カイル・ヴェルナー
帝国の大通りを抜け、しばらく住宅街を歩いていくと、建物の区画が徐々に落ち着いた雰囲気に変わっていった。
豪奢さはあるが、どこか硬質で、威圧感がある――いかにも帝国の『貴族区画』という感じだ。
目的地は、その一角にぽつんと存在していた。
「ヴェルナー私塾」と記された木看板は、貴族の豪邸が並ぶ中ではあまりにも地味で、逆に目立つ。
「……ここ、でいいんだよな?」
「はい、ユウト。地図の印も一致してます」
「貴族の街で塾……って、なんだか変な感じね」
「教師か……自分は苦手だな」
「私は、少し興味がありますね」
みんながそれぞれ反応していると――突然、塾の扉が勢いよく開いた。
「――もうついていけません!!」
「失礼しますっ!!」
十代後半くらいの青年と少女が、泣きそうな顔で飛び出してきた。
僕らに気づく余裕もなく、二人はそのまま全力で逃走していく。
「……え、何? 今の」と僕。
「逃げた……よね?」とフレイア。
「うむ。あれは、完全に逃亡の足取りだった」とギデオン。
「いきなり暗雲なんですけど……」とリア。
「もしかして、危険なのでしょうか?」とフィオナ。
塾の中で、一体なにが起きてるんだろう。
僕は扉の方に顔を向け――そして。
中から、ゆっくりと細身の人物が姿を現した。
長い黒髪を後ろで束ね、片目には銀のモノクル。
真っ白なシャツに黒のロングコート。
整った顔立ちだが、表情の温度はひどく低い。
そして、右腕には大きな本。左手にはチョークの粉がついている。
見るからに――教師のような人だ。
「……ご来訪ですか?」
声もまた静かでよく通る。
だが、どこか人を見下すような、柔らかい皮肉を含んだ響きがあった。
この男が、カイル・ヴェルナー。
僕はそう直感した。
「ええっと、急にすみません。僕ら――」
「結構です。名乗りは必要ありません」
きっぱりと、カイル・ヴェルナーは言った。
「あなた方が、授業をぶち壊しに来た騒がしい一般人でない限り、ですが」
「いや、壊しには来てないけど……」
「ならよかった。今日だけで七人目ですからね、授業放棄は」
七人目……?
さっき逃げていった二人のことか……と思ったら、その倍以上は脱走者がいるらしい。
目の前の男は淡々と言葉を続ける。
「さて……あなた方が何を求めて来たのか。推測して差し上げましょうか?」
「えっ、いや別に……」
「リュミエール=サルバの紹介、ですね?」
――一瞬、呼吸が止まった。
「……なんでわかる?」
「わかりますよ。あの方が関わった人々は、皆、同じ顔をしてやって来る」
カイルはわずかに肩をすくめて微笑んだ。
「――『わけがわからなくて混乱している顔』です」
どこか白けたような目で、カイル・ヴェルナーは言う。
僕はみんなを見て首を傾げた。
「そ、そんな顔してたかな?」
ちょっと不安になっていると、みんなが言う。
「ユウトはしてたよ、ちょっと」とフレイア。
「自分もそう見えた」とギデオン。
「……私にはよくわかりません」とフィオナ。
「私はノーコメントで」とリア。
どうやら、僕の顔は混乱していたように見えたらしい。
カイル・ヴェルナーは軽く咳払いをして言う。
「それで……あなた方は、あの優男に言われて来た、と」
カイルの「優男」の言い方が、ひどく冷えていた。
あれは完全に――つまらなそう、というか、小馬鹿にしている口調だ。
「失礼ですが、あの方は私のことを『説明係』と思っているようだ。私も暇ではないのですがね。全く、面倒な」
冷たい目をしたまま、淡々と毒を吐く。
……この人、リュミエール=サルバとは相性悪そうだな。
「ええっと……僕たちは、この国のことを少し知りたくて」
「知りたいのですか?」
「え、ええ」
視線を向けられる。まっすぐ。透き通るほど冷たく。
カイルはゆっくりとため息をついた。
「……困りましたね」
「え?」
「あなた方のように『動機が曖昧な人間』ほど、授業では扱いづらい」
思わず詰まる。
「授業って……」
「わたくしは教師です。質問したいなら、まず生徒としての姿勢を整えるべきです」
「つまり――私塾に通え、ってこと?」
「そうなりますね。ああ、ご安心を。一般生徒と同様に扱いますので、貴族扱いは致しませんよ」
いや、安心すべきなのかどうか。
すると、リアが小さく呟いた。
「ユウト……どうしますか?」
「どうするって……」
たしかに導師が言っていた通り、この人が帝国の本質を教えてくれる存在なら、避ける理由はない。
逆に言えば――この国では、知らないことが多すぎる。
強者の論理、霊触者の扱い、貴族制度。
いろいろと、知っておく必要がある。
僕は小さく頷いた。
「……入学、します。みんなもいいよね?」
「ええ、『知恵』を歩む者としては、非常に興味があります」
「あたし、寝ちゃうかもー」
「自分も興味がある」
「同じく、私もです」
気がつけば、全員の意思は固まっていた。
カイルは、眉ひとつ動かさず言う。
「なるほど。五人揃って、ですか。……はぁ」
嫌そうにため息をついた。
「こんなに集団で来られたのは初めてですね。教室が狭いので座席の確保が大変です」
「……迷惑?」
「迷惑といえば迷惑ですが、まあ構いません」
カイルは本を軽く叩いて言った。
「教師として、生徒が増えるのは悪いことではありません。人材の品質に問題がなければ、ですが」
さらっと悪口を言われた気がする。
「ただし、一つだけお伝えしておきます」
冷たい目で僕たちを順に見ていく。
「わたくしは優しくありません。教えることはしますが、甘やかしはしませんので」
「え、ええと……できれば優しく教えてほしいけど」
カイルは首を傾けた。
「あなた方は『知りたい』と言った。わたくしは『教える』と言った。ならば互いに誠実であるべきでしょう?」
言われてみればその通りだ。
でもこの人……なんだかその、やっぱり怖い。
「では――」
カイルは塾の奥、扉の向こうを指した。
「あなた方五人。今日からわたくしの私塾の『特別生徒』です。授業はすぐに始めますので、各自、席に座ってください」
特別生徒……なんか、嫌な響きだ。
「ユウト……これ、だいじょうぶでしょうか?」
「わかんない。でも……やるしかない」
不安と期待が入り混じった気持ちで、僕は一歩踏み出した。
私塾内は、けっこうな広さだった。
大学の教室よりも狭いが、僕ら五人で使うなら問題のない広さだ。
席に座り、カイル・ヴェルナーは教壇へ立つ。
モノクルの奥で、カイルの瞳が淡く光る。
冷たいけれど、どこか燃えるように強い意志を宿して。
「では、生徒諸君。 ――『帝国とは何か』、本質から叩き込んで差し上げましょう」
その一言で、空気が一気に変わった。
こうして僕たちは、ドグラ・ドミナ帝国の異端教師、カイル・ヴェルナーの私塾へ正式に入学したのだった。




