市街散策
午後の課外活動が終わり、帝都の門へ戻るころには、空は薄く朱色を帯びていた。
「では……次は、市内の散策を行いましょう」
カイルは無表情でそう告げると、黒い外套の裾を翻し、歩みを帝都へ向けた。
さっきまで魔獣を闇に沈めていた人間とは思えないほど、普通に歩く。
僕たちはその後ろに続いた。
帝都ドラグ=ノスは、遠目から見るとただの巨大な城塞都市にしか見えなかったが――門をくぐった瞬間、空気が変わった。
僕は驚いて呟く。
「うわ……なんだこれ」
「なんか、気持ち悪いわね……」
フレイアが思わず立ち止まる。
街の中心にそびえる巨大な塔。黒曜石のような黒い壁で造られた建物群。
石畳は綺麗に整備されているのに、人の目つきはどこか荒んでいる。
そして、リアが言う。
「……なんか、視線が刺さってます」
リアがそっと僕の腕を引いた。
彼らの視線は、明確に僕たちを値踏みしていた。いままで訪れた国では感じなかった種類の圧力がある。上か下か、強いか弱いか、それしか基準が存在しないような……そんな眼。
初めて帝国に踏み込んだ時は、光骸導師リュミエール=サルバとの遭遇があって他のことが気にならなかったけど……改めて周りを見ると、いろいろ気付かされる。
「ここが帝都ですよ。皆さん、気をつけて行動なさってくださいね」
カイルが淡々と注意する。
「この国では、霊触者は『生まれながらの支配階級』とされています。あなた方も例外ではありません。むしろ、見知らぬ者ほど……面倒なほど観察される」
「支配階級、って……」
僕が言葉を選んでいると、カイルは首を少しだけ傾けた。
「当然のことですよ。力ある者が上に立ち、弱者は従う。それがこの国の摂理ですから」
あまりにも当たり前のように言った。
「……ミルフェリアとは真逆だな」
思わず漏れた僕の言葉に、カイルは薄く笑ったような、笑っていないような曖昧な表情を見せる。
「調和と平等、でしたね? あれは夢物語です」
「夢物語……?」
「力は常に偏るものです。誰かが上に立ち、誰かが下に落ちる。それが自然。平等は、人の願望でしかない――帝国はそれを理解し、受け入れている国なのですよ」
冷たい、しかし論理としては筋の通った声だった。
僕は返す言葉がなかった。
◇◇◇◇◇◇
街の中心へ向かう道すがら、さまざまな光景が目に飛び込んできた。
「おい、どけよ!! 通りが狭いんだよ、テメェら下層民がよ!!」
「も、申し訳ありません……」
黒翼の紋章を胸に付けた少年が、老人に怒声を浴びせている。
老人は土下座のように地面に頭を下げ、震えていた。
「……子どもがあんな態度を?」
リアの声は震えている。
カイルは表情を変えずに告げた。
「『黒翼貴族』は帝国内で絶対的な身分です。たとえ十歳の子供であろうと、黒翼の紋章を持つ者にはすべての権力が与えられます」
「弱者は従うべき、ってやつか……」
ギデオンが低く呟く。
街の至るところに、黒い鎧を着た兵が立っている。
見ていると、カイルが言う。
「あれは『黒鎖庁』の職員です。国家への反逆、取り締まり、国民が不穏な動きをしないよう諜報をするための機関です。まあ、国民の無駄な暴走を取り締まる機関と思ってくれればいいでしょう」
つまり、警察組織みたいなものか。
武器を携え、黙って通行人を監視している。すると、近くの家の玄関前で、職員が住民を囲んでいるのが見えた。
「おいお前。税の支払いが遅れていると報告が入っているが?」
「う、うそだ……ちゃんと払ったはず……!」
「言い訳は要らん」
バサッ、と黒鎖庁の兵が手を振ると、後ろから別の兵が男を拘束した。
「ひっ……な、なんでだ!?」
「拘束する。詳しく話を聞かせてもらうぞ」
そう言って、住民は連れて行かれた。
僕らがその光景を見ていると、カイルは言う。
「弱者の抵抗は無意味ということです」
カイルは淡々とそう言った。
「これが……帝都の日常です。弱者の暴走を抑えるのが黒鎖庁の役割。反抗は国家転覆の芽。それを摘むのです」
「暴走……って、ただの必死な抵抗じゃないのか?」
僕は思わず反論した。
カイルは目を細め、静かに僕へ言う。
「ユウトくん。あなたは『弱者の視点』で物事を見ています。しかし、この国では『強者の視点』こそ正義です。弱者が苦しむことは、強者が楽をするために必要な犠牲。それを否定するのは……甘さですよ」
ぐさりと胸に刺さった。
正しい、とは言いたくない。けれど、この国ではそれが普通ということだ。
◇◇◇◇◇◇
さらに歩くと、広場の中央で喧噪が起きていた。
「なにあれ……?」
フレイアが目を見開く。
そこにいたのは、漆黒の鎧を見に纏う騎士の一団だ。
全員が霊触者だ。それに……とても強い。
カイルはモノクルを上げて淡々と言う。
「黒竜軍団……帝国最強の騎士団ですね。侵略と支配の象徴です」
「……強者、ですね」
フィオナが顔を青くする。
竜騎士たちは傲慢と誇りを混ぜたような眼で周囲を見下ろしていた。
通行人はみな一斉にひざまずく。
「おい、そこの者。頭が高い」
竜騎士の一人が不機嫌そうに言った。
対象は――ギデオンだった。
「自分にか?」
「そうだ。貴族に対して無礼だと思わないのか?」
ギデオンは沈黙した。
怒っているのが分かったが、反論しないのは大人の判断だろう。
だが、カイルが一歩前に出る。
「彼らは私の生徒です。現在、課外指導中。問題行動は避けていただけますか。それに、彼らは全員が霊触者です」
「……ふん。貴族でも教師は面倒だな」
舌打ちした竜騎士は、竜を操り空へ舞い上がっていく。
「……助かった」
ギデオンが息を吐くと、カイルは小さく肩をすくめた。
「あなた方は霊触者です。それだけでこの国では上位。しかし……黒竜軍団はまた別の階層。彼らは選ばれた強者。プライドは高いですよ」
「……階級が全部、力なのだな」
「ええ。力がある者は何をしても許されます。弱者は『存在を許されているだけ』です」
言葉は冷たい。けれど、嘘は一つもなかった。
◇◇◇◇◇◇
街の最も賑わう大通りへ出ると、活気と喧噪が支配する世界があった。
商人の呼び声、帝国兵の巡回、黒翼貴族の乗る豪奢な馬車、そして膝をついて道を譲る下層民。
どこを見ても、上下関係が明確に線で描かれている。
「……これがドラグ・ドミナ帝国の日常かぁ」
僕は呟く。
「はい。強者が秩序を作り、弱者がそれを支えます。この構図が崩れれば、帝国は成り立たない」
カイルは静かに言った。
「ただし――この国の制度を壊そうとしている人物がいます」
え……と僕たちは一斉に顔を上げた。
「リュミエール=サルバ導師ですよ」
カイルの目が僅かに光る。
「彼は『貴族制度を破壊したら、この国はどう変わるのか』――それを知りたがっている。思想家と言えば聞こえはいいですが……やっていることは、実験です」
ざわり、と僕の背筋に寒気が走る。
リュミエール=サルバ――あの優しげな笑顔で、そんな危険思想を?
「彼はいずれ、帝国を混乱に陥れるでしょう。それが『信念』だからです」
「……なんだか、巻き込まれそうな気がするなあ」
「間違いなく」
カイルは断言した。
「いずれ、あなた方は彼と敵対します。彼は道を曲げない。あなた方が立ち塞がるなら……排除するでしょう」
夕陽に照らされる帝都は、美しく、そして歪んでいた。
強さがすべての国。弱者は踏みつけられ、強者は笑い、秩序は徹底された支配で保たれる。
カイルは街を見渡し――静かに言った。
「ようこそ、『支配の国』へ。これが、あなた方が学ぶべき帝国の本質です」
その言葉に、僕たちは誰も返すことができなかった。




