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フランドル公。カースティア・フランドル。
隣国グランドの宮廷魔道師で、確か伯爵位。表向きのブランとシュルツの飼い主。
シュルツの既知の人物で、魔力のあまり高くない私が二匹もの使い魔を連れている時の言い訳として名前を貸してくれた人だ。
しかし、想像以上に若い。もっとお年を召した方だと思っていたから、正直吃驚だ。
「申し訳ございません。こちらにお出でになっているとは存じませんで、ご挨拶が遅れました」
「構わないよ。私も今日着いたばかりだからね。明日にでも連絡しようと思っていたところだ」
薄い青み掛かった白い髪と、それよりも少し濃い蒼い瞳。美丈夫二人に囲まれるって、心臓に悪いです。
「リーリィは私が相手をするから問題ないよ。君はお嬢さんたちの相手をして差し上げなさい。先程から視線で焼き殺されそうだ」
結構はっきりとモノをいう人だな。流石に一瞬ひるんだ副隊長さんだったけど、静かに礼を取ると、私に「また後で」と囁いて去って行った。でも、お嬢さんたちの居る場所ではなく、御領主さまの方に向う辺り…なんだかなぁ、って気がする。
後でって、確かに案内してもらわなきゃ帰れないけど、別に他の騎士さんでも良いです。っていうか、そっちを希望します。
「あれも融通が利かないねぇ」
「そうなんですか?」
首を傾げる私に、フランドル公は苦笑を見せる。
「隊長のアレスに比べると、だね。あの容姿だろう?女性が放っておかないが『氷の貴公子』と呼ばれているよ。部下や侍女達には穏やかな人物と評されているけどね」
「…猫かぶり」
慌てて手で口を覆う。目を見開いた公は、次の瞬間思いっ切り笑い出した。周囲の人たちが何事かとこちらを向く。それに、笑いながらなんでもないと首を振ると、彼は私の方に顔を向けた。
「珍しくシュルツが頼みごとをしてくるから、どんな相手かと思ったが、面白いお嬢さんだ」
「お恥ずかしいです。公の場で失礼しました」
「いやいや、構わないさ」
くすくすと未だ笑いが収まらない彼に、私も苦笑が浮かぶ。と、おや?と目を見開き、私の腕を取った。
「これは、護りの腕輪だね。ご丁寧に魔力を隠す術を施してある。もう片方はブランの髪の毛かな?」
「過保護なんです。私が世間知らずなので」
ふわり、とフランドル公の笑顔が変わった。穏やかで優しい笑み。
「いいんじゃないかな?あれも『主殿』以外はなかなか目を向けない奴だから、キミのような存在が居てくれて私としては嬉しいよ」
すみません、その主がらみです。とは流石にいえなくて、曖昧に笑ってみせる。日本人のお家芸だわね。
と、フランドル公が私の腕を持ち上げ、腕輪に軽く唇を落とした。呆気に取られている私と、周囲から「きゃー」と声が聞こえた。
何の罰ゲームですか、これ。色々感覚が麻痺して来そうですが。
「これで、シュルツにも私の事が知れたはずだ。ついでに私の護りも付加しておいた。グランドに来たら寄りなさい。それを見せれば、王宮はフリーパスだから」
あー、その拒否権は。
「無いね」
誤魔化しもしませんでしたが、表情呼んで返事をするのもどうかと思います。
「途中退出は可能でしょうか?」
疲れた、本当に疲れた。早く宿に帰りたいです。
「そうだね。あまり褒められることではないけれど、キミは歌を披露しに来ただけだから…待っていなさい。私が領主に言って来て上げよう」
「お手数をおかけします」
ぺこり、と頭を下げる。そんな私の頭を「よしよし」と撫でて、公が御領主の方へ向った。えっと、私って幾つに見えますか?
本当は目上のヒトを使い立てるなんて、マナー違反も甚だしいが、この際大目に見てもらおう。
ほう、と息をついて腰を降ろそうとしたら、今まで向こうに居た集団がこっちに向ってくる。…お嬢さんたちの集団じゃなくて良かった、などと不遜なことを考えながら礼を取ると、一番年上の人が楽にするよう声を掛けてくれる。
ありがたいです。ギルドの講師の人の話じゃ、たちの悪い貴族だと、話が終わるまでそのままの体勢を取らせる事もあるそうで…正直中腰はきついです、はい。
「フランドル公と知り合いかね?」
「はい、以前別荘にお招きいただき、歌を披露させていただきました。その時からのご縁で、グランドへ行くたびにご挨拶させていただいております」
予め決めてあった話を相手にする。遠まわしに、有力者の「お気に入り」と言っておけば、面倒ごとが多少減る、とブランが設定したのだ。当然フランドル公も了承済み。よく、名前や権力を貸してくれたな、と感心していたけど会ってみて解った…面白がっているわ、アノヒト。
「気難しい公のあのようなお顔は初めて見た。よほど親しいと見えるな」
さっきとは別のオジサマが、意味ありげな笑いを浮かべて口にする。周囲が眉をひそめるが止めない辺り、この親父のセクハラ発言は日常茶飯事か。しかも、それなりに地位もある。
「もったいないお話でございます」
しおらしい態度で否定も肯定もしない。おっさんの笑いが下卑たものになる。品位をうたがわれますぜ。いや、もう周囲が諦めているかんじだね。
「ならば、我が屋敷にもぜひ立ち寄ってほしいものだ」
そうきましたか、さてどう断ろうか。
「ご歓談中失礼いたします」
…ひょっとしてタイミング見計らっていました?
「歌姫殿を御領主がお呼びです。よろしいでしょうか?」
ホスト側の要請なら断れないよな。腰を折って差し出された腕に手を置くと、流れるような動作で副隊長さんが動きだした。後ろで舌打ちする音が聞こえたけど…いいのか、こんな場所でそんな態度とって。
「ありがとうございます。助かりました」
「どうやって切り抜けるか見たくもあったがな」
この悪党。
御領主から退室の許可を頂いて、公から「また」とのお言葉を頂いて、副隊長さんに案内されて、控え室に戻る。
これで、もう帰れるかな?
「もう、夜も遅い。宿には連絡してあるから、今宵はここで休んでいかれるといい、との御領主のお言葉です」
ずっと控えていてくれたのか、予め連絡が入れてあったのか、エイダが笑顔で迎えてくれた。
彼女の手前、副隊長さんの言葉使いが余所行きに戻っている。
…正直宿に戻りたいけど、仕方ないですね。
「鍵はきちんとかけて置くように。どこの不埒者が忍んで来るとも限らないからな」
こっそりと耳元で囁かれる言葉に、思わず眉を寄せた。
その不埒者に貴方も込みなら、鍵と同時に結界も施したい気分です。