それは突然に
黒い壁が空を塞いでいた。
いや……正確には、壁のように巨大な門だった。
湖上国ミルフェリアの透明な水の世界から、僕たちはいま黒竜石の門の前に立っていた。
僕らは正門に入る列に並び、正門を見上げて言う。
「……いやはや、近くで見るとすごい大きさだ」
思わず息を呑む。
帝国の門は、高さが城壁どころじゃない。巨大な聖堂を縦に三つ積んだみたいな高さがある。
黒い石は光を吸い込むように鈍く輝き、中央には竜の頭蓋骨を模した紋章が彫られていた。
フレイアが呆れたように言う。
「なんか……デカすぎない? どうやって作ったのよ、これ」
リアは辞典をぱらぱらとめくる。
「黒竜石。ドラグ・ドミナでしか採れない鉱石を使ったようですね。精霊力を通すと鋼より硬くなるとか……」
「ほう……素晴らしい造形物だな」
ギデオンはごく自然に構えを整えるように背筋を伸ばしていた。
フィオナは、普段より少し緊張しているのがわかった。
僕の喉も自然に鳴る。帝国に入るだけで、こんなにも圧があるんだな……。
「――次の方」
低く鋭い声がかかった。
門前の番兵だ。鎧には黒竜の紋章が刻まれている。
その視線は冷たく、必要以上の感情がない。
僕たちは歩み出た。
「この国ヘは何をしに?」
フレイアが僕の袖を引く。
「ね、どうするんですか?」
「まあ、隠すことじゃないしな……」
僕は深く息を吸って言った。
「僕らは旅の者です。霊触者が数名、同行しています」
番兵たちがわずかにざわついた。
「霊触者……? 本当か」
僕らはそれぞれ、手のひらに精霊力を集めて操作する。
すると番兵の態度が一変した。
「確認した。霊触者の方々は、通行制限の対象外だ。帝国は歓迎する」
え、あっさり……?
僕たち全員が、思わず顔を見合わせた。
「……ええと、名前とか、身分とか……通行時に確認する手順を踏んでいませんが」
リアが思わず尋ねると、番兵は当然のように言った。
「神選の御方がたに疑念を向ける理由はない。どうぞご通行を。――力ある者は、いつでも歓迎される。それがドラグ=ドミナの法だ」
その言葉が、妙に重く響いた。
門が開く……黒竜石が擦れる低い音が、地の底から響くように重かった。
「ええと……じゃあ、行こうか」
僕たちは黒い影の向こうへと足を踏み入れた。
◇◇◇◇◇◇
門を越えた瞬間、世界が変わった。
「……すご。なんか、思ってたより全然、賑やかなんだけど?」
フレイアが驚いた声をあげる。
僕も同じ感想だった。
支配と暴力の国――そんなイメージだったが、実際には市場が広がり、人々が行き交い、祭りでもあるかのような活気があった。
だが、ギデオンが目を細めて言う。
「あれを見ろ」
ギデオンが小さく指差す。
市場の一角では、堂々と鎧を着た貴族風の人物が歩くと、周りの人々が自然に道を開けていた。
肩をぶつけそうになった体の大きな男が、その場で地面に頭をこすりつけて謝っている。
しかも誰も止めない……それが日常であるように。
「……あれは騎士。そして、貴族ですね」
フィオナが淡々と説明した。
「聞いたことがあります……この国では霊触者であること、そして貴族であることが最上の価値を持つ。霊触者、貴族には頭が上がらないのは当然でしょう。この国の価値観では、それが自然の秩序です」
自然の……秩序。
僕は心が少しざわついた。
「なんだろう。豊かだけど、息苦しいような……そんな気配がするな」
「ユウトの言う通りですね」
リアがノートを開きながら呟く。
「国自体に不満は少なそうです。ただ……秩序が徹底されすぎている。役割を疑わないことで、争いが起きないようにしている気がします」
「強い者と弱い者は明確に分かれている。弱者が逆らわなければ、誰も傷つけない……そういう国か」
ギデオンが静かに言った。
フレイアは不服そうに眉を歪める。
「なんかムカつく。生まれた時点で決まってるみたいじゃん」
フィオナは少し複雑な表情をしていた。
「……でも、私たち霊触者は、この国では上位の位置なんですよね。そのことが……私は少し、怖いです」
フィオナがそう感じる理由は、きっと一つじゃない。
自分は作られた霊触者だったという事実。それを知ってしまった彼女には、余計に重いのだろう。
ギデオンはそっとフィオナの肩に手を置いた。
「大丈夫。自分たちは、誰かに選ばれたわけじゃなくて……自分で選んでここにいる。それは、この国の誰にも支配できない」
フィオナは少し驚いたように目を丸くし、そして……微笑んだ。
「……はい。ありがとうございます、ギデオンさん」
フレイアが腕を組んで言う。
「よし、とりあえず街の宿でも探そ。腹減ったし、フィオナの大食いはそろそろ補給切れるでしょ?」
「ちょ、ちょっとフレイア様……!!」
「はいはい。じゃ、どっか見て回ろっか」
僕らは市場を歩き始めた。
香草の匂い、焼き肉の匂い、武具店、精霊具店、露店まである。
活気に溢れている。でも、どこか均衡が崩れそうな緊張を孕んだ空気。
そんな中で――それは、突如として僕らの前に立ちふさがった。
「……ユウト様ですね?」
突然、柔らかな声がした。
目の前にいたのは、白金の髪。光を弾くような純白の外套。
そして、常に微笑んでいるような精悍な顔立ちの男。
男は胸に手を当て、優雅に礼をした。
「初めまして。私は『虚環教団』、八導師が一人……『信念』を司る光骸導師――リュミエール=サルバと申します」
僕らは硬直した。目の前に、いきなり、何の脈絡もなく、『道越者』が現れた。
あまりにも突如だった。言葉もなく唖然として、誰も武器を構えることもできない。
その笑みは優しい。けれど、僕の背中がぞくりとした。
柔らかいのに、底が見えない。
まるで光の仮面をかぶった闇のような――そんな気配。
「支配の国ドラグ=ドミナにようこそ。歓迎しますよ……『漂魂者』ユウト・カミシロ」
彼の微笑みが、太陽のように明るいのに……その影は、どこまでも深かった。




