黒翼院(後編)
黒翼院の深層へ降りる階段は、最初から普通の施設のそれではなかった。
白いはずの壁に、無数の黒い管が走っている。脈動しているようにも見えるそれは、精霊力なのか、もっと別の……魂の流れと呼ぶべきものなのか。
僕は足を踏み入れた瞬間、背筋がチリ、と痺れるような違和感を覚えた。
みんなは黙りこみ、僕も言葉を出さずに思う。
(……ここは、本当に研究施設なのか?)
だが進むしかない。
印章を見せた瞬間、全員が無言で扉を開けた。ここは客人扱いなのだ。
それがむしろ、僕たちの不安をさらに増幅させていた。
◇◇◇◇◇◇
第一深層、魂接続実験区『ソウル・リンク・ラボ』
大きな自動扉にプレートが掛けられていた。
カイルはモノクルを磨き、どこかワクワクしながら言う。
「ここから先は、私も入ったことのないエリア。施設内容は知っていますが……ふふ、好奇心で溢れますね」
僕らは何も言わない。怖いもの見たさ……いや、今も自問自答している。
果たして、この先に進んでいいのかどうか。
自動扉が音もなく開くと、眩しいほどの白い廊下が現れた。だが、そこに広がるのは清潔さとは真逆の不気味な静寂だ。
壁一面に、黒い管。ゆっくりと脈動し、床をわずかに震わせる。
そして――聞こえる。
『……パリン……パリ……ン……』
何かが割れる音。いや、物理的な破砕音ではない。なんだろう、この皮膚が泡立つような不快感。
僕は両腕に鳥肌が立つ。
白衣を期待していた研究員は、全員が黒布を体に巻いた無表情の者たち。この空間で唯一動いているのは僕たちか、壁の管だけだ。
「なにこれ……」
フレイアが低く呟く。明らかに嫌な気配が漂っているためか、いつもの軽口も出ない。
「魂位階の……分析?」
リアが壁に貼られた資料を読み、顔色を変えた。
「弱者の魂を測って、適した精霊を分類する……? 魂を測る設備がここにはある? そんな……そんな技術、『知恵』の技術者でも実用化に至っていないのに……」
「最低だな……」
ギデオンの拳が固く握られる。
「魂に優劣なんて……あってたまるか……」
ギデオンから不快感、そして怒りが感じられた。
「あっ……ユウト様、あれを」
フィオナが指差した先。
巨大な装置に、痩せ細った少年が縛り付けられている。頭には黒い輪、胸には魔獣核のような石が埋め込まれかけていた。
「適性なし……注入開始」
黒布の研究員が無表情でボタンを押す。
僕は思わず手を伸ばし、声が出た。
「や、やめ――」
「――スウ……」
少年の口が開き、声ではなく、まるで『魂が吸われる空気音』が漏れた。
胸の核が黒く点滅し、少年の目が反転する――が、数秒後、全身が崩れ落ちた。
残ったのは、黒く濁った核だけ。
「……失敗。素材に回せ」
そう言った研究員は、まるで実験器具を片付けるように、少年の身体を引きずっていく。
「なるほど。聞いた通りですね」
「ど、どういう……」
「魔獣核を埋め込み、闇属性の精霊力を流し込むと……命は全て魔獣核に吸収されるという実験結果があります。命の全てが、あの魔獣核に……つまり、弱者の魂が、魔獣核に吸収されたと言ってもいい。これは興味深い……!!」
カイルはワクワクしているが、フィオナが震える声でつぶやいた。
「……こんなの……人がやることじゃない」
僕も、喉が渇き声が出ない。
だが、ここはまだ『序の口』だった。
◇◇◇◇◇◇
第二深層、死霊標本庫『ネクロ・アーカイブ』
階段を降りた瞬間、空気が変わった。
冷気が肺を刺すほどに鋭く、呼吸するたび胸が痛い。
空間は薄暗く、まるで霧のような黒いものが漂う。
そして……奥から――囁き声がする。
「……みてる……」
「……かえして……」
「……さむい……いやだ……」
存在しないはずの声が、耳元でささやく。
「ひっ……!」
フィオナはギデオンの腕を掴んだ。今まで見たことないほど怯えている。
視線を感じて振り向くと、棚に並んだ魔獣核入りの瓶が、うっすら光り、無数の目がこちらを追っているように見えた。
広い空間、四方が全て棚……そこに、数百、数千の瓶が並んでいる。
そして中央には、巨大な白い何か……なんだこれは。
「ここが……魂を……在庫として保管する場所……?」
「そうです。正確に言うと、魔獣核に命を吸わせ変質させた物質……『魂断片』ですね」
リアの声が震え、カイルが事務的に言う。
「これほどの数……どれだけの命を犠牲に!!」
ギデオンの顔は怒りで歪んでいた。
壁際には、大量の魔獣核……いや、『魂断片』が保管されていた。
色はどれも濁り、まるで血のように暗赤。
そして、中央の白い何かをよく見ると、それはドラゴンの骨格標本のように見えた。
カイルは「ほう」と呟く。
「これは、闇の大精霊オルド・グランの骨格標本ですね。材質は……ふむ、私にもわからない」
すると、フレイアが言う。
「……気持ち悪い。なんでこんなところに標本あんの?」
骸骨には黒い紋様が刻まれ、魂断片に囲まれている光景はかなり異様に見せた。
そして、リアはハッとなり呟く。
「カイル先生。これは、もしかして……」
「さすが『知恵』の研究者。気付きましたか」
「え、なに、どういう意味だ?」
カイル、リアは何かに気付いたが、僕らにはわからない。
説明するのが楽しいのか、カイルは言う。
「そうですね……擬似大精霊とでもしておきますか。恐らく、この闇の大精霊オルド・グランの骨格標本、そして大量の魂断片……間違いなくこれは儀式。大量の魂断片を使い、疑似的な大精霊オルド・グランの生成をしようとしているのでしょう」
僕らは絶句した。
そしてリアは青ざめ、両手で身体を覆い震える。
「狂ってる……これはもう……研究じゃない」
「ここは……殺した魂で力を作る場所……」
フィオナは今にも倒れそうになっていた。
僕は胸が締めつけられる……ここまで来て初めて、本気で理解した。
(帝国は……本当に、歪んでいる)
けれど――まだ、深層は終わりではなかった。
◇◇◇◇◇◇
第三深層、魂還元炉『レギオン・ファーネス』
三層への扉が開いた瞬間、黒い風が吹き抜けた。
冷たい風……視界の中央には――巨大な『炉心』があった。
黒い光が渦を巻き、無数の魂の残滓が彗星のように飛び交っている。
壁は、影のようなものが蠢いている。見た瞬間、僕の魂が圧迫される感覚がした。
(なんだ、これ……!?)
僕は呼吸が乱れ、膝がわずかに震えた。
ただの恐怖ではない。もっと深い――魂が呼ばれているような。
僕だけじゃない。フィオナも同様に、身体を震わせていた。
「ユウト? それにフィオナさんも……大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
「……だ、大丈夫です」
リアの声が遠く聞こえる。
僕とフィオナは顔を見合わせる……これは、ただ事ではない。
すると――背後から声がした。
「――ほう。きみと、そちらの女性は、普通の霊触者よりも鋭敏な感覚を持っているようだな」
振り向いた瞬間、黒衣の男が立っていた。
白い肌、赤黒い瞳、無機質な笑み。
威圧ではない。存在そのものが冷たすぎて、空気が歪む。
「ようこそ、黒翼院最深部へ。黒翼院院長、ノクタリア・サルバだ。黒翼大公の実弟にして――この『闇皇の胎動計画』の主任研究者だ」
名前を聞いた瞬間、空気がさらに重くなる。
こいつが……この悪夢の中心人物。
ノクタリアは僕をじっと見つめ、ゆっくり近づいてきた。
「……ふぅむ。不思議な精霊力を感じるな。黒翼の血筋にいなくとも、これほど珍しい精霊力は稀だ」
「……」
「ははは。リュミエールから話は聞いているよ。『漂魂者』ユウト・カミシロくんと、その従者たちだね……黒翼院の深淵へようこそ」
ノクタリア・サルバは優雅に一礼。にこやかに微笑むが、僕は薄気味悪さしか感じなかった。
間違いなくこの人も霊触者で、戦闘力も高い……だが、そうじゃない。
もう一度思う。この人は、薄気味悪いのだ。
「どうだね、黒翼院の深淵を見た感想は」
「……これが、『支配の道』の研究なんですね」
「そう。弱者を使った研究である。ふふふ……さて、ここからは私が案内しよう。この第三層で行っている実験は……ずばり、大精霊オルド・グランそのものだ」
「……そのもの?」
聞き返すと、ノクタリア・サルバは頷く。
ポケットから『魂断片』の結晶を取り出し、手で弄ぶ。
「簡単に言えば……弱者一万人分の魂を融合させ、オルド・グランを超える新たな大精霊を作る」
「「「「「ッ!?」」」」」
「……ほう、それは私も初耳だ」
僕、リア、フレイア、ギデオン、フィオナは驚愕し、カイルはモノクルを指で押し上げた。
ノクタリア・サルバは言う。
「ユウト・カミシロくん……キミのような無垢な道を歩む『漂魂者』――つまり、君のような魂が協力してくれたら、研究はもっと進むんだがね」
「……冗談ですよね」
背筋に冷たい刃を押し当てられたような感覚。
ノクタリアは微笑む。
「君は鍵でもある。リュミエールから渡された黒翼大公家の印章……あれは、計画を開く『資格証』だ」
「……!!」
「おかしいと思わなかったのかね? その印章一つで、黒翼院の深淵まで踏み込むことができるなんてね。きみは、深淵を見た……最も深き深淵を。フフフ……すべてを知った以上、手を貸してもらうよ」
まさか――あれが、そんな目的で?
「断れば?」
「ははは。できるはずがないよ」
ノクタリアの視線が僕を貫く。
「――ユウトくん。君の魂を、そして道を……この計画に捧げないか?」
言葉の意味を理解した瞬間、全身が凍りついた。
それは、死ねと言っているのと同じだったからだ。
フレイアが叫ぶ。
「ふざけんな!! ユウトは渡さない!!」
ギデオンが一歩前に出て拳を握る。
「魂を……人形みたいに扱うんじゃない……!!」
リアとフィオナも僕の前に立つ。
それでも、ノクタリアは笑うだけだった。
「感情的だな。弱者の魂など、素材にすぎん。が――君の魂は違う。君は選ばれた存在だよ。大精霊オルド・グランに選ばれた、精霊に愛された魂だ」
「断る!!」
俺は叫んだ。
「誰が……お前の計画なんかに乗るか!! 魂を道具扱いするなんて……そんなの、魂の道そのものへの冒涜だ!!」
ノクタリアは――笑った。
心底楽しそうに。
「……ますます気に入った。君は最高の素材だよ、ユウト。必ず迎えに来る。それまで、その魂を大切に」
黒い風が吹き、ノクタリアの姿は闇に溶けるように消えた。
残されたのは、脈動し続ける巨大な炉心と、魂を削るほどの圧迫感だけ。
僕は震える指先を強く握りしめながら、仲間たちを見た。
「……行こう。ここに、長くいない方がいい」
この深層にいるだけで、魂が削られていく。
僕たちは闇の螺旋を駆け上がり、地上へ戻る階段へと走った。




