9
請われるままに10曲ほど歌って、流石に喉に違和感を感じ始めた。
喉に手をやる私に気が付いてか、御領主さまが、笑顔でお客様がたへ視線を送った。
「これ以上歌わせては歌姫殿に差し障る。次を最後にしたいが如何かな」
どこか不満そうな気配はあったが、ホストの言葉に異を唱える人も無く、視線で合図され私は腰を折った。
歌うは我が国家。向こうでは賛否両論ある歌だけど、私にとっては小さい頃から馴染みのある歌で嫌いな歌じゃない。
ただ、向こうの自分じゃ、広い音域が取れなくて歌うのに苦労したけれど。
意味の取り扱いが難しい歌だけど、君主制国家なら嫌がられる歌ではない、と踏んで歌う。思った以上に良好な反応でほっとして、最後の挨拶とばかりに腰を折った。
これで、今夜の私の仕事は終了…のはずだった。
「見事であった。今宵集まるは、我が親しき友人ばかりだ、そなたも遠慮せず楽しむがいい」
頭の上から降ってくる御領主さまの言葉に固まる。え?これで終わりじゃなかったの?
目の前の相手が去っていくと同時に、横に気配が現れる。「楽にされよ」この声は副隊長さんだった。相変わらず柔らかな笑顔を貼り付けていらっしゃる。
「こちらへ」
差し出された手を無視するわけにもいかず、付いていくと上手く人垣をよけて、隅の料理や飲み物が置いてある場所へと連れて行ってくれた。
「どうぞ。疲れたでしょう?」
差し出された椅子に、頭を下げ腰を降ろした。なれない格好と場所で思ったよりも疲労を感じていることに座った途端気が付く。
すると目の前に、薄いピンク色の飲み物が差し出された。
「赤蜜柑の果汁を水で割ったものだ。アルコールは入っていない」
おや?言葉使いが普通になりましたね。確かにそのほうが楽ですから私としては助かりますけど。
「ありがとうございます」
「いや、俺こそ良い耳の保養をさせてもらった」
「ありがとうございます」
別の意味を込めて再度礼を言う。…うん、完全に言葉使いくだけてるね。俺だってさ。一応公式の場所でしょう?いいのかな~?
周囲の女性人がちらちらこちらを見る。気持ちは凄く解るよ。解るから、このお兄さん連れ出してくれると嬉しいのだけど。
そんな私の思惑に気が付いたのか、副隊長さんがくすり、と笑う。何ていうのか、悪戯っ子の笑み。お嬢さんたちの気配がざわつく。きっと彼女達にはフィルター越しの笑顔が映ったに違いない。
「悪いが、暫く軒先を借りる」
「後で宿に物騒なものが届かなければ」
意味を瞬時に理解して思わず返してしまった。うわ、やっちゃったよ自分。時々考えなしに言葉を発して、仲のいい取引先さんに笑われていたからな。あくまで一部限定で、それを許容してくれる相手にのみ、だったけど。
顔を上げると、先程と同じように驚いた表情――次いで笑顔。騎士さん同様、お嬢さんたちも固まっちゃったよ。ホント変なもの届けないでくださいね。
「驚いた。…頭の回転が早いのだな」
こくり、と果汁割りを口にする。あ、美味しい、これ。でも赤蜜柑なんて初めて聞いたな。
「北の国の特産物だ。暑さに弱く、ここまで運ぶと大半が腐ってしまう。市に出回るほどの量はないから、珍しかろう」
顔に出たのか、副隊長さんが説明してくれた。成る程、流石御領主さまのお屋敷ですね。
「不思議な韻律の歌だな」
「すでに無くなって久しい遠い国の歌です。教えてくれた人も今はヒースキングダムの住人です」
亡くなった人のことをこういう言い回しをすることがある、と教えてくれたのはシュルツだ。似たような言い方ならあちらにもあった。
「そうか。生まれは?」
尋問ですか?旦那。いいですけど。
「父の顔も母の顔も存じません」
「…そうか」
それきり口を閉ざす。騎士隊の副隊長という役職は伊達じゃないね。気遣いもお上手。…だから、さっきから睨んでいるお嬢さんたちのほうに戻ってくれないかな?
「雨宿りは、雨がやむまで、もしくは小雨になるまでと相場が決まっている」
「雨脚が緩まなければ、諦めるという選択肢もありますが?」
…こいつは。人の猫をはがすのが趣味なのか?
実に楽しそうな笑顔を向けてくれる。いや、心臓に悪いから、その笑顔辞めてくれ。…別の意味で。
気が付くと音楽が流れてきた。三々五々、パートナーが居る人はダンスを踊り始める。いいねぇ、宮廷円舞。
「踊れるか?」
「一般庶民にお聞きにならないでください」
もう猫を被るのは諦めました。それより、ちらちら此方を伺うお嬢様たちの元に行ってください、ってば。マナーとして男性からしか誘っちゃ駄目だから、視線で訴えるしかないでしょう?可哀想じゃありませんか。
「鍛えているから、多少踏まれても構わないが?」
…わざとだ。こいつ絶対わざとだ。
「リーリィ」
え?と顔を上げる。副隊長さんが礼を取るということは相応の人物かな?グラスを置き、腰を折るとくすくすと笑いが返ってきた。
「私にまで礼を取ることは無いよ。ブランとシュルツは元気かな?」
あ、と心の中で呟く。そうか、この方がそうなんだ。
「はい、ご無沙汰しております。フランドル様。二人とも元気にしています」
にっこり笑って顔を上げる。視線で副隊長さんにも元に戻るように促して、彼は再び私の方に顔を向けた。
…なんで、この世界には、こう無駄に美形が多いんだ?
断っておくけど、美形ばかりを周囲に置くのって私の趣味じゃないからね。