リュミエール=サルバの目的
翌日も、僕たちはカイル・ヴェルナーの私塾へ向かった。
昨日と変わらず、玄関で出迎えた彼は丁寧な口調のまま淡々と言った。
「本日もよくいらっしゃいました。では……帝国の構造について授業を始めましょう」
席に座るなり、挨拶もそこそこに授業開始……まあ、こういう雰囲気は嫌いじゃない。大学でも、僕は席に座ると「さっさと抗議が始まればいいのに」とよく思っていた。
カイルは黒板に白いチョークを滑らせ、十六の支配領を円形に描いた。
「皆さまもご存じの通り、ドラク=ドミナは連邦構造の国家です。中心はここ、首都ドラグ・ノス。そこには黒翼院と黒竜騎士団、黒鎖庁が集中しています。帝国の頭脳、牙、鎖――三つの象徴、と言ったところでしょうか」
「……やっぱり、支配を前提にした構造なんですね」
リアが呟く。
カイルは微笑もせず、ただ頷く。
「ええ。当然です。『弱者は従うもの』という理念は国家全体に染み込んでいますから。強者が弱者を管理し、監督する。それを不公平とは誰も考えません」
フレイアが肩をすくめた。
「やっぱ、好きになれない国だわー」
「お気持ちは理解しますよ。しかし、ここでは好き嫌いは思考の外です。帝国は力を軸に秩序を築き、そして成り立っている。そこに倫理は介在しません」
ギデオンは眉を寄せ、フィオナは静かな視線でカイルを見ていた。
そんな中、カイルは続けた。
「さて、ユウト君。昨日『もっと知りたい』とおっしゃいましたね。では質問です。この国の弱者はどうあるべきだと思いますか?」
真正面から問われて、僕は息を整えてから答える。
「弱者が弱者のままでも、生きられるなら……それがこの国の理なんだと思う。僕の価値観と違っても、外から否定する権利はない」
「なるほど……面白いですね」
カイルはほんのわずか、皮肉めいた笑みを浮かべた。
その瞬間だ……――気配が変わった。
私塾の扉がノックもなく開き、白衣のような衣をまとった男が入ってきた。
その男……一度しか会ったことはないが、忘れられる存在ではない。
光骸導師リュミエール=サルバ。虚環教団の導師の一人だ。
にこやかな笑みを浮かべ、どこまでも爽やかに言う。
「やあ、授業中に失礼するよ。ユウト君、少し話をしても構わないかな?」
カイルが眉をひそめる。
まだ驚きはあったが……恐怖よりも驚愕、困惑の方が大きい。
カイルは、嫌悪感を隠さず言う。
「……勝手に入られるのは困りますね、導師殿」
「すまないね。だが、二回目の授業と聞いてね……キミの授業ならもう、帝国の構造について、ある程度話は進んでいると踏んだ。それを踏まえて、つい聞きたくなってね」
リュミエールは僕に視線を向けた。
「帝国について、どう思う?」
不意打ちのような問いだった。でも……昨日からずっと考えていたことだ。
僕は迷わず答えた。
「強すぎる国だと思いました。弱者への慈悲もなく、力だけで秩序を作っている……でも、それでも成り立っているなら、それはこの国の答えなんだと思います」
リュミエールの目が細くなる。
「なるほど。では……こうは思わないかい? ――歪んでいる、と」
彼の声は、やさしいのに寒気がするほど冷たかった。
「帝国は支配を理念に掲げ、弱者を秩序のための資源と扱っている。この国は、もはや正常ではない。だから私は壊したいと思っている……ユウト君。君も手を貸してくれないか?」
空気が変わる。
リアが息を呑み、ギデオンが立ちかけ、フィオナとフレイアが身構えた。
でも――僕は手で制して答えた。
「……無理です」
「ほう?」
「たとえこの国が歪んでいるとしても、それを変える権利は僕にはない。魂の道は、それぞれの国の答えだと思っています。『支配』が間違っていたとしても……僕には、それを否定する資格はありません」
リュミエールの瞳が愉悦に細まる。
「それが……君の答えか」
「はい」
「面白い。本当に面白いよ、ユウト君。期待以上だ」
彼は笑った……明らかに楽しそうに。
「では――最後に贈り物をしよう」
懐から取り出されたのは、黒い金属の印章だった。
円形の石に、翼を広げた竜の紋章が刻まれている。
それを見て、カイルが目を見開いた。
「それは、黒翼大公家の象徴……!!」
「これを持っていれば、黒翼院・黒竜騎士団・黒鎖庁……すべてに出入りできる。帝国の最奥を、この目で見るといい――君が、今と同じ答えを言えるかどうか、楽しみにしているよ」」
印章を手渡しながら、リュミエールは囁く。
「君は『自分の道』を歩んでいる。ならば、見極めなさい……魂の道として、漂魂者として、ね」
そう言い残し、白衣を翻し、彼は教室を去った。
しばらく誰も声を出せなかった。
沈黙を破ったのはカイルだった。
「……ユウト君。それは本物ですよ。黒翼大公家の正式印章。帝国の中枢機関に自由に入れるなんて、常識的にありえません」
カイルの声が興奮で微かに震えていた。
「まさか……導師殿が君にこれを渡すとは。これは……非常に、非常に価値がある!」
「そ、そんなに?」
「ええ。これがあれば帝国の真の姿を見られます。黒翼院の研究、黒竜騎士団の力、黒鎖庁の裏側……全部です!!」
フレイアが肘で僕をつつく。
「ユウト、どうすんの?」
「まあ……ここまで来たら、ね」
ギデオンは深く頷いた。
「……見極めなければならないな。この国の弱者がどう生きているのか」
フィオナは手を胸に当てる。
「『協調』の視点からも……観察する価値は十分にありますね」
リアも眼鏡を押さえながら言った。
「研究対象としても……興味深すぎます。ぜひ行きたいですね」
そして――カイルが珍しく微笑んだ。
「私も同行いたします。皆さまの『案内役』として……あの三機関は、まともな倫理観では理解しがたい場所ですので」
僕は印章を握りしめ、深呼吸した。
これは、帝国の心臓部へ踏み込む切符。そして――リュミエール=サルバの問いに、改めて向き合うための試練だ。
「……行こう。黒翼院に。黒竜騎士団に。黒鎖庁に。この国の真実を見に」
授業はそこで終わったが、胸の高鳴りはしばらく止まらなかった。




