風霊学術院
風霊学術院へ向かい、馬車は坂道を登って行く。
そして、浮かぶ岩が近づいていくと……馬車が止まった。
到着したのは、一番大きな研究機関。確か、『エレメンティア精霊研究所』だったか。
「ここから、エレメンティア精霊研究所に入り、中から『風霊学術院』へ向かいます」
「なるほど。高いところからの移動か」
リアについて研究所の中へ。
いやはや、すごい。中世の城の外観らしからぬ光景。
ロビーに入ると、多くの研究者がいた。本を抱えた研究者、同僚と議論しながら歩く研究者、ソファに座って資料に目を通している研究者、ただ雑談しているだけの研究者……とにかく、みんな白衣のような上着を着たヒトばかりだ。
リアは迷いなく奥の小部屋に入る。ドアが閉まると、足元がふわりと浮いた。
「昇降機か?」
「ええ。ここから上層へ──風霊学術院に続く道です。
すると、小部屋のドアがしまり、音もなく一気に浮き上がった。
ワイヤーを巻き取っているのかわからないが、全く振動がない。そしてドアが開くと、そこから見えたのは……なんとまあ、非科学的な光景だった。
「……おおお、これが」
「あの建物が、風霊学術院です」
目の前に、巨大な『岩』が浮かんでいた。そして、岩の上に立つのは神殿のような建物だ。
この辺りはかなり広いテラスのようになっている。柵があり、そこまで歩いて下を見ると……うん、落ちたら即死だ。
目の前で浮かぶ岩を見てもわからない。
「この岩、どうやって浮かんでいるんだ?」
「この岩石は『浮遊石』という材質です。風の精霊が支えているので浮かんでいるんですよ」
「精霊力か。いやはや、すごいな」
「さあ、こちらへ」
テラスの隅に、ゴンドラのような設備があった。
それに乗ると、ゴンドラがゆっくり動き出し、あっという間に反対側へ。
ゴンドラから降り、僕は風霊学術院の建物を見上げた。
「すごいな……」
「ようこそ、風霊学術院へ。漂魂者ユウト・カミシロ。私たちは、あなたを歓迎します」
リアは微笑み、僕に向かって一礼した。
僕も胸に手を当て、リアに一礼する。
「ありがとう。と……早速で申し訳ないんだけど」
「わかっています。では、食事にしましょうか」
風霊学術院に入り、リアの案内で食堂へ。
食堂内はすごく広かった。大学の講堂よりも広く、天井がすごく高い。
椅子も柔らかくて座りやすく、テーブルの高さも理想的だ。
「好きなものを頼んで構いませんので」
「じゃあ遠慮なく」
メニュー表を開く……と、あれ?
「……おかしいな、読めるぞ?」
リアのノートは読めなかったのに、このメニュー表は読める。というか、日本語だ。
漢字やローマ字、カタカナに平仮名が使われている。ここが僕の脳内世界だとしたら驚きはしない。
まあいい。今は食事が優先だ。
「じゃあ……この浮遊石パン、エアロ・リーフサラダ、グライド・ターキーの軽風焼き、風精霊プリンで」
「ふふ。人気メニューを全て制覇ですね。では私も同じものを」
定員に頼み、料理が運ばれてきた。
どの料理もおいしそうだ。個性的な名前だから少し覚悟したけど、見た目は普通のパン、サラダ、肉料理にデザートだ。
風精霊プリンが緑色だけど、それくらいは気にならない。
さっそく食べる。
「……うまい!!」
「ふふ、気に入りました?」
「ああ、これ、最高だな」
「そう言ってもらえると、案内した甲斐があります」
絶品だ。パンは柔らかくて甘い、サラダは少し青臭いがドレッシングが合う、肉はもう言うことがないくらい美味い……鳥肉かな? プリンは食べるとスースーした。
「ここは研究機関ですので、メニューも全て栄養価の高い、疲労回復効果があるんですよ」
「へえ、そりゃいいな」
完食、食後のお茶……なんと緑茶を堪能した。
けっこう量があったけど、リアも普通に完食した。
「……なんでしょうか。よく食べる女だ、とでも?」
「いやいや、そんなこと思ってないよ」
「では、食事も済んだし、まずは風霊学術院の主任研究員……私の上司に紹介します」
さて、いよいよか……この世界のこと、もっと知らないとな。
◇◇◇◇◇◇
リアと向かったのは、学術院の上層階にある部屋だった。
ドアをノックするが返事はない。リアがもう一度ドアを強くノックすると、何かが崩れるような音がした。
リアはため息をつき、ドアを開ける。
「セラ主席研究員。入りますよ」
「あいだだだ……ああ、リアか。帰って来たんだな」
「まったく、またサボって寝ていましたね? 報告があるので、お時間を」
「ああ。ん? そちらは……ほう、恋人か?」
「バカなこと言ってないで、立ってください」
部屋の中は、まるで本と紙に飲み込まれた小さな火山だった。
書類は山、酒瓶は谷、そして中央のソファには寝癖頭の研究者。
「よっと。さて、キミはリアの『報告』かな? ふむ……精霊力を感じる。キミも霊触者か」
「あ、あの……」
女性は顔を近付けてきたのでのけぞる。
間違いなく美人だった。鮮やかな赤銅色の髪をハーフアップにまとめている。ワイシャツのボタンをいくつか外しているせいで大きな胸の谷間が見え、ロングスカートにはスリットが入っているので、タイツを履いた足がよく見えた。
女性は白衣を着て、腕をまくる。
そして、紙巻きたばこを咥え、パチンと指を鳴らすと、人差し指に火が付いた。
この人も霊触者。しかも、火属性。
「自己紹介からだ。私は、主任研究員の一人、セラ・ファルグレン。リアの上司だ。ああ、セラで構わんよ」
「初めまして。ユウト・カミシロです」
「ふむ。まあ座れ、茶は……いいか。飯は食ったんだろう」
ソファに座り、僕も座る。
リアは、床に落ちていた書類をまとめてテーブルに起きながら言う。
「単刀直入に言います。セラ主任研究員……彼は『漂魂者』の可能性があります」
「……何ぃ?」
セラは、ソファに寄りかかっていたが、身体を起こす。
そして、僕をジーっと見た。
「ふむ……ユウトだったか。なんでもいい、精霊力を使ってみろ」
「いや、そう言われても。どうやって使えばいいのか」
「……お前、この世界に来た時、何か不思議なものを見なかったか?」
「ええと……」
僕は、説明する。
白い世界、カラフルな光、そして気が付いたら若返ってこの世界にいたこと。
「なるほどな。じゃあ、この世界に来て、風の精霊神像に触れた時、何か起きたか?」
「何か、って……あ」
そういえば……神像に触れた時。
「神像の宝石みたいなのが、光りました」
「えっ」
リアが驚く。そういえば言ってなかったな。
セラはニヤリと笑う。
「決定的だな。ユウト、お前は間違いなく『漂魂者』だ」
「……いや、どうしてそういう結論に」
「恐らく、お前の無垢な魂に風の精霊が反応したんだ。お前は『風の精霊力』を使えるはずだ。手を出せ」
手を出すと、セラが俺の手を掴んだ。
すると、ぽかぽかと温かい力が流れ込んでくる気がした。
「私の精霊力を流している。どうだ?」
「あったかいです」
「よし……イメージしろ。風、人差し指に、風を集めるイメージだ」
「…………」
「精霊力は、霊触者なら簡単に操れる。指を動かすのと同じ、四肢を動かすのと同じ、舌、耳、目を動かすのと同じだ。思うだけで、精霊力は反応する」
手のひらの中に、見えない流れが生まれた。
空気がざわめき、指先で世界が息をするように、風が形を取る。
その瞬間──僕は確かに、何かと繋がった。
「……精霊力。ああ、そういうことか」
「理解したようだな。おめでとう、お前も立派な『霊触者』だ」
「すごい……けど」
「…………」
リアが、飛ばされた書類を見て、笑みを引きつらせていた。




