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メイリオン・クロニクル~魂導の旅路~  作者: さとう
第五章

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黒翼院(前編)

 黒翼大公家の印章──あれを渡されてから、僕たちは翌朝すぐに動いた。

 向かう先は、帝国の頭脳と呼ばれる機関、黒翼院。

 霊触者、精霊術、魔獣制御……帝国で行われるあらゆる研究と実験の中心。

 その入口は巨大な黒い門で、二十メートル以上の壁に囲まれている。

 門の前に立つのはもちろん霊触者(レグナス)……しかも、かなり強い。

 フィオナは、門を見上げて言う。


「……空気が、重い」


 確かに、門の前に立っただけで、胸が圧迫されるような気配がした。

 門兵は僕たちをジッと見ている。もし僕らが全員霊触者(レグナス)じゃなかったら、不審者として追い出されるだろうな。

 カイルは僕をジッと見る……何も言わないのは、言うまでもないからか。

 僕たちは門兵に近づき、ポケットから出した印章を見せると──。


「黒翼大公家の御客様ですね。ようこそお越しくださいました」


 門兵は即座に敬礼し、門を開いた。

 扱いは完全に貴賓だった。

 カイルが小声で囁く。


「……皆さま、覚悟しておいてください。黒翼院は、帝国の中でも倫理観という概念が消滅している場所です」

「倫理……ねえ。まあ想像はしてるつもりよ」


 フレイアが不機嫌そうに腕を組む。

 だが──想像なんて、まるで足りなかったのだと数分後、思い知らされた。


 ◇◇◇◇◇◇


 黒翼院の内部は、異様なほど静かだった。

 白い廊下。金属光沢の扉。すれ違う研究員たちは全員、同じ灰色の外套をまとっている。

 無表情で、僕たちがいても視線すら向けない。


「ここが帝国の研究所……? 思ったより、普通……?」


 リアが戸惑ったように呟いた瞬間。


「──リア、下を見ろ」


 ギデオンの低い声に、僕らは足元に視線を落とした。

 床の一部が、透明な強化ガラスになっている。

 その下に広がっていた光景を見て、僕は思わず息を呑んだ。


「……ぅ」


 リアが口を押えた。

 そこは地下の巨大な実験フロアだった。

 円形の部屋に多数の拘束椅子が並び、そこに──痩せ細った男女が固定されていた。

 体は動かず、意識があるのかも分からない。

 彼らの胸元や腕には黒い結晶のようなものが埋められており、研究員たちが淡々と観察している。


「……霊触者覚醒の、実験ですね」


 カイルが低く呟いた。


「ここでは、霊触者の『素材』となる弱者を使って、覚醒の条件を解析しているのです。成功率は極めて低いですが……成功しなくても、犠牲者が増えるだけなので、気にしませんよ」

「気にしないって……」


 僕の声は震えていた。

 異様だったのは、研究員たちの態度だ。


「被験体37、反応なし。破棄工程へ」

「被験体68、不安定化。記録後に処分」

「次の群体、搬入はいつだ? そろそろ補充が必要だ」


 破棄処分という言葉を、ゴミの話みたいに淡々と使っている。

 人間扱いなんて、ひとかけらもなかった。


「弱者だから、です」


 カイルが淡々と言った。


「帝国では価値を生み出せない者は、研究資源となります。彼ら自身も、その扱いに文句を言う権利がありません」

「権利が、ない……?」


 リアが震える声で呟く。


「弱者の魂は、強者に管理されるものだと、この国では常識です。不当とも残酷とも、誰も思わない」


 フィオナは蒼白な顔で言った。


「……これは『協調』ではありません。秩序でもない。これは……ただの支配です……」


 その声には、震えと怒りと嫌悪が混ざっていた。

 そのまま廊下を進むと、別のフロアへ入った。

 そこは巨大な天井までぎっしりと黒い管が並び、各所に魔獣の檻があった。

 檻の中には、いびつな体のトカゲのような魔獣が複数。鱗が部分的に白化し、骨が外側に突き出しているものもいた。


「これは……魔獣?」

「ええ。闇の大精霊オルド・グランの骨片を用いた実験体です」

「骨片……?」

「少量の粉末に加工し、魔獣に注入する。強化される個体もいれば……」


 カイルは一つの檻を指した。

 その中の魔獣は、動いていなかった。

 周囲の金属が黒く腐食しており、魔獣の体はまるで影に溶けるように崩れつつあった。


「こうして形を保てず崩壊する個体もいます」


 研究員が近づき、観察記録を無感情に読み上げる。


「被験魔獣12、闇骨片との同調失敗。自壊傾向、四肢欠損。生存時間残り三分ほどか」


 そして、全く同じ口調で付け足す。


「──次、連れてきて」


 その一言が、背筋を冷たく刺した。

 魔獣の苦悶の声が聞こえても、誰も反応しない。

 ここにいる全員は、弱いものの苦しみを理解する必要すらないのだ。


「異常でしょ……これ」


 フレイアでさえ、顔をしかめていた。


「帝国とは、こういう国です」


 カイルは静かに言った。


「強いものが望めば、弱いものは形を問わず利用される。倫理は、最初から存在しません」


 僕は、黒翼院の空気に押し潰されそうだった。

 ここに満ちているのは、ただ一つ──弱者の魂は、道具であるという絶対思想。

 その思想の下で行われる実験は、どれも正気を疑うものばかりだった。

 別の部屋では、黒い結晶が大量に並べられ、研究員たちが呟いていた。


「この弱者、魂の抵抗値が低いな。精霊を押し込むには好都合だ」

「術式反応は? 破裂しなければ合格だが」

「まあ、壊れたら壊れたで構わん」


 その言葉だけで、思わず手が震えた。

 ──リュミエールが言っていた歪み。

 彼が壊したいと言った、その理由がようやく理解できた気がした。

 だが、だからといって。


「ユウト……大丈夫ですか?」


 フィオナが心配そうに僕を見る。


「……うん。大丈夫。だけど……」


 言葉を選びながら、僕は息を吸った。


「これは、僕の道でも否定してる。弱者を尊重しない道は……僕の答えじゃない。『支配の道』は、ここまで弱者を否定するのか……?」


 フレイアが、少しだけ笑った。


「まあ、普通は耐えられないわよ。こんな光景」


 ギデオンは拳を握りしめていた。


「……自分は、守護の視点で見ても……これは、看過できない。弱者を守ろうとする意志が、ここには一つもない……」


 リアは震える手で眼鏡を直した。


「知……知識の探究として見ても……これは倫理崩壊を起こした暴走研究です……」


 カイルは三人の声を聞き、静かに頷いた。


「ええ。黒翼院とは、そういう場所です。では──皆さま、次の部屋へ参りましょう。ここはまだ序の口です」

「序の口……?」


 フィオナが震えた声を出す。


 だが、カイルは続けた。


「黒翼院の“深層”には、帝国が秘密裏に進める計画があります。闇の大精霊の骨……それを使った兵器、人為的霊触者生成、魂の抽出実験……黒翼院はまだ本性を見せていません」


 僕は、胸の奥が凍りついたように感じた。

 ──帝国の闇は、これが入口なのか。

 そう思いながら、僕はゆっくりと歩を進めた。

 この国の答えを知るために。そして、リュミエール=サルバの問いに、真正面から向き合うために。

 僕は──黒翼院のさらなる深部へと、踏み入れていくのだった。

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