湖上国にて
湖上国ミルフェリア。
白大理石の建物が水面に浮かぶ、まさに「天鏡の都」だった。
長い橋を渡ると、湖上の風が頬を撫でる。水面は陽光を反射して、無数の宝石のようにきらめいていた。
僕は、橋の上から湖を眺めて言う。
「うわぁ……ほんとに、湖の上に街が浮かんでる……」
「建築技術もすごいですね……言葉がありません」
「リアの言う通り、言葉がない。『守護』の国とは全く違うな……」
ギデオンが感心したように顎に手を当てる。
橋を渡っていると、何人か住人とすれ違ったが、行き交う人々は、みんな穏やかで落ち着いた顔をしている。
住人にとっては当たり前の光景なんだろう。逆にこの人たちが『守護』や『知恵』の国に行けば驚くような光景に見えるのかもしれないな。
僕はそんな人たちを見ながら言う。
「とりあえず、宿を取ろうか」
「そーね。料理がおいしい宿とか、湖に浮かぶコテージみたいな宿に泊まりたーい!!」
「それは予算的に厳しいと思います」
「うっ……リア、正論……」
フレイアが頬を膨らませる。
笑いながら、僕たちは街の中心にある宿を探した。
運よく見つけたのは、石造りの二階建て宿屋『アクアリス亭』だ。
水色に輝く不思議なランプがゆらゆらと光を放ち、まるで水底にいるような幻想的な雰囲気の宿だった。
部屋を二つ取り、荷物を置いたところで、僕らは一階の食堂に集まった。
水晶のように透き通ったコップの中には、ほんのり青く光る水。
宿屋のおばちゃんによると、これは『精霊水』と呼ばれる、ミルフェリアの名産らしい。
ギデオンは、青い水が入ったコップを手に、眺めて言う。
「水色の水……ミルフェリアの名産、というか水らしいが……」
「うまっ!! 普通の水だけど、なんかスーッと通るっていうか、おいしい!!」
フレイアは普通に飲んで「おかわり!!」と言っていた。
リアはしげしげと水を眺め、一口飲む。
「……雑味が全くありません。なんだか、空気を飲んでるような……おいしいです」
「確かに。ミネラルウォーター以上に透き通った水というか……カルキも、塩素もないというか」
「ユウト、何を言ってるんだ?」
おっと、地球の言葉が出てしまった。
ギデオンも水を飲み「うまいな」と頷き、リアは小瓶に水を入れて保存していた。
そして、水を飲んでみんな一呼吸入れる。
「ふう……やっと落ち着けたよ」
「ほんとねー。久々のまともな宿!!」
「この前までは野営続きでしたから。ギデオンさんがいなければ、凍えてました」
「野営は嫌いではないが……やはりベッドのありがたみはあるな」
ギデオンは淡く微笑みながら頷いた。
焚き火の明かりではなく、ランプの下で見る彼の顔は、少し柔らかく見えた。
せっかくなので、このまま食事をとることにした。
本日のおすすめを頼み運ばれてきたのは、湖魚のソテー、香草スープ、そして透明な果実酒。
穏やかな香りに包まれて、僕らはようやく「旅の一区切り」を感じていた。
僕はナイフとフォークを置いて言う。
「さて――これからどうするか、だね」
ギデオンはワイングラスを置き、真面目な声で言った。
「聖女……いや、フィオナ・ルフェイ殿は我々を招待すると言っていた。だが、それを受けるかは別だ」
リアが静かに頷く。
「確かに、安易に近づくのは危険です。ですが、『協調』の魂が息づく国です。ユウトの精霊力の成長に関しても、得られるものは多いかもしれません」
「うーん……リアは研究熱心だね」
「当たり前です。学べることがある場所では、できる限り吸収しておくべきです」
リアの目が輝いていた。
彼女にとっては、精霊理論を現地で直接見られるのは何よりの喜びなのだろう。
これまでの国では緊張の連続だったけど、この国では少し落ち着いて知識を得られそうだ。
「フレイアはどうしたい?」
「えー? あたしはとにかく街を見て回りたい!!」
彼女は両手を挙げて元気よく答える。
「おいしいもの食べて、武具とか見て、お風呂も入りたいし!! あとあと、さっき宿のおばちゃんに聞いたんだけど、もう少ししたらミルフェリア名物の『水舞祭』っていう踊りの祭りもあるみたい。気になるんだよねー!」
「……完全に観光客だな」
「いーじゃん。ずっと命がけの旅してたんだから、ちょっとくらい息抜きさせてよ」
言われてみれば、その通りだ。
「じゃあギデオンは?」
「……自分は、少し情報を集めてみたい」
「情報?」
「ああ。この国には『青環会』以外にも、精霊に関する組織や学問機関が多い。特に、妹――シスカの足取りを探るには、こういう地で情報網を持つ者と接触するのが早い」
ギデオンの目が鋭く光った。
妹を探す――それは、彼がこの旅に出た最大の理由でもある。
けれど、彼の声には焦りよりも、冷静な決意があった。
「ただし、無理はしない。騎士団で聞いた話を思い出した……この国は表向き平和だが、内部には派閥争いもあると聞く」
「派閥?」
「『協調』の理を重んじるあまり、感情や欲望を抑える派と、それを受け入れてこそ真の協調とする派に分かれているらしい。聖女フィオナがどちらに属するかは……まだわからん」
ギデオンの言葉に、リアが少し顔を曇らせた。
「理と感情、ですか……なんだか、『秩序』と『混沌』の中間のような考え方ですね」
「そうだな。協調というのは、時にもっとも難しい理だ」
ギデオンが言葉を締めると、食堂の空気が少し静かになった。
僕はコップを傾け、青く光る精霊水を口に含む。
口当たりは柔らかく、喉の奥でほんのり甘い香りが広がった。
「……僕は、とりあえず、フィオナさんに会ってみようと思う」
静かにそう言った。
ギデオンが少し眉を上げたが、止めはしなかった。
「彼女が奇跡なんて言ってた理由も気になるし、『協調』の魂のことも知りたい。それに、もしかしたら……僕たちが次に進むための手がかりがあるかもしれない」
「……そうね。あの人、何かを隠してる気がしたし」
フレイアがスプーンをくるくる回しながら言う。
「光の裏には影があるってやつ? でもまあ、あたしはどっちでもいいかな」
リアが少し苦笑した。
「フレイアさん……緊張感がありませんね」
「いいじゃん。ユウトもギデオンも真面目なんだから、あたしがバランス取ってんの!!」
フレイアが笑うと、僕たちもつられて笑った。
そうだ。ギデオンの盾、リアの知識、フレイアの明るさ。
全部が揃って、僕たちはようやく『旅の仲間』になれた気がした。
◇◇◇◇◇◇
夕暮れ。宿の窓から見える湖面は、金色に染まっていた。
水上の街全体がきらめく光に包まれ、空と湖が溶け合っていく。
僕はベッドの上で、明日のことを考えていた。
フィオナ・ルフェイ――『聖女』と呼ばれる少女。
彼女が見せたあの笑顔の奥にある、影のようなもの。
気になる……あの影は、もしかして僕と同じ『孤独』なのかもしれない。
そのとき、ドアをノックし、ギデオンが入ってきた。
「まだ起きていたか」
「ええ。少し考えごとを」
「……自分もだ」
ギデオンは窓際に立ち、外を眺める。
湖面の反射光が、彼の瞳を淡く照らしていた。
「ユウト。明日、聖女と会うつもりなら、自分も同行する。護衛のつもりでな」
「ありがとうございます。でも、いいんですか? 情報収集のほうは」
「問題ない。聖女から聞ける話も興味があるからな。それに……なぜか嫌な予感もする」
「嫌な予感……?」
「ああ。『協調』にある派閥……どうもきな臭い」
ギデオンは、何か考えるようにあごに手を乗せていた。
僕は頷く。
「わかりました、じゃあ一緒に行きましょう」
「……ああ」
短く頷くギデオン。
その横顔に、焚き火の時とはまた違う穏やかさが宿っていた。
◇◇◇◇◇◇
翌朝。湖上の街はすでに賑わっていた。
青と白の布で飾られた街並み、湖面を渡る風、そして水晶の鈴の音。
朝食を食べて町に出ると、とてもにぎわっていた……昨日、フレイアが言っていたお祭り、なんと開催が今日だったらしい。
「おーっ!! すごい!! これが『水舞祭』ってやつね!!」
「観光気分ですね、完全に……」
「リアもほら、せっかくだから楽しもうよ!」
リアが小さくため息をつく。
でも、ほんの少し口元が緩んでいた。
僕たちは人の波に流されながら、青環会の神殿へと向かう。
水晶でできた巨大な塔のような建物。その先に、きっと――フィオナ・ルフェイが待っている。
『協調』の魂を背負う少女。彼女は、どんな物語を持っているのだろうか。
僕たちの次なる物語が、静かに幕を上げようとしていた。




