調査開始
翌朝、僕らはミルフェリアの中央区にある『青環会』の本部を訪れていた。
昨夜、湖の汚染源を確認したあと、フィオナはすぐさま神殿に戻り、報告と対策の準備を始めてくれていた。
そして今、僕たちはフィオナに呼ばれ、次の一手を打とうとしている。
神殿の奥、白大理石のような通路を抜けると、蒼いステンドグラスに満たされた広間へ出る。
天井からは水のように透き通る布が垂れ下がり、足元の床には薄く水が流れていた。
その流れが、壁の文様に吸い込まれるように消えていく――精霊の循環を模したものらしい。
「ここが……『青環会』の本部か」
ギデオンが低くつぶやく。
昨日、僕とギデオンがいた神殿の奥はあくまで一般的な立ち入りをする場合の場所。さらに奥にあるこの場所こそ、『青環会』の本部らしい。
「……静かだね」
僕が言うと、フレイアが肩をすくめた。
「あたし、こういうところ落ち着かないなあ。水の音ばっかでさ」
「そうですか? 私はすごく落ち着きます。こういうところで勉強したいですね」
リアがたしなめると、フレイアは舌を出して笑った。
その様子に、思わず苦笑してしまう。
そんな中、奥の扉が開き、フィオナが現れた。
「来てくださったのですね。ユウト様、ギデオン様、リア様、フレイア様」
薄水色のローブをまとった彼女は、昨日よりも少し疲れた顔をしていた。
けれど、その瞳には強い意志が宿っている……聖女という言葉がぴったりだった。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、大きなテーブルがあり、壁一面が本棚になっている部屋だ。本棚には資料らしき本がギュウギュウに詰まっている。興味が尽きないが部外者である僕が見るわけにはいかないだろう。
フィオナはテーブルの周りに集まるように言い、僕らはテーブルを囲うように立つ。
「状況は?」
ギデオンが問う。
フィオナは頷いて、背後の書記官に合図を送った。
書記官が広げたのはこの国の詳細な地図。かなり大きい……街の細かい道はもちろん、排水関係のパイプや通路、水路関係も書きこまれている。
フィオナは、長い教鞭を取り出しテーブルを叩くと、テーブルが淡く輝き地図が見やすくなった。
そして、教鞭で地図を差す。
「こちらが、先日に確認した湖水が汚染された地域です。今朝、改めて確認したところ、皆さんが確認された北側区域を中心に、微量ながら汚染が広がっています」
「広がってるって……まだ半日経ってないけど、広がるモンなの?」
フレイアの言葉に、フィオナは頷く。
「昨夜、水属性の霊触者を集め、水の浄化を試みました。一時的に汚染が食い止められましたが……今朝確認したところ、汚染物質が増殖、再び侵食を開始しました」
その言葉に、僕は昨日の黒い水膜を思い出した。
不気味に蠢くそれは、まるで生きているようだった――いや、あれは確かに生きていたのかもしれない。
「汚染の成分、分析できそうですか?」
僕が問うと、フィオナは頷いた。
「そのために、皆さんにも協力をお願いしたいのです。『青環会』では、『知恵』の研究者により調査を開始しました。まだ何の成果も出ていませんが……」
「ま、半日経ってないもんね。でも、動き早くて感心するわ」
フレイアが言う。
確かに動きは速い。昨日、汚染が確認されたばかりなのに、もう研究者を呼んで対策を始めているのか。しかも『知恵』の研究者とは。
すると、フィオナが言う。
「ユウト様。あなたは昨日、何かを感じていましたね? 私たちには理解できない何かを、あなたは察知し、言葉に出していた……それが何なのか、教えていただけませんか?」
彼女の目は僕の奥を覗き込むような鋭さを帯びている。
必死さが伝わる。フィオナにとって、何よりも優先すべきことなんだと理解できた。
「僕が思ったことでよければ、力になります」
「ありがとう。あなたの力が、きっと鍵になります」
フィオナはそう言うと、書記官たちに指示を出した。
僕は書記官たちの質問に答え、僕が思ったことを言う。
黒いのは生物である可能性について、異世界の単語に置き換えて説明した。アメーバ、単細胞生物というのを理解させるのはなかなか大変だった。
話を終え、書記官たちは退室……僕の情報を、研究者たちに伝えに言った。
そして、ギデオンが言う。
「フィオナ殿。これまでに確認した、『濁環』の拠点などあれば教えてくれ。自分が出向き、何か痕跡がないか確認をしてくる」
「あ、アタシも行きたい!! 難しい話聞いてもワケわかんないしね」
「かしこまりました。では、『青環会』の案内人を数名お出ししますので」
「了解した。ではフレイア、行こう」
「よっしゃ。残党とかいればブッ倒しちゃうぞー」
ギデオン、フレイアが出て行った。
「僕とリアは、研究の手伝いかな」
「そうですね。汚染物質……何かわかることがあるかもしれません」
「では、研究所へご案内します」
僕とリアはフィオナと共に、神殿奥にある水路から船に乗って湖上都の中心部へ向かった。
ミルフェリアは水上の国と呼ばれるだけあって、建物のほとんどが浮橋や運河でつながっている。
小舟が行き交い、水上屋台が並び、街全体が湖の上で揺れていた。
空を映す湖面が、どこまでも青い。
その青の中に、わずかに濁りが混じっているのが見て取れた。
「……あれが、汚染の兆候です」
フィオナが指さす先。湖面に薄く黒い筋が走っていた。
それはやがて渦を描き、細い筋道のように広がっていく。
まるで誰かが水の中に何かを撒いたかのように。
「汚染物質……広がっていますね」
「まだ騒ぎにはなっていないみたいだな……」
リアが目を細める。
僕は、汚染を見て不自然に感じた。
「自然拡散には見えない。悪意ある誰かが、汚染を促してるのは間違いないと思う」
「つまり、誰かが意図的にやってる……」
リアが眉をひそめる。
その誰か……間違いなく『濁環』で、その裏にいる雷過導師ディスを探すことが、今の目的のひとつだ。
◇◇◇◇◇◇
小舟が研究所に到着し、さっそく研究所内へ。
研究所の中は、湿った空気と魔法薬品の匂いに包まれていた。
机の上では青い液体が微かに泡立ち、壁にはよくわからない解析図が貼られている。
フィオナが僕に透明な瓶を手渡した。
「これが汚染水のサンプルです。昨日、あなたが触れた区域から採取したもの」
瓶の中では、黒い粒子がゆらめいていた。
「……動いてる?」
「ええ。まるで意思を持っているかのように反応します。精霊術による分解は不可能。火属性の術式でも焼き尽くせません」
僕は瓶を見つめながら、掌に微かに精霊力を集めた。
青い光が浮かび、瓶の中の黒が反応する……暴れるように、蠢き、そして。
「逃げようとしてる」
「精霊力に反発しているのです。まるで精霊そのものを憎んでいるかのように」
フィオナの声は沈んでいた。
「これは……『濁環』のものではない。彼らでもここまでの精度は不可能です」
「――雷過導師、ディス=ヴォルテクスしかないか」
僕は拳を握った。
――ディス。あの男の狂気が、また別の国を汚そうとしているのか。
守護の国での実験で何人が犠牲になったと思っている。
「止めないと」
自分でも驚くほど、強い声が出た。
「このまま放っておけば、湖も、街も、精霊たちも……全部汚水に飲み込まれる」
「そのために、女王陛下へ協力を要請します」
フィオナが静かに言った。
「女王陛下は『青環会』の最高後援者でもあります。ユウト様……謁見がこのような形になり、申し訳なく思います」
「気にしなくていい。というか、今はそれどころじゃないしね」
フィオナは微笑み、頷いた。
「では、準備を整えましょう。女王陛下は今夜、ミルフェリア王城の『祈水殿』でお待ちです」
◇◇◇◇◇◇
夕刻、ミルフェリア王城の敷地内にある、湖上に浮かぶ巨大な『祈水殿』へ。
水晶のように透き通った橋を渡りながら、僕は息を飲んだ。
「……すごいな」
水の上に建つ宮殿。
無数の柱が湖面に反射し、まるで空と水が溶け合うようだった。
ここが、湖上国ミルフェリアの心臓。
そして、女王陛下が祈りを捧げる、聖なる場所だ。
「ユウト様」
隣を歩くフィオナが、小声で言った。
「この祈水殿の水は『精霊の涙』と呼ばれています。かつて、水の精霊王ピスケスが流した涙とされる、ミルフェリアで最も透き通った聖なる水です。女王陛下はその涙水を守る者。どうか、無礼なきよう」
「わかりました」
僕は深く頷いた。
祈水殿の扉が開き、澄んだ鐘の音が響く。
静寂の中、白銀の衣をまとった女王が現れた。
彼女の背後で、青い水が踊るように舞っている。すごく神秘的な光景に、僕とリアは息をのんだ。
そして、女王陛下が言う。
「異国の旅人、『漂魂者』ユウト……ミルフェリアに災いを告げに来たのか、それとも救いをもたらす者か――」
その声は、水面に広がる波紋のように美しかった。
僕は一歩、前に出た。
「……救いを、です。この国を覆い始めた黒い水を止めるために、僕たちは来ました」
「左様か……して、私にできることは何か?」
僕とリアは顔を見合わせる。
「女王陛下に、お願いがあります」
僕は事情を説明する。
水の汚染が徐々に広まっていること、原因不明で対処に時間がかかること、その原因が『濁環』と、恐らく背後にいるのは雷過導師ディスであること。
そこまで僕が言い、リアが言う。
「女王陛下には、国民が不安にならないよう対処をお願いします」
「わかった。ふむ……『虚環教団』とはな。実在したことにも驚きだが……『道越者』となると、分が悪い。だが、協力はしよう……フィオナ」
「はい、女王陛下」
「今回の件、そなたが指揮を取れ。使えるものは全て使い、湖上国ミルフェリアの水を守ってみせよ」
「お任せください」
フィオナが一礼。僕とリアも一礼する。
これで、道が開けた……だが同時に、胸の奥に重い予感もあった。
ディス=ヴォルテクス。
もしあの男が、本当にこの国にいるなら。この静けさは、嵐の前触れにすぎない。
僕は湖上の風を感じながら、拳を強く握りしめた。
(必ず止める。どんな手を使ってでも……)
湖の水が、わずかに揺れた。
それはまるで、精霊たちが応えるように――僕の誓いを聞いているかのように見えた。
次の戦いは、もうすぐそこだった。




