水の精霊神像
湖上国ミルフェリアに向かう前、まず僕らは国を見下ろせる『鏡の丘』へ向かった。
鏡の丘……丘という割には高い位置にあり、どう見ても崖上だった。
崖に階段が綺麗に彫刻されていた。どうやら観光名所の一つらしい……けど。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「うう、さすがに、きび、しい……」
「おーい、遅いわよー」
「待てフレイア。先に行きすぎだ」
僕とリアのずっと先に、フレイアとギデオンが待っていた。
おそらく、五百以上の階段……体力にはそこそこ自信がついたけど、きついことに変わりない。
そして、ようやく階段を上り終え、僕とリアはへたりこんだ。
「あぁ、疲れた……」
「同感です……」
「ちょっと、へばってる場合じゃないでしょ。ユウト、ほらあれ」
と、フレイアが指さしたのは『水の精霊神像』だ。
大きなマグロみたいな魚が、水色の石を咥えている。
リアが、眼鏡をはずして汗を拭きながら言う。
「水の大精霊『ピスケス』の神像ですね……ふうう。ユウト」
「ああ、わかった」
神像に触れようとしたが……僕は目の前に広がる絶景に、思わず息を飲んだ。
「……すごい」
朝の光が、まるで湖の鏡面から空へと反射しているようだった。
白く輝く霧が、ゆっくりと晴れていく……僕らは『鏡の丘』と呼ばれる崖の上に立ち、遠くに広がる景色を見つめていた。
思わず、息をのんだ。眼下には、果てしない水の世界。
湖面は鏡のように澄みきっていて、空と雲を映していた。
その中心には、白大理石でできた巨大な都市――湖上王国ミルフェリア。
湖面に浮かぶように築かれた都は、光を反射してゆらめいて見えた。まるで空に浮かぶ城のように。
「これが……『協調の国』か」
ギデオンが静かに呟く。
風が彼のマントを揺らした。リアも隣で頷く。
「これは、見る価値がありますね……」
「すっごく綺麗じゃん……」
フレイアも、目の前の絶景に見惚れていた。
僕は、神像に触れようと手を伸ばしたまま、四人で並んで崖下の光景を眺めていた。
僕はハッとなり、首を振る。
「……っと、見惚れてたよ。さあ……いつも通り、よろしく」
僕はそう言いながら、水の精霊神像に触れた。
その瞬間――指先に、冷たいけれど優しい感覚が走る。
静かな水の音が、まるで声のように僕の中に流れ込んできた。
「……っ!!」
体の奥が、淡く光ったような気がした。
色は青……そして、清らかな清流が、血管を通って流れ込んできたような気がした。
「きた……これが、水の力」
僕の手には、水色の棒、先端にサファイアのような宝石がくっついた『杖』が握られてた。
杖を振るうと、水の球がいくつか浮かび、それを空中に放つと花火のようにはじける。
今はこの程度だが……ほかの属性の精霊導器と比べると、使える精霊力が多く感じる。
「……水の精霊力。これまでの精霊導器と違って、精霊力を増幅させる力がある。それともう一つ」
「ゆ、ユウト?」
僕はリアの足に杖を向け、小さい水の球を足の踵に向けて放つ。
すると、リアの足の靴擦れがジュワジュワと治療される。
「精霊力による治療。これが、水の精霊力の使い方か」
「ユウト、やるじゃん!! 怪我の治療とかすっごい!!」
「いや、今の僕じゃ靴擦れを治すのも何時間か必要かも……一人なら一瞬で治療できるけどね」
「でも、痛みがありません。すごいです、ユウト」
「治療か……これからの旅に役立ちそうだな」
ギデオンの言う通り、回復の精霊力はありがたい。
そんな時だった。
「驚きました……まさか、神像の精霊力を吸収し、我が物とする力を持つなんて」
柔らかい声が、背後から響いた。
振り返ると、白いローブをまとった少女が立っていた。
淡い水色の髪が陽光を受けて揺れている。瞳は湖面のように澄んでいて、その中にこちらを映していた。
少女は、穏やかな笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
その歩みは軽やかで、水の上を歩くような静けさがあった。
「あなた……まさか、今の光を起こしたのですか?」
「え? あ、いや、その」
「やはり。――奇跡、ですね」
少女は胸の前で両手を組み、深く頭を垂れた。
リアとフレイアが驚いたように僕を見る。
ギデオンも険しい表情で一歩前へ出た。
「失礼だが、君は?」
「申し遅れました。湖上王国ミルフェリアに仕える『青環会』の巫女――フィオナ・ルフェイと申します」
「……もしかして、『聖女』と呼ばれている方ですか?」
「ええ。ただの呼び名ですけれど……」
フィオナと名乗った少女は、柔らかく笑った。
だが、その笑みの奥に、どこか影のようなものが見えた。
微かに揺れる瞳。その奥には、消せない何かを抱えているように思えた。
「あなたはまさか……『理を越える者』――古文書でしか見たことのない、伝承上の存在ですか?」
「で、伝承? いや、僕はその」
「そんなんじゃないよ。ユウトは『漂魂者』だよ」
「お、おいフレイア!!」
なんと、フレイアがあっさりネタバレした。
「……まさか、魂の道を作りし者? おお……」
フィオナの声は震えていた。
その表情は信仰にも似ていたけれど、どこか不安も混ざっているように見えた。
「あなたを、湖上国ミルフェリアへご案内させてください。女王陛下も、きっとお会いになりたがるでしょう。『奇跡』が現れたことを……報告しなければなりません」
「いや、奇跡って……」
リアがそっと僕を見た。
「ユウト、どうしますか?」
フレイアは腕を組んで、「また面倒なことになりそう。余計なこと言わなきゃよかった? あははごめんごめん」と小声で言った。
ギデオンは沈黙したまま、空を見上げている。
「というか僕、ただの旅人ですよ?」
「謙遜なさらないでください。あなたのその力、とても興味深い……もしかしたら『協調』の」
「待て」
と、ギデオンが僕とフィオナさんの前に割り込んだ。
「フィオナ・ルフェイ殿。……この件、我々にも考える時間をもらいたい。ユウトはただの仲間だ。奇跡だの神だのと祀り上げられるのは、本人も望まぬだろう」
「……」
フィオナは一瞬、寂しげに視線を落とした。だがすぐ、静かな微笑みに戻る。
「では、こうしましょう。明日、湖上の街ミルセリアで祭礼があります。もしお考えが変わったら『青環会』の神殿を訪ねてください。――私は、そこで待っています」
そう言って、フィオナは湖畔に一礼し、風のように去っていった。
白いローブが朝日を受けて、青く光った。
◇◇◇◇◇◇
フィオナが去ったあと、僕たちはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「まだ入国すらしてないのに、厄介な予感する……」
僕が言うと、フレイアが肩を叩く。
「ま、いいじゃん。ユウトの正体バラしたあたしが言うことじゃないけどね。あっはっは」
「お前なあ……」
「んー……でも、あの聖女ちゃん……なんか、ちょっと怖い雰囲気だったね」
「怖い?」
「うん。なんか、聖女って言う割には、影があるような……どこか希薄っていうか、死にかけてるみたいな。でもさ、胸はかなりデカかった。あたしやリアよりもね!!」
「……その情報はいらん」
その言葉に、ギデオンが目を細める。
「……聖女にも、何か事情があるのかもしれないな。ユウト、きみが『孤独』を歩むなら、『協調』について知るいい機会でもある。『青環会』は聞いたことがある。確か、湖上王国最大の研究組織であり、精霊学、心理学、医学など、幅広い分野の研究機関だ。メンバーは導司、神官、医師、学者など多岐にわたる」
「相変わらず詳しいじゃん」
「ギデオンさんの言う通りです。『聖女』は、その中でもトップクラスの地位を持つお方です。『協調』について、いろいろ知ることができるかもしれませんよ」
「まあ確かに、『協調の国』に来たばかりだし、物知りそうな人に出会えたのは嬉しいな」
「ねーギデオン。『協調』って別に、『支配』や『混沌』みたいに危険な組織ってわけでもないでしょ?」
「それはそうだが……」
「じゃあいいじゃん。ってか、そろそろ行こうよ。聖女ちゃんに会うとか会わないとかの前に、早く湖上国ミルフェリアで、おいしいもの食べよっ!!」
どこまでも、フレイアはお気楽だった。
僕らはもう一度、湖上国ミルフェリアを見下ろして眺める。
「『協調』か……どんな国なんだろうな」
この時の僕は、このあとでとんでもない『事実』を知ることになる。




