プロローグ
僕……神代悠人は、物静かで落ち着きがあると、よく言われた。
よく言えば大人しく理知的で、悪く言えば優しさを表に出すのが極端に下手。
周りが言うには観察力が高く、抽象的な思考を持ち、分析力も高い。だが、共感表現……自分の気持ちを相手に合わせることが、かなり不得意なヤツとも言われた。
幼少期。僕は、愛をあまり知らず育った。
父は研究者、母はピアニストという、両親とも家にあまりいない。金銭的な苦労は一切なかったが、両親が揃ったところ僕はあまり見たことがなかった。
家族そろっての食事などほとんどない、旅行などもない、授業参観に来てくれたこともない。手料理もデリバリーばかりで、千円札が置いてあるだけのこともあった。
両親は、互いの仕事に誇りを持ち、執着していた。
思想の違いなのか、喧嘩することもあり、会話も徐々に減っていたことを僕は覚えている。
幼い僕にとって、家は静かであり、騒がしい場所であった。
僕は、変わった子供だった……と、思う。
幼稚園では絵を描くことや、小さな虫を観察するのが好きだった。
アリが群れで行動しているのを見て「どうして群れでいるの?」という疑問を、幼いながらも持っていた。
小学校三年生の頃、両親が離婚した。
僕は、母親に引き取られた。
母親はピアノ教室を開校……有名だったこともあり、生徒はかなり多かった。僕も一時期ピアノを弾いたが「もういい」と言われ、すぐにやめた……きっと才能がなかったのだろう。でも、ピアノを弾くのは嫌いじゃなかった。
母は忙しく、僕に構うことはなかったけど……僕がたまに弾くピアノを、何も言わず聞いていた。きっと、それが僕と母の会話だったと思う。
小学校では、会話もなく無口な子供だった。
教師も「大人しい子供」という認識だったのだろう。成績も悪くなかったし、放置しても問題のない子だって思われていた。
だから、友達もいなかった。『孤独=普通』が、僕のとっての当たり前だった。
◇◇◇◇◇◇
中学生になり、僕は勉強に没頭した。
理科、数学が好きだった。理由はわからないけど……『法則』を知るのが、面白かった。
部活に所属しなくちゃいけないルールがあった。だから僕は科学部に入部した。
中学校二年になると、いじめにあった。
いじめ……暴力とかではない。無視されたり、軽い嫌がらせを受けたりした。でも……正直、どうでもよかった。というか、なぜ僕にこんなことをするのか? どういう理があるのは、本気で考えた。
科学部では、一人の少女が僕に言った。
「キミは、孤独だね」
「……孤独?」
「うん。誰も信じていない、ううん……どうでもいい、って思ってるのかな」
「…………」
「孤独でもいいけど、誰かを信じるのは悪くないよ?」
意味が、よくわからなかった。
僕は、彼女に何か迷惑をかけたのだろうか? と、少し悩んだ……でも、その会話をした数日後、彼女は転校していった。
僕は、「他人との関係は終わるもの」と理解した。
小学校、中学校と学んで理解したことが一つある。それは……「世界は観測できても、他人の心は観測できない」ということだ。
◇◇◇◇◇◇
高校生になり、都立の有名校に進学した。
頭は良かったと思う。勉強でわからないことはなかったし、学年一位を取るのは難しくなかった。
そう言えば……このころから、ピアノを引かなくなった。
授業は真面目に受けた。ノートもしっかり取り、教師受けはよかった。
でも、同年代の友人は、ゼロだった。
それでも問題はなかった。高校では部活は自由だったので、僕は図書館に通った。
興味を引いたのは『量子論』や『意識と脳科学』……専門書を読むのは、いい時間つぶしになった。
SNSとかにも手を出してみたけど……浅い人間関係に虚しさを感じ、すぐにやめた。
高校の卒業式。
特に何も感動はしなかった。校歌を歌いながら泣いてる同級生が多かったけど、僕には理解できなかった。ただ、学ぶ場所が終わり、次へ行くだけなのに。
僕は卒業式が終わり、帰ろうとした……打ち上げとか聞こえたけど、関係がない。
すると、図書室の先生が挨拶しに来た。
「キミのような生徒、見たことがないよ。孤高……ふふ、この言葉がぴったりだ」
孤高。
そう聞いて、僕は首を振った。
「先生。孤高なんてカッコいい言葉は合いません。ただ、誰にも届かないだけです」
先生は、何も言わずに頷いて見送ってくれた。ああ……先生の名前、なんだったかな。
◇◇◇◇◇◇
大学生になった。
合格率3パーセントの超難関大学、その理学部物理学科に入った。
久しぶりに母さんが「おめでとう」と言ってくれた。相変わらず、母さんのピアノ教室は大人気で、教え子が海外のコンクールに出るからと何か月も家を空けたり、テレビに出たりと大忙し。
大学も、お金は出すから自由にしていいと言っていた。いちおう、大学名と合格したことは、母さんが海外にいる時にメールで伝えた。
大学では、量子力学について学んだ。
観測者が存在しなければ、現象は存在しないのか? なんて……今思うと、どうしてこんな研究テーマにしたんだろうか。でも……面白かった。
理論としては面白いが、非科学的……なんて言われたけど、僕は研究しようとした。
ある日、僕は大学に遅くまで残り、教授のデータ整理を手伝っていた。
バイトのようなものだ。お金には不自由していなかったけど、同期の女子……名前、なんだったかな……に頼まれ、特に断る理由もなかったので承諾した。
彼女とは、こんな会話をした。
「悠人くんって、すごいよね」
「……え?」
「だって、いろんな教授たちが『大学始まって以来の天才』って褒めてたよ? ふふ、すごいね……もしかして、大学教授とかになりたいの?」
「どうかな。僕の教えを受けたいって思う人は、いないと思うけど」
たぶん、こんな会話だったと思う。
そして、いきなり火災報知器がなり、停電……非常灯に切り替わった。
振動、火災……理由は不明だけど、大学内で爆発があり、火事になったらしい。
こんな時でも、僕は冷静だった。
慌てふためく同期女子に言う。
「落ち着いて。避難しよう」
部屋のドアを開けると、煙が充満していた。
僕は、ペットボトルの水でハンカチを濡らし、パニック寸前で泣く彼女の口に当てる。
「煙を吸わないように、煙だけで火は回っていないから、非常口から外に出よう」
「う、うん……」
そうして、彼女と二人で通路を早歩きで進んでいる時だった。
爆発音、そして……天井が崩落した。
「…………」
僕は、自分でもわからなかった。
彼女を突き飛ばし、瓦礫の下敷きになったのだ。
彼女が泣きながら、瓦礫に身体の半分を押し潰されている僕を引っ張ろうとする。
僕は悟った。これは、死ぬと。
下半身の感覚が消え、鉄骨が胸を押しつぶしていたのだ。
「──……にげ、て。早く、逃げろ!!」
また、爆発音がした。
結局、大学で何が起きているのかは、最後までわからない……今思うと、テロでもあったのだろうか。
彼女は、『助けを』と言っていた気がする。ハンカチも当てずに走り出した。
消えていく意識の中、ふと見えたのは……持ち出そうとしていた、僕の研究ノートだった。
ペラペラとページがめくれ、僕の書いた文字が見える。
『存在とは、観測されることで確定する。だが、観測者は常に孤独でなければならない――孤独こそ、存在の証明である』
我ながら、哲学的な一文だ……と、思った。




