カイル・ヴェルナーの特別授業(前編)
『ドラグ=ドミナ帝国とは何か』
カイル・ヴェルナーは、黒板にチョークを軽く叩きつけるようにして立った。
その仕草ひとつで、空気が締まった。
「――では、生徒諸君。授業を始めます」
ピシッ、と黒板に走る白い線……静かなはずなのに、妙に威圧感がある。
僕たちは教室の中央に並んで座った。
フレイアはさっそく欠伸をしているし、リアは緊張で背筋が伸びている。
フィオナはメモを取る気満々で、ギデオンは何故か腕組みをしていた。
僕もメモの用意をする。わからないことを知る行為、『勉強』は正直かなり好きなので、久しぶりの『授業』という言葉にワクワクしていた。
「まず、あなた方が最も知りたいであろうこと――『この国の根幹』について話しましょう」
カイルは淡々と、しかし鋭く言葉を紡いだ。
「ドラグ=ドミナ帝国。理念は実に簡単です」
黒板に、大きく【支配】と書き、カツンとチョークを叩きつけた。
「し、支配って……そのままじゃないですか」
思わず口にすると、カイルはこちらを横目で見た。
「そのままです。曖昧さはありません。この国における秩序とはすなわち支配。弱者が強者に従う――それが自然だとされています」
「随分、極端……ですね……」
と、リアが言う。
カイルはニヤリと笑い、手にあるチョークを弄んだ。
「極端? 珍しい感想ですね。帝国ではこれを『真理』と呼びます」
カイルはまた黒板に文字を書く。
【支配こそ秩序】、【弱者は従うべき存在】
いやいや……書いてある内容だけで、胸がぞわっとする。
「では次に、帝国の『魂の道』を説明しましょう」
黒板に、僕らがよく知る言葉が書かれた。
――【支配の道】
「あなた方の国が調和だの平等だのと称して争いを避けるのとは対照的に、この国では争いは奨励されます。生存競争こそ、強さを証明する唯一の手段だとされているからです」
フレイアが眉をひそめた。
「……ほんとに、そんな考え方が広まってるの?」
「広まっているのではなく、根付いているのです。そして、最も象徴的なのが――『霊触者』の扱いですね」
カイルはチョークをくるりと回し、黒板の端に書き足す。
――【レグナス、生まれながらの支配者】
「えっ……?」
僕は思わず声を漏らした。
「この国において霊触者とは神の選別者。生まれつき支配する側。階級として最上位に位置づけられています」
「上位……?」
「最上位……」
リアもフレイアも、あからさまにぴくっと肩が動く。
僕は、胸の奥でざわっとしたものを感じた。
僕らは霊触者だ。帝国に生まれていたら……僕たちは?
「ユウト。君は今、自分がどう扱われるか考えたでしょう?」
「……まあ、ちょっと」
「正しく恐れることです。その違和感は、あなたの人間性の証でしょう」
淡々と言われたのに、少しだけ救われた気がした。
「次に――帝国の『連邦構造』について説明しましょう」
黒板に大きく図が描かれた。
その中央に『ドラグノス』と書かれ、周囲に十六の領が連なる。
「ドラグ・ドミナは十六の支配領を束ねる大国。それぞれの領を治めるのが『黒翼貴族』――竜騎士爵です」
「竜騎士爵……?」
「あなた方が会うことは、ほぼありませんよ。彼らは帝国を実質的に動かす支配階級。そして、その頂点に立つのが――」
カイルは黒板に力強く書いた。
――【黒翼大公】。
「帝国に八家しか存在しない純血の竜騎士家です。闇の精霊王オルド・グランの加護を受けることが許された、特別な家系」
ギデオンが腕を組んだ。
「自分の想像以上に、極めて閉ざされた家系なのだな」
「閉ざされていなければ権力の維持はできません。そして生まれながら強”の証明を持つ者たちですからね」
そこでカイルは、ちら、とこちらを見て言った。
「あなた方が会った、リュミエール=サルバ。あの方も、この黒翼大公の血筋です」
さらっと言うなぁこの人。
フレイアとリアが同時にため息をついた。
「なんでそんな人が、あんな胡散臭い……」
「人格と血筋は比例しない、ってことね……」
カイルは聞こえているのかいないのか、淡々と進める。
「次に――貴族階級を説明しましょう」
カイルは六段階に区分した表を黒板に書き出した。
①【黒翼大公】
②【竜翼公爵】
③【霊鱗伯爵】
④【外翼子爵】
⑤【徒鱗士】
⑥【臣民】
僕らは目を丸くした。
「すごい……細かい」
と、リアがメモを取りながら言う。
僕もメモを取り、フレイアは「覚えにくっ……まあユウトやリアいるからいいや」と大きな欠伸をした。ギデオン、フィオナも黒板を注視している。
カイルは続ける。
「能力主義の国ですからね。強さが地位を決定します。生まれより力が重視される珍しい国ですよ」
「珍しいけど……なんだが歪んでる、ような……」
とフィオナ。
ギデオンも無言でうなずいた。
「歪み? どの国も歪んでいますよ。帝国はそれを隠さない、というだけです」
さらっと言うな、本当に。
「霊鱗伯爵や外翼子爵は、霊触者の素質がある者たち。徒鱗士は霊触者でなくとも剣術や武術で強さを示した者。下へ行くほど強さの証明が乏しくなる階級です」
「……普通の人は?」
「最下層の臣民、ですね。弱者は弱者らしくあるべきだ――とされます」
フィオナが息を呑む。
「弱者を……否定しないんですね」
「ええ。弱者が強者を否定しない限りは」
最後に、にっこりと笑う。
「反逆すれば即、処刑ですが」
……こわっ!!
フレイアが思わず背もたれにのけぞった。
「それ、笑って言うとこじゃないでしょ……!」
カイルは「そのですか?」と言うと、黒板に文字を書き始める。
「では次に、帝国を支える三つの主要組織を紹介しましょう」
黒板に三つの名が並ぶ。
『黒翼院』、『黒竜軍団』、『黒鎖庁』。
「名前からして怖っ……」
とフレイア。
僕も思った。怖いし、正直覚えにくいな。
「実際に怖いですよ。黒翼院は精霊術の研究機関。倫理は概念として存在しません。弱者を使い精霊力の実験に使うなど当たり前です」
「そんな、そんなことが許されていいのですか!? 倫理は存在しないのですか!?」
「必要ないので」
フィオナの手がわずかに震えた。
「弱者を……実験に」
「ええ。珍しいことではありません。リュミエール=サルバも名誉院長扱いです」
「…………」
なんか、あの胡散臭さがだんだん理解できてきた。
「黒竜軍団は帝国最強の武力。竜騎士階級を中心に構成され、侵略と支配の象徴です」
「おお……強そうだ」
とギデオン。
カイルは当たり前のように頷く。
「強いですよ。あなたでは十秒持ちません」
「辛辣だな」
「事実です」
淡々と処理されるギデオン。
ちょっと面白いと思ってしまった。
「そして黒鎖庁。これは帝国の内務・警察・諜報機関です。弱者の無駄な暴走を処理する機関ですね」
黒鎖、という名前に冷たいものを感じた。
「処理って……」
「反逆は即処刑、と先ほど言ったでしょう?」
カイルはごく自然に言ってのけた。
黒板が文字で埋まり、カイルは軽くチョークを置いた。
「――以上が、ドラグ=ドミナ帝国の基本構造です」
僕たちは、それぞれに重い息を吐いた。
「なんていうか……想像以上に、徹底してる国なんですね……」
「当たり前でしょう。帝国は強さを美徳とする国です。隠し立てをする必要がどこにあります?」
カイルは、そこで僕たち全員を見た。
「あなた方がこの国を旅するなら、この価値観を理解しておく必要があります。弱者が弱者であることを否定しない――これは美徳ですらある。だが、強者の邪魔をする弱者は、ただ処分されるだけ」
「…………」
僕は喉を鳴らした。
わかっていたつもりだった。
だけど実際に言われると、こんなにも冷たくて、厳しくて、残酷なんだ。
「……でも」
気づけば、自然と口が動いていた。
「それって――本当に正しいんですか?」
カイルは、静かに瞬きをした。
そして、わずかに……ほんの僅かに、口角を上げた。
「正しいかどうかは、あなた方自身が決めることです。私は帝国の事実を教えているだけですから」
その声は冷たくも、どこか誇りを帯びていた。
「さあ――授業はまだ始まったばかりですよ。あなた方には、この国の底まで学んでもらいます」
そう言って黒板に向き直るカイルの背中は、
なぜか、教師というより案内人のように見えた。
この国の闇へと続く道の、案内人。
僕たちは、否応なくその授業を受けることになる。
帝国の本質――その扉が、今、開いたのだった。




