混沌の道
『混沌の道』とは何か?
僕はリアに質問する。
「リア、『混沌の道』っていうのは?」
「……『魂の道』の中でも、危険な思想を持つ道の一つです。『混沌の道』を行く『無政府連邦カオラ』には、危険な組織がいくつかあります……もちろん、凶悪な『霊触者』も多いです」
「危険な思想、っていうのは?」
「……あらゆる秩序、理を破壊し、新たな『可能性』を無限に生み出すこと。破壊を目的とするわけではなく、『変化こそ進化』と信じる……ゆえに、極めて危険な思想の信奉者も多いんです。それこそ、相容れない道を歩む者を殺害することだって、当たり前のように行われています」
「……そんなの、『秩序』が許さないんじゃないか?」
「当然です。ですが、『秩序』も『混沌』も一枚岩ではありません……」
リアはソファに座った。僕はコーヒーを淹れ、リアに渡す。
「セラ主席研究員は、『混沌』の存在に気付き、対処に追われている? ……じゃあ、『秩序』は、なぜ今になって動いたんだ?」
「…………」
「……ユウト?」
僕は、少し考える。
そして、状況からいくつかの仮説を立てた。
「仮に、セラが『混沌』について何かを察し、僕たちに手がかりを残して消えたとしたら? このタイミングで『秩序』がセラを疑うように仕向けた可能性もゼロじゃない」
「……つまり、あの『秩序』が見つけた、『漂魂者』に関する書類は」
「自分で用意したニセモノの可能性もあるね。というか……恐らくだけど」
「ユウト?」
あまり考えたくないことだけど……たぶん、正解に近いだろうな。
「……セラは、たぶん、一人で『混沌』を排除しに行ったんだと思う。あの人らしい。全部、僕のために」
「え……ど、どうして!?」
「……狙われてるのは、僕だ。『漂魂者』である僕を狙ってくるなら、僕の前に現れる前に全て終わらせるつもりなんだろう」
「な、なぜ、そんなことを」
「決まってる。僕が……弱いからだ」
恐らくセラは、僕が『漂魂者』だってことが『混沌』にバレたと気付いたんだ。
そして、僕に危機が迫る前に、自分一人で全てを終わらせる決意をした。
『秩序』がここに来たのも、デズモンドほどの実力者が僕の傍にいれば『混沌』は簡単に襲ってこない。それに、リアが僕を鍛える名目で傍にいれば、僕への危機は減る。
「……セラ主席研究員。なんで一人で? 学術院には他にも頼れる『霊触者』がいるのに」
「デズモンド監察官が言ってただろ。学術院内に潜伏しているって……誰も関わらせたくなかったのは、きっと関わって欲しくないからだ」
「……ま、まさか」
リアも察した。
そう、これしかない。
「……きっと、『混沌』の潜伏者は、セラの知り合いだ。
彼女が誰にも何も言わずに去った理由、それしか考えられない」
コーヒーの湯気が、静かに揺れて消えた。
僕たちの胸に、重い沈黙だけが残った。
◇◇◇◇◇◇
ここまでの仮説を立証するため、僕とリアは早速行動する。
まず向かったのは、学術都市国家の中心であり、一番の研究機関である『エレメンティア精霊研究所』だ。そこにいる、セラが信頼する人物を訪ねようとした。
道中、僕はリアに確認する。
「リア。セラの言うことを聞いて、このまま『秩序』の監察官に監視された状態でいるのも手だよ。デズモンドは強い……向こうにその意図がなくても、近くで監視されることは『秩序』に守られるのと同じ。『混沌』も僕に手を出す可能性は低くなるし、その間にセラがカタを付ける可能性もある」
「冗談でしょう? 私は、ユウトはもちろん、セラ主席研究員にも安全であって欲しいと思っています。それに、『秩序』が結果的にあなたを守ることになっても、あなたの味方ではありません。でしたら……こちらから行動し、セラ主席研究員と一緒に『混沌』を始末する方が簡単です」
し、始末か……リア、けっこう過激なことを言うな。
とりあえず、始末云々は後で。僕は行動していた。
「危険なことはわかっているけど、『秩序』も『混沌』も僕の味方じゃない。現状、『知恵』であるきみたちに手を貸した方が、安全確率は上がる。というわけで、行動してみよう」
「ええ、ふふ……ユウト、あなたもセラ主席研究員が心配なんですね」
「……まあ、いろいろ世話になったしね」
こうして、僕たちはエレメンティア精霊研究所へ向かうのだった。
◇◇◇◇◇◇
学術都市の中心部――巨大な水晶塔『エレメンティア精霊研究所』。
風霊学術院よりも静寂で、どこか張り詰めた空気を纏っていた。
リア曰く、塔の上層にはアルトリウスの執務室があるという。
「リア、少し緊張してる?」
「……ええ。セラ主席研究員が唯一『私より頭が軽い』と評した人ですから。それにその……私も、一度しか会ったことがなくて」
そもそも、セラって頭が固いのだろうか……?
リアの案内で上層階へ移動。アルトリウスの研究室ドアをノックする。
扉の前で名を告げると、低く落ち着いた声が響いた。
「入ってくれ」
扉の奥には、炎の光に照らされた男が立っていた。
アルトリウス・エルディア。炎のような赤銅色の髪に、白衣の袖を無造作にまくっている。
リアは、セラから預かった鉄の板を見せると、アルトリウスは目を細めた。
「……ああ、なるほど。アイツ、また妙なことに首突っ込んでるのか」
「アルトリウス様、セラ主席研究員がどこにいるのか、ご存じで?」
「いや、場所は知らない。でも、あいつが厄介ごとに巻き込まれているのは知っている」
リアの持つ鉄の板を、アルトリウスは指先に灯した炎で軽く炙る……すると、鉄板に暗号のような、不思議な文字が浮かび上がった。
「精霊力の炎で炙ると文字が浮かぶ仕掛けだ。この学術都市国家で、火属性の霊触者はオレとセラだけ。この国でこの暗号を読めるのは、オレとアイツだけってことだ」
アルトリウスは暗号を読み、舌打ちした。
「チッ……あいつめ」
「この板には、なんと?」
「……ああ、キミが例の『漂魂者』か。ほほう、若いねぇ」
「え、ええと」
「とまあ、冗談はここまで。さて、セラのやつ、『混沌』の……しかも、厄介な組織に目を付けられた。いや、関ったな」
アルトリウスは、煙草に火を着ける……奇しくも、セラと同じ銘柄の煙草で、火を着けるのも精霊力でだ。
リアは言う。
「セラ主席研究員は一体、どこで何を、誰を相手にしているんですか」
「あ~……暗号には『二人を頼む』とも書いてあるんだけどな」
「それは、セラの言い分。僕とリアには関係がない」
「は、言うね」
アルトリウスは「やれやれ」と苦笑する。
「『混沌の道』の過激派組織、『螺旋教団オロバス』は知ってるか?」
僕は知るわけがない。だが、リアは口を押えた。
「ま、まさか……」
「そう。セラのヤツ、ユウトくんが『漂魂者』であることを上層部に報告中、
オロバスの幹部に話を聞かれたようだ。それからの動きは速かった。まだこの世界に来たばかりのキミに余計な心配をかけないよう、たまたま近くに来ていた『秩序』の監察官を呼び寄せ、キミを監視させる名目で傍に置き、リアにきみを鍛えさせ、自分は『混沌』を始末するつもりだった。保険として、オレにキミらを守るよう暗号を残してね」
「……なぜ、そこまでして、僕を……?」
「……そりゃあ。セラはずっと、『漂魂者』の研究をしていたからさ。リア、キミは知らなかっただろう? セラの本来の研究テーマは、『漂魂者』の歩む道』についてだ」
「な……っ」
「ユウトくん。セラは、キミが何の心配もすることなく、強くなり、『魂の道』を刻むことを望んでいる」
「……でも、僕を危険に合わせたくないなら、『秩序』を関わらせるべきじゃなかった」
「ああ、デズモンドのことか。それは問題ないよ。そもそも……道は違えど、デズモンドとセラ、それにオレともう一人は友人だからね」
「「え」」
これには、僕もリアも驚いた。
セラ、アルトリウス、デズモンドが……友人? と、いうことは。
僕はもう理解してしまった。
「アルトリウスさん。もしかして……セラが相手をしているのって」
「……あ~、信じたくないけどな。ちくしょう」
アルトリウスは、ため息をついた。
「恐らく、『混沌』の敵は……オレらの友人、イリアだ」
「あり得ません!!」
リアが絶叫する。
アルトリウスは首を振った。
「オレも信じられないけどな……まさか、あの気弱なイリアが、『混沌』だなんて」
「イリア先輩が、そんな……!!」
「知り合い、なんだな?」
「……私に、戦い方を、精霊力の使い方を、教えてくれた人です」
リアを関わらせなかったのはもしかして……この反応から見て、イリアとかいう人が大事だからなんだろう。
アルトリウスは煙草を吸い、煙を吐き出し、灰皿に押し付ける。
「あーあ。全部バラしちまった。キミらを守れと書いてあるけど……オレは嘘が嫌いだからね」
「アルトリウスさん。あなた、ここまで話したってことは……全部知ってるんですね? セラの居場所も……」
「……セラがお前らをここに寄越したのは、オレが真実を隠して守るのか、それか全てを話して関わらせるのかを、オレに決めさせるためでもあったんだな。まあ、全部言っちまったけどな」
アルトリウスは苦笑した。
そして──次の瞬間、物凄い爆発音が響き、部屋が大きく揺れた。
「な、なんだ……!?」
「チッ……おっぱじめやがったか」
「アルトリウスさん、何が!?」
「セラだ。恐らく、イリアとの戦いが始まったんだ。クソ……イリアが『混沌』だとしたら、仲間もいるはず」
リアと目が合った。
「リア、行くぞ!! セラさんが――戦ってる!!」
「……ええ。イリア先輩……私は、自分の目で確かめます!!」
「フフ、若いっていいねぇ。うし、オレが案内する。行くぞ」
こうして、僕とリア、アルトリウスさんは、セラさんの元へ向かうのだった。




