p1. エルステリアの炎神祭り
荘厳で重厚な検問所を抜ければ、木製の筒が複雑に絡む管楽器やカラフルな柄の弦楽器。そういった伝統楽器の音色が、街中華やかに響いている。
あちらの路地でも、こちらの広場でも複数人の音楽家たちが平和の喜びをうたっていた。
複数の主要都市の中間点に位置するこの街は、貿易拠点として普段からにぎわっているのだが、今の時期はさらに一段と活気にあふれていた。
「お師匠ぅ~!おーい!」
屋台で何やら大量に買い込んだのか、両手いっぱいに荷物を抱え走り寄ってくる小柄な少年は、周囲に人がいることなど意に介さずに、目当ての人物を視界にとらえると、大声で呼びかけた。
「お師匠!見てください。じゃーん!ね、ね?すごいでしょ?ほかの人たちはただの本だと思って素通りしていましたが、僕にはわかります。これ、魔導書ですよね?!ちょっと高かったんですけど、思わず買ってしまいました!」
「こらこら、クロウ。この人混みでそんなに大声を出して走ったら、周りに迷惑がかかるだろう。」
お師匠と呼ばれたその人は、少年ことクロウに優しく注意したのち、彼から手渡された本を「どれどれ」と眺める。開いて内容を軽く見ていたが、しかしすぐにパタリと閉じてしまった。
その様子に褒めてもらえると思っていたクロウは首をかしげる。
「ははは、クロウ、これはつかまされたね。残念ながらこれは魔導書じゃないよ。まさにただのメモ帳さ。」
「えぇ!魔導書じゃないんですか?でもでもお師匠、この文字はお師匠がたまに教えてくださる『世界語』ですよね。だってほら、『其、謀リノ影ニシテ』ってこれしか読めないですけど、間違いなく『世界語』です!」
「うん、そうだね。だけどこれは、おそらくどこかの遺跡の発掘調査時に写し取られたメモだよ。ほら、ここを見て。ここは文脈的に切れていたらおかしいんだけど、途切れてしまっているね。これでは意味が通らない。つまり、この文章を書いた人物は『世界語』を理解できていないんだよ。」
「そうなんですね…。あーあ。高かったのに。」
「ま、これも経験ということで。『世界語』の勉強用にでも使いなよ。」と言ってお師匠は本をクロウに返した。クロウは受け取った本を「そうですね!」と元気よく手荷物の中に紛れこませると器用に持ち上げた。
「それにしても、すごい量を買い込んだね。一度、宿に置きに戻ろうか。」
「はい!お師匠、お師匠!実は、あちらの路地の露店も気になっておりまして。荷物を置いたら一緒に見に行ってくださいませんか?」
「もちろん。でも、あまり買い込みすぎると、また宿を往復しないといけなくなってしまうからね。気をつけようね。」
「任せてください!」
クロウは元気よく返事をしたが、お師匠は内心「いい返事だけれど、きっとまた買い込むのだろう」と予想していた。けれどそれに不快な感情はなく、むしろ大変ほほえましいと思える。
クロウは、かつて世界を救った勇者の血筋であった。しかし、幼少期の環境は良いといえるものではなかった。お師匠がクロウと出会ったころは、小さなお願いひとつ口にしなかったのだから、欲しいものを欲しいと素直に表現できる今のクロウを、お師匠は好ましく思っている。
宿に購入した品を置き、再び出発する際にお師匠は少しばかりの硬貨を余分に持って出た。自身もクロウと一緒に楽しむためだ。
クロウと並んで歩き、気になると言っていた路地へ入っていく。その路地は、先ほどのクロウが買い物をした露店群とは異なり、飲食物がメインの露店のようで、あちらこちらから食欲をくすぐる香りが漂ってきている。
屋台で出店をしている商人もおれば、店舗の出窓を利用して商売をしている商人もいる。互いに邪魔にならないよう整然と並んでいるあたりが、商人たちの交渉術のなせる業を思わせる。と、そんな風に分析を始めていたお師匠とは異なり、クロウはもうどの店から回ろうかと目を輝かせていた。
「お師匠!こっちこっち!見てください。イログモの巣飴です。お師匠、僕これが食べたいです。買ってもいいですか?」
「もちろん」と答えきる前に、クロウはすでに「1本下さい!」とお金を渡していた。イログモ種はその名の通りカラフルな色の糸で巣を作るクモ型のモンスターだが、あまり強くない上に、その糸は人間に無毒でかつ食べると甘いのだ。だからこうして、採取した糸を枝に巻き付けて売るのが露店の主流な商品になっているのだ。
かつて、仲間が魔王を討ち取る前では、考えられない光景だ。こんなところでも仲間たちの築いた平和を肌で感じられる。
「クロウ、美味しいかい?」
「はひ、おひひょう!ひかひ、ねちゃねちゃとひており、ほへもはへひふいへふ。(はい、お師匠!しかし、ねちゃねちゃとしており、とても食べにくいです。)」
お師匠はあたりを見渡していたが、その間に巣飴を購入して戻ってきたクロウはお師匠の横で、巣にかぶりつていた。けれども、その強い粘着性と粘り気のせいで、口の周りにべたべたとくっついてしまっていた。
いくらかは口に入って甘みを享受できたようだが、これではまともに食べられていないだろう。
「あ、そうか。事前に食べ方を教えてあげるべきだった。イログモの巣は食べ方にコツがあってね。店主さん、僕にも1本ください。いいかい、実はこの枝は2本になっていてね。こうしてしばらく練って空気を混ぜるんだ。そうすると…ほら、飴玉みたいに固まっただろう。これを少しずつ舐めるんだよ。」
「ほへー、やってみます!んっ、んーー、んしょんしょ…できました!んん~~!あまーーーい!どういうわけか、レモンのような酸っぱさがあって、とてもおいしいです!」
「ああ、本当だね。すごくおいしいね。棒を咥えたまま歩くと危ないから、気を付けなさい。」
「はい!」と元気に返事をしたクロウ。その横顔は、かつて共に旅をした仲間の顔によく似ている。勇者と呼ばれて久しいあの子にも、かつてイログモの糸を枝に巻き付けて振舞ったものだ。最初こそ「げぇ…だってこれクモの巣だよ?食べるの?」なんて嫌そうな顔をしていたのだが、いつの間にかイログモを見かけるだけで追いかけまわすほど、どハマりしていた。
あの子もこうして、幸せそうに味わっては、「この色はイチゴの味がする。」だの「この色はよくわからない。でもおいしい。」だのと食レポをしていた。
「でも師匠、どうしてこの街はこんなに人が多いのですか?それに、露店もこんなに並んでいるのは初めて見ました。」
「ああ、これはね。明日、炎神祭りという街を挙げてのお祭りがあるんだよ。今日はその前夜祭だね。だからこうして、人が集まる。そして人が集まると、商人が商売を始める。それは今も昔も変わらない。」
「炎神祭りですか。どんなお祭りなんでしょう?楽しみです!」
「今日の前夜祭では、広場で大きなかがり火を炊いて、その周囲で踊るんだ。そうすると、炎の神様が地上に降りてきてかがり火に宿る。そして、祭りの最中はかがり火を絶やさず燃やし続ける。祭りの最後にはまた踊って神様を見送り、来年の豊穣と平和を祈るんだ。年に1度お迎えするのは、この街を楽しい街だと思ってもらって、気に入って守ってもらおう、いつまでもここにいたいと思ってもらって、平和をもたらしてもらうという意図がるんだよ。」
「……なんだか、自分勝手な都合のいいお祭りですね。」
クロウは何か不満げな表情で、口を尖らせて言った。お師匠は、そんなクロウの頭を優しく撫でる。
「そうだね。けれど、もしかしたら本当に炎の神様は、この街を気に入ってくれているかもしれないよ。」
「……どうでしょうか。僕でしたら、そんな風に年に1度だけ勝手に呼び出して、閉じ込められて、挙句一方的にお願い事をされるなんて、そんな街嫌いです。」
お師匠はクロウの頭をまたそっと撫でた。「まあ、それはそれとして祭りは好きです!お師匠も一緒に踊ってくださいますか?」と純粋な眼で聞いてくるクロウに、お師匠は何と答えたものかと考え、クロウが他に興味を移すまでついに答えてあげることはできなかった。
さて、そんな状況で迎えた炎神祭りの前夜祭。昼間より人が増え、まだ日の落ち切らないながらも、街灯に火がともされる。この祭りの期間だけは特別で、街灯の火は中央広場のかがり火から取られる。
心なしか、普段よりも灯が楽しそうに揺れている気がするのは、その灯にうつる人々の影が楽しげだからだろうか。
かがり火のある中央広場付近では、公営のテントが張られており、そこで一定以上の募金をすると簡易的な作りのバッジがもらえる。このバッジを胸元に着けていないと中央広場の踊りには参加できないのだから、実質参加料のようなものである。
「炎の形をしているのかと期待しておりましたが、そういうわけではないのですね。お師匠、これは一体何を模したマークなのですか?」
もらったばかりのバッジを繁々と眺めるクロウは、かわいらしく小首をかしげている。
確かに、見たことがない者にはわからないであろう。
「これは、炎の神…正しくは、炎の精霊の形を模したものだね。この街では豊穣と平和の象徴として知られているんだ。」
「精霊ですか…?これが?」
クロウの疑問ももっともだ。一般的に「精霊」と言えば小さな光の玉のような、蛍のような存在で知られており、ごく稀に人々に力を貸してくれたという逸話が残っている。
しかしバッジにかたどられた炎の精霊はまるで蛇のようにうねり、翼のようなものが不揃いに生えた何かだ。その本来の姿かたちを知っているお師匠からすれば、見事に特徴をつかんだ一品なのだが、クロウにはそう思えなかったらしい。無理もない話ではある。
ちなみに神様と言えば人型で描かれることが主流であるため、やはり現地人たちもなぜその形で作成されるのかは疑問に思っているらしい。しかし、伝統とは不思議なもので「かくあれかし」とされれば、理屈を抜きにそうなるものなのだ。
この街では、炎の神様はこの形をしているのだな、と。
「さ、クロウ。バッジを貸して。つけてあげよう。……よし。では、僕も。」
「おお!お師匠、大変似合っております!」
「そうかい?ありがとう。クロウも、大変似合っているよ。」
クロウの手を引いて中央広場へと踊り出す。ちょうど日が完全に沈むと、大きながかり火のもとに人々が集まり、この街の領主様が代表として『世界語』による歌を歌う。この歌で、炎の精霊を呼び出すのだ。
――ああ、私たちの愛しい隣人よ。ああ、私たちの偉大なる母よ。今は昔、遠くの昔。空の色が暗く沈んだその時に、御身によって安らぎを与えてくださった感謝を歌いたい。大いなる時の流れに、されど褪せぬ喜びを。ともに笑い、ともに歌い、ともに踊りましょう。炎の精霊、サラマンダ――
領主はきっと、この『世界語』の歌を理解してはいないだろう。ただ音のみで代々伝えられてきた歌。しかしそれは、炎の精霊に敬愛と賛辞を贈る歌。決して、自分勝手に呼び出す歌などではなく、そう、炎の精霊はこの歌を聞きに自らやってきてくれるのだ。
その陽気で穏やかで、ときに激情をたたえるその精霊は、この歌を聞きに毎年毎年律儀にやってくる。
「――久しいね。――」
「ああ、久しぶりだね。炎の精霊。」
始まった大きな演奏と踊りの喧騒にかき消されるような、瞬きのような声がお師匠の耳に届いた。鈴を転がしたようなその声の主を、お師匠が間違うわけもない。
クロウは少し離れたところで、綺麗な年上のお姉さまと踊っていて、炎に照らされてもわかるくらいに、顔を真っ赤に染めている。こちらに気づく様子は当然ない。
「――アレは、君の連れ?アイツと同じ匂いがするな。血筋かい?君の執着心には惚れ惚れするよ。――」
「炎の精霊、この街の貴族にお熱をあげているあなたには言われたくない。それに、あの子はそういうのじゃないさ。」
「――ふーん。なら、踊ってやらないの?――」
そういわれてクロウの方に視線をやると、まるで踊ってくれるのを待っているかのように、お師匠を遠慮がちに伺いみていた。先ほどまで一緒に踊っていたお姉さまに背中を押してもらったのか、彼女はクロウの傍らに寄り添っている。こういうところでは、まだ遠慮が残っているのか。お師匠は表情に出さないよう悩んだ結果、姿のみえない炎の精霊をこっそり一睨みしてから言った。
「踊るさ。けれど、そういう意図はない。絶対に。」
からかわれているのだろう。それはわかっているが、勇気をだして誘い、純粋にお師匠を待っているクロウの手を、取らないわけにはいかなかった。
背後でケラケラと笑っている声を無視して、お師匠はクロウのもとへと向かった。
翌朝。
「お、お、お、お師匠!!!ごめんなさい!ぼく、あの、知らなくて……!!ででででも、お師匠も教えてくださっても、よかったのではありませんか?!」
クロウが顔を真っ赤にして、寝ぼけ眼をこすっているお師匠に頭を下げた。実は、昨夜一緒に踊っているところを、宿屋の主人に目撃されていた。先に目が覚めたクロウが顔を洗う用の水を貰いに行ったら、声をかけられ教えてもらったのだ。
炎の神様がつかさどるものには、豊穣と平和のほかに、もう一つ「情熱」があり、前夜祭の踊りに誘うのは恋人や夫婦が一般的。最近ではその風習を利用して、いい仲になりたい相手を誘う流行があるのだと。逆に家族や兄弟、友人などを誘うのは送り出しのときだと。
あの時お姉さまに「一目惚れしてしまいそうです。」と告白されたものを、気づかないで「ありがとうございます。そろそろ、お師匠と踊りたいのですが誘い方を教えてくださいませんか。」と返していたことを思い出し、さらにもだえるクロウ。
クロウは精神の限界値を突破したのか、お布団の中におこもりしてしまった。
「申し開きもできない。しかし、あまりに純粋に誘ってくれたものだから、断ることもできなかったんだよ。タイミングを逃して結局迎え踊りが始まるまでに言えなかったのもあって、それで。」
本格的に籠城姿勢に入ってしまったクロウに、お師匠は「よわったな……」と頭をかいた。
結局、クロウが落ち着いたのは日が高くなるころだった。昼食を一緒にたべ、本祭を楽しみ、旅に必要な道具を購入していたら、あっという間に祭りの終了を告げる鐘がなる。
『――あー!今年も楽しかった!また、来年もこよーっと!――』
シャラシャラと鳴り響く鈴のような笑い声が響き、かがり火の周りは祭りの余韻に浸る人々がまばらに残るのみとなる。祭りの後というのは、どうしてこうも物寂しい気持ちになるのだろうか。楽しい時間が霧散してしまうような。日常に戻ることが寂しいわけではない。しかし、どうしてだろう。一際静かに感じてしまうのは。
「お師匠、楽しかったです。ぼく、わかった気がします。お師匠のおっしゃっていたこと。もしかしたら、炎の神様は…いえ。きっと、炎の神様もこのお祭りを楽しんでくださいましたよね?」
「えぇ、きっと。」
きっと、来年もあの精霊はこの街へ舞い降りるのだろう。かつて愛した――いや、今もその大きな愛を持って守るこの街とその領主一家の呼び声に応えて。そして、人々の笑顔と、踊りと、歌をたっぷりと味わいまた人知れずこの街を守っていくのだ。
「お師匠、明日からはどちらへ向かいましょうか?」
「そうだね……。ここから北へ上ったところにある山に、大変にご利益のある神社があるそうだから、そちらへお参りに行くのはどうかな。」
「良い考えだと思います、お師匠!道中、魔術の練習にも付き合ってくださいますか?」
「もちろん。ただし、先日教えた『世界語』をすべて覚えていたら、ね。」
「うぐっ……。はい、お師匠。」
クロウは苦い顔をして、しかし、希望を携えた瞳でそう答えた。
お師匠は、そっとクロウの頭をなでるのだった。




