1
旦那サイドです。
法要の席をそっと抜け出す。
娘達は気が付いたみたいだが、見てみぬ振りをしてくれた。
四十九日の納骨ともなれば、流石に皆落ち着いて、個人を偲びながら(偲んでいるのか、弱冠怪しいのもいるが)和やかな時間を過ごしていた。
ふと、顔を上げると抜けるような青い空。そういえば、季節の移り変わりを空の色で見て、風を感じながら天気を読む奴だったと思い出す。
決して出来た女房ではなかったが、俺には過ぎた女だったと思う。
文句を言いながらも、子供二人を育て上げ、舅、姑の面倒を見、稼ぎの少ない俺をフォローして勤めにも出ていた。
上の娘の就職も決まり、下も職場になれて、漸く一息つける…そんな時だった。
相手は、無免許の未成年…驚くべきことに中学生だった。
悪戯に親の車に乗り、おかしいと思ったパトカーに追われ、パニックになって一方通行に入っての事故だった。
結構なスピードで走っていたにも拘らず、相手はエアバックと高級車の装甲の強さで助かり、あいつは…死んだ。
だが、少なくとも外見に大きな傷は無かった…内臓はめちゃくちゃだったらしいが。
パチンコに行っていた俺は、兄貴の電話にも気が付かず、もぬけの殻の家に帰って、首を傾げていた。…携帯を確かめることすらしなかったのだ。
病院に駆けつけたときには、親族の殆どが揃っていて、俺は兄貴に殴られた。
それから葬儀が終わるまでのことは良く憶えていない。
ただ、葬儀屋と義姉の言うままに動き、渡された原稿を読み上げ、ひたすら頭を下げていた。そんな記憶が微かに残っているだけだ。
我に返ったとき、俺の前には小さな骨壷と位牌があるだけだった。
会社側の規定で一週間の忌引きがあった。別に何をするわけでもないが、機械的に通帳の始末をし、あいつが勤めていた会社に挨拶をしに行き私物を受け取って…夜になると眠れないので、あいつ秘蔵の酒を飲んで酔いつぶれるようにして位牌の前で眠った。
朝になると布団がかけてあるので、誰かが掛けてくれたんだろうと、そう頭の隅で考えはしたが上手く働かず、事故の後始末は義姉さんが紹介してくれた弁護士と保険屋に任せ、自分は動こうともせず、ただぼんやりと過ごしていたのだ。
幽霊とか見ないくせに、変なところで霊媒体質が遺伝した。と、あいつは苦笑いしていたが、どうやら娘達にもあるらしく、ある日突然「昨夜おかあさんがきたよ」と話し出した。
これといって、何を話したわけでもなかったらしい。「ほんと、いつも通りのおかあさんだった」と二人は笑った。
そういえば、あの日から子供達の顔をまともに見ていないことに気が付いた。
「あ、おとうさんのケツ叩いといてってさ」
…なんだ、それは。
「あと、人の『取っとき』呑んでって呆れていたよ」
呆れるところだろうか。流石にまずいと思って、位牌の前にコップに注いで置いておいた。まぁ、最終的にほとんど俺が呑んでしまったが。
土下座して誤りに来た少年の両親を許しはしないが「顔を上げてください」と声を掛けることが出来たのは、その話を聞いた後だった。…それまでは、会おうとも思わず、毎日親父が泣いて怒鳴って追い返していたのだった。
「なんだかんだと日常は過ぎていくんだよね」
ふいに声が聞こえ、隣に立っていたあいつは笑っていた。
「まぁ、いい加減自分の面倒くらい見えるでしょう?あんまりお義母さんの手を煩わせるんじゃないわよ」
放っておくとまともに食べてない俺を何処から見ていたのか?
「俺より長生きするんじゃなかったのか?」
「それは、そっちが言っていただけでしょう?実際はこんなものよ」
全く、と苦笑して法要の会場のほうに視線を移す。「姉さんね、あの笑い声」と、目を細めつぶやくように言った。
その視線を俺に向けると、にっこり笑って首を傾げる。
「頑張ってイイオンナ見つけてください」
「馬鹿野郎。お前が探してくれるんじゃなかったのか?」
「自力でなんとかしろって、いつも言っていたでしょ」
変わらぬ会話。変わらぬ軽口。
「じゃ、ね」
現れたときと同じように唐突に消えて。
子供達の呼ぶ声に我に返る。
多分、もう二度と会うことは無い。ふいに、そう思った。別れに来たのだと。
「馬鹿野郎」
小さくそう呟いて、俺は子供達のほうへ足を向けた。