本人はリーリィが上手くあしらっているから心配ないと思うけどね』
人の思考を読んだ様に(実際読まれているんだろうが)間をおいて言葉を紡ぐ使い魔に苦笑を見せてから、俺は「是」の返事を持たせて、主人の下に戻らせた。
偶然が重なると、「出来すぎ」も倍増だが、自分が泊まっていた宿は、知る人ぞ知る場所で、しかも紹介者がなければなかなか部屋を貸さない所だったので、共通の知り合いが居てもおかしくはない。
驚いたのは、この夫婦が…特に警戒心が強いレーエンがやたら、リーリアを可愛がっていることだった。
外見や口数が少ないところから、夫のエルグの方が慎重派に思われているが、実際はレーエンの方が警戒心が強い。
「もはや、本能」とエルグは苦笑するが、その彼女がリーリアに対して相当気を許しているのが見ていて解る。エルグも一見わかりにくいが、気に入っていることが、付き合いがそれなりにある俺には解る。
「目を逸らさない。態度を変えない」
エルグは彼女のことをそう評した。確かに、彼らと行動を共にして、初めてでそれを行なったのは驚きだろう。特にレーエンの戦いぶりを見た後は尚更だ。
しかし、彼女は彼らの戦闘から目を逸らす事無く、態度を変える事無く旅を続けたのだ。
ずっと後で、彼女にソレを聞いたときに、心底呆れた口調で「そんな失礼なことするわけ無いじゃないですか」と答えたが。
簡単に出来ることではない。
だから、俺がその提案をしたときに彼らなら賛成をしてくれると、そう思っていたのだが。
返って来たのは、芳しくない…特にレーエンに至っては、怒りすら滲ませた反応だった。
「百歩譲って」
溜息をつきながらレーエンを宥め、エルグは俺に視線を送る。
「彼女を連れて行くのなら、きちんと理由を話し、理解して同意を得てからだ」
友人の言葉に俺は軽く目をも開く。世の中には知らないほうが幸せなことなどいくらでもある。今回の事など、それの最たる部類といっていいだろう。
「きっとあの子の事だもの、何も言わずに協力してくれるでしょうね。でも、私は嫌よ。同じ『利用』するのなら、話して
『協力』を求めるべきだわ」
確かに、付き合いの浅い俺ですらわかる。きっとリーリアは、理由を言わない俺達を見て、首を傾げ、苦笑して見せるのだろう。
あの姿に似合わない老成した気配と共に。
そして、言うのだ「いいですよ」と。訊きたい事を全て飲み込み、苦笑を穏やかな笑顔に変えて。
「少し…考えさせてくれ」
「時間は限られているわよ。…っと、ここまでね」
レーエンの向けた視線の先にいた相手に、俺も自然と口元が緩む。自分達のような存在を前にしても自然体でいてくれる相手というのは、確かに得がたい。
「こんばんは、レーエンさん、エルグさん。ウォルフさんも先程はありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げ、俺の横に腰を降ろす。目で問うエルグに観光案内をしてきたことを話すと、レーエンが盛大に笑い出した。
「か…観光。ウォルフが観光って…闘技場以外にこの街を知っていたの?」
「連れて行っていただいたの、その闘技場ですよ」
あっさりと、答えるリーリアに、二人の動きが止まる。うん?なんだ?闘技場のどこがいけないんだ?歓楽街へ連れて行くわけにもいかないだろう?
「…リーリア。今度私の時間があるときに一緒に行こう?」
「その方が無難だな」
二人の言葉に俺が憮然とすると、傍らの彼女は可笑しそうにくすくすと笑った。
「ありがとうございます。機会がありましたら、是非」
宿の主人が持ってきた果汁に礼をいいながら、一緒に運ばれて来た「フェルト」という野菜をスティック状に切った物を口に運ぶ。本当に小食だ。それを口に出すと「ご自分達を比較対象にしないでください」と言われた。それもそうだ。それでも、食が細いと思う。この程度の食事で、よくアレだけの声量が維持できるものだ。
そういえば、フェルトの名前を聞いたとき「所変われば、名前も変わるものですね」と笑っていた。自分達は違う呼び方をしていたのだと。
参考にと聞いたら「きゅうり」だと教えてくれた。俺もレーエンたちも初めて聞く呼び方であった。
そして、この夜もまたこのまま宴会に突入したのは言うまでもない。