玉座の間にて
ヴァルゼン帝国王城――巨大な城壁が空を突き刺すように聳え立っていた。
けれどそこには兵士の掛け声もなく、あるのは沈黙と、異様な静けさだけだった。
「……やっぱり、おかしい」
僕は呟きながら、王城正門を見上げる。
重厚な鉄門は開きっぱなし。見張りの兵士は二人――だが、どちらも虚ろな目で、まるで魂を抜かれたように立ち尽くしていた。
僕が一歩踏み出しても、彼らは瞬きすらしない。
その様子に、リアが息を呑んだ。
「……ユウト、彼ら、完全に操られています」
「だろうな。けど、襲ってくる気配はない。行こう」
フレイアが赤い斧槌を肩に担ぎながら、苦々しく笑った。
「お出迎え無しとは、舐められたもんね。王様が待ってるのかな?」
僕たちは、まるで空っぽの迷宮に足を踏み入れるような気持ちで、王城の中へと入った。
廊下を歩くたび、足音だけがやけに大きく響く。
壁には高価な絵画や装飾が並ぶが、どれも埃を被ったようにくすんで見えた。
そして何より、どこを見ても人影がない。
いや――正確にはいる。ただ、全員止まっているのだ。
「なんだか、異様な光景ですね……」
リアが、ぼーっと立っている兵士を見て言う。
メイド、騎士、侍従。
廊下の両側で立ち尽くす人々の瞳はすべて濁っていた。
その中心を、僕たちは無言で通り過ぎていく……まるで、死者の国に迷い込んだみたいだった。
「……ひっどい光景ね」
フレイアが小さく呟いた。
僕も頷き、花瓶を持ったまま虚ろな目をしているメイドを見た。
「精霊術式による支配か……恐ろしい光景だ。でもリア、一人の霊触者が、これだけ大規模な力の行使をできるものなのか?」
「……不可能です。それこそ、『道越者』でもない限り」
「でもオヤジ、テスラは水属性の霊触者って言ってたよ。力を隠していたのかな?」
リアが唇を噛んだ。
「……人を操る精霊術式なんて、許せません。絶対に止めないと」
僕は頷く。心臓の奥が冷たくなる。
この沈黙、この異常な気配――精霊力が『圧』となって押しつぶそうとしてくるような、そんな威圧感を感じていた。
テスラ……敵はきっと玉座の間で、僕たちを待っている。
「お、あそこだね」
フレイアが指差した場所に、大きな扉があった。
白い大理石の両扉。
そこに刻まれた王家の紋章は、血のように赤黒く染まっている……ああ、この国のメインカラーが赤と黒なのだろうか。似合っているけど、正直不気味だ。
「よし……開けるぞ」
僕が押すと、扉は重く、鈍い音を立てて開いた。
――そこには、異様な光景があった。
玉座。
本来なら帝国王が座るはずのその場所に、テスラがいた。
紅蓮の獅子団の団服に身を包み、背筋を伸ばして優雅に座っている。
その周囲には、無数の兵士や従者がひざまずき、まるで祈りを捧げるように沈黙していた。
その全員の額には、青白く光る紋様――昨日、僕たちが見たあの『印』が浮かんでいる。
テスラは微笑んだ。
氷のように冷たい笑みだった。
「――ようこそ。『漂魂者』ユウト・カミシロ。そしてその仲間たち」
低く響く声。けれど、空気を支配するような圧があった。
僕は一歩前に出て、テスラを睨む。
跪いている人たちの中に、王冠を被った男性、豪華なドレスを纏った女性、そして僕らとそう年齢の変わらない男女も、虚ろな目で跪いた。
王、王妃、王子に王女……間違いない、ヴァルゼン帝国の王族だ。
「……お前が、王を――殺したのか?」
「殺してなどいません。『静かな眠り』についていただいた。それだけのことです」
テスラの声は、あくまで穏やかだった。
だが、その瞳の奥に潜む狂気は、隠しようもなかった。
「『混沌』のために、私はこの国を再構築しました。無駄な意思も腐った欲もすべて消した。美しいと思いませんか? ――純粋な『命令』だけが残る世界」
「バッカじゃないの!!」
フレイアが叫んだ。
赤い髪が揺れ、炎のような怒りが空気を焦がす。
「こんなもの、ただの地獄でしょーが!!」
テスラはその言葉を聞いて、愉快そうに笑った。
「地獄――ああ、確かに。ですが、我ら『混沌』の主にとって、地獄こそが楽園なのです」
そして、僕の名を呼ぶ。
「ユウト・カミシロ。あなたの『魂』は特別です。あなたの中にある『道』――それは、我々『混沌』のためにある道です。だからこそ、あなたを迎えに来た。共に歩もうではありませんか……我が主である『道越者』も、あなたを歓迎している」
僕は息を呑んだ。『道越者』――その言葉に、背筋が凍る。
テスラは、その力を……? いや違う……恐らくは。
「……お断りだね」
僕は、はっきりと告げた。
声が震えていないことに、自分でも驚いた。
「僕は『孤独の道』を歩むって決めたんだ。けど、それは一人で歩くって意味じゃない。リアも、フレイアも、僕の仲間だ。僕は、彼女たちと共に歩み……そして、戦う」
その言葉に、リアが微笑んだ。
フレイアは、斧槌を肩で構える。
テスラの顔から、ゆっくりと笑みが消えた。
「――そうですか。ならば、仕方ありませんね。『導き』を拒むなら、無理やりでも連れて行きましょう。あなたの魂ごと……」
テスラが右手を上げる。その瞬間――玉座の間にいた全員の額が、一斉に光った。
青白い光が走り、空気が唸る。
兵士たちが、同時に顔を上げた。その瞳は濁り切っていた。
「来る!!」
フレイアが叫ぶと同時に、兵士たちが剣を抜き、一斉に襲い掛かってきた。
「私たちが受け持ちます、ユウト!!」
リアが叫び、素早く弓を引く。
風の矢が放たれ、突進してきた兵士の紋様を撃ち抜いた。
紋様が弾け、兵士が崩れ落ちる――やはり、あの紋様が核だ。
「フレイア、右側を!!」
「了解ッ!!」
フレイアの斧槌が炎を纏い、地面を砕いた。
爆炎が広がり、十数人の兵士がまとめて吹き飛ぶ。
だが、倒れてもなお立ち上がる。痛覚がない――完全に操り人形だ。
「リア、気を付けて!! 感情がない分、躊躇しない!!」
「わかっています!!」
リアは矢に風を込めて連続射出、無数の矢が放たれる。
兵士たちを貫き、紋様を次々と砕いていく。
その隙に、僕はテスラへと駆け出した。
「お前の相手は僕だ、テスラ!!」
テスラは微笑んだまま、ゆっくりと立ち上がる。
両手に、毒々しい色をした『鞭』が握られ、ヒュンヒュンと振り回される。
「さぁユウト・カミシロ。これが運命です。あなたの『魂』は、私たち『混沌』のものになる」
彼が鞭を振るうと、空気そのものが歪んだ。
僕は気付いた……鞭から、細かい霧のような水滴が放たれている。それが、テスラの背後で跪いていた大柄の騎士に降りかかる。
「術式展開、『液導』」
精霊術式だ。
すると、水滴を帯びた騎士がガクガク身体を震わせ、僕に向かって来た。
(大丈夫……怖くない!!)
手にハルバードを持ち、構える。
大柄な騎士の突進。手には剣を持っている。ただの大学の研究員だったころの僕なら、腰を抜かして頭を抱えてしまうだろう……でも、ここにいる僕は、ヴォルカン団長やリアの冗談みたいな訓練を受けた、異世界で生きるユウト・カミシロだ。
「おおおおおおおおお!!」
僕はハルバードで騎士の剣を受け止め、火花を散らす。
重い――この騎士、強い。
水滴を浴びた騎士を見て、僕は言う。
「水滴を浴びせて、体内に侵入させた水を通じて、相手を操作する術式か……!!」
「おや、よくご存じで。ふふふ……」
騎士の兜の隙間から、額に浮かぶ青い紋章が見えた。
なるほど、これが人々を操ってる術式……そして、この規模。
僕は騎士を蹴り飛ばし、ハルバードを構え直す。
よし、カマをかけてみるか。
「……これが『道越者』の力ってわけか!!」
「ええ。私の精霊術式は『道越者』の祝福で強化された!! 私はもうただの霊触者ではない!! ハハハハハ!!」
テスラの周囲に、大量の『水球』が浮かび上がり、形状がまるで刃のように変わる。
無数の水刃が、矢のように僕に襲いかかる。
「くっ……」
僕はハルバードを限界まで熱して回転させる。
水刃がそれに触れ、蒸気と轟音を上げて弾ける……だが、完全に水の刃を弾けず、一撃肩に喰らってしまった。
「うっぐ……」
「いい反応です……ですが、それで終わりですか?」
テスラが口角を上げる。その直後、背後の床が揺れた。
振り返ると、リアとフレイアが何かと戦っていた。
一人は黄金の鎧に身を包んだ巨体。その胸には紅蓮の紋章。
「……あれは――紅蓮の獅子団、副団長!!」
リアが叫んだ。
隣には、深紅の鎧を纏った騎士団長と思しき男も立っていた。
どちらも、完全に青い紋様に覆われている。
「おいでなすったねぇ……!! リア、いける? 王族護衛騎士団の団長、かなり強いよ」
「問題ありません。フレイアさんこそ、そちらの方は紅蓮の獅子団の副団長のようですけど」
「ふふん、相手にとって不足なし!!」
フレイアが笑い、炎を纏った斧槌を振るう。
爆炎が二人の騎士を包み込む――が、弾かれた。
紅蓮の獅子団、副団長が構えた大槌がフレイアの斧を防御した。
「わお、やるじゃん!!」
「……厄介ですね。けど、負けませんので!!」
リアが矢を放つと、騎士団長が全ての矢を両手に持った片刃斧で弾き落とした。
騎士団長は紫電を纏い、リアに向けて構えを取る。
リアとフレイアの戦いは、完全に激戦へと突入していた。
◇◇◇◇◇◇
一方、僕は再びテスラを睨みつける。
「……お前がどんな力を得たとしても、俺は屈しない!!」
「強い言葉ですね。ですが、あなたの魂はとても美しい。その輝きを、『混沌』の中で永遠に残してあげましょう」
テスラが鞭を振るう。
天井に巨大な魔法陣が現れ、空間そのものが水面のように揺らぐ。
そして、無数の腕――毒々しい色の、水の腕が伸び、僕を掴もうとする。
「くっ……」
僕は属性を風に替え、弓を構えて『風陣蝶』を撃ちまくる。蝶に触れた腕が爆散した。
だが、数が多すぎる。
次々と押し寄せる『水の腕』を、僕は必死に撃ち落とす。
「ほほう。属性、そして精霊導器を使い分けるとは、実に面白い……さあ、ユウト・カミシロ。あなたの魂を、『混沌』に染め上げましょう!! あなたの魂を、私の中に溶かしましょう!!」
その声を聞いた瞬間、僕の中の何かが弾けた。
ヴォルカン団長の言葉、リアの信頼、フレイアの笑顔。
全部が、僕の胸に灯をともした。
「……ふざけるな」
僕は火属性に変更。ハルバードを構え、叫んだ。
「俺の魂は、誰のものでもない!! たとえ『道』が孤独でも僕は……仲間と共に進む!!」
「――それが、あなたの答えですか」
「ああ。これが僕の『魂の道』だ!!」
ハルバードに炎が収束する。
燃え盛る槍の穂先が、空気を焦がした。
テスラが毒々しい水の鞭を構え直す。
背後では、リアとフレイアが騎士団長たちとぶつかり合い、爆音と閃光が交錯する。
玉座の間は、まるで戦場そのものになっていた。
それぞれの“道”が、今、ぶつかり合う。
「行くぞ、テスラ!!」
「来なさい、ユウト・カミシロ!! 私の『混沌』を、あなたに刻み込んであげましょう!!」
僕とテスラの衝突が、玉座の間に響き渡った。




