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婚約破棄常習犯の公爵令嬢は女騎士になり帝国の皇帝の妃になる

「なぜだ! ホワイトス侯爵令息との婚約を破棄するだと?」


 お父様――ヴァン・タートリア公爵が、雷のように応接間に響き渡る声で叫んだ。重厚な木製の調度品が、その怒声に震えているかのようだ。

 

 お母様の顔は青ざめ、悲痛な表情で私を見つめる。

 隣に立つフィン兄様は、呆れたようにため息をついた。


「またかよ。メリッサ……なんでこう、いつも婚約破棄するんだよ」


 フィン兄様の言葉が、私の胸にちくりと刺さる。

 

 私はメリッサ・タートリア。この国でもトップクラスの名家、タートリア公爵家の令嬢だ。そして、今回が四回目の婚約破棄。最初の婚約からわずか二年で四回。私は「婚約破棄常習犯」という不名誉なレッテルを貼られていた。


 今回の相手は、ホワイトス侯爵家の長男、ジェード・ホワイトス侯爵令息。容姿端麗で、王立学院を首席で卒業するほどの人。誰もが羨むような完璧な人物だった。

 


 初めて彼に会ったのは、婚約が正式に決まった夜会でのことだった。夜会の主催はホワイトス侯爵家。煌びやかなシャンデリアの下、私は胸を躍らせていた。


「ジェード・ホワイトスです」

 すらりとした長身に、整った顔立ち。涼しげな瞳が、私をまっすぐに見つめる。

 

「はじめまして、メリッサ・タートリアです」

 

(すごく誠実そうで安心したわ)

 

 そう思ったのは偽りのない気持ちだった。これまでの婚約者たちは皆、どこか打算的だったり、胡散臭かったりした。けれど、ジェードからは、真面目で誠実な人柄がにじみ出ているようだった。


 夜会は順調に進み、私たちは大勢の人々から祝福を受けた。主役は大変。絶え間ない挨拶と、乾杯の連続。慣れないドレスとヒールで、足が棒のようだった。

 

(ああ、お手洗いに行きたい……)

 

 私は、そっと使用人用の通路へと進み、屋敷の奥にあるお手洗いへと向かった。


 そのとき、聞こえてしまったのだ。

 すすり泣く女性の声と、ジェードの声が。

 

「ああ、ジェード様、なぜ婚約なんて……」

「わかっておくれマイヤ、俺はホワイトス侯爵家の長男。平民のキミとは結婚できない」

「でも、私のお腹には……」


 通路の曲がり角から、二人の姿が見えた。ジェードに抱きつき、肩を震わせる侍女。

 その侍女のお腹に、ジェード様の手がそっと触れる。

 私の心臓が、氷を突きつけられたように冷たくなった気がした。


「安心しろ、マイヤ。あの公爵令嬢と結婚して一年ほどしたら、あの女を暗殺する。お腹の子はあの女が産んだことにすればいい」

「私は?」

「乳母として俺と子供と幸せに暮らそう。あの公爵家の女と結婚すれば、領地も増える。そこに家を建ててやろう」


 暗殺……。その言葉に、全身の血の気が引いた。


「ああ、ジェード様……」

「あんな傷物の女なんか愛せるか。マイヤ。愛してるよ」


 傷物? 私のこと……? そして、愛していると、平然と他の女性に言う彼の言葉に吐き気がした。


 私はその場から音もなく踵を返した。ジェードの真実を知ってしまったのだから、もう彼と婚約を続けることなどできるはずがない。私はすぐに両親に、この一部始終を打ち明けた。




 ――――――

 ――――

 ――

 


 「なんだと! 侯爵令息風情が!」

 

 お父様の怒りは凄まじかった。怒り狂ったお父様は、その場でホワイトス侯爵家との婚約破棄を通達した。


「おいメリッサ! 俺にそのジェードとやらと決闘させろ!」

 フィン兄様が、剣の柄に手をかけて立ち上がった。


 兄様は、私を傷つけた人間を許さない。妹溺愛の兄様は、この手の事を絶対に許さないタイプだ。


 そもそも、私が「傷物令嬢」などという不名誉なレッテルを貼られたのは、最初の婚約がいけなかったのだ。

 最初の婚約者は、この国の第二王子だった。タートリア公爵家はこの国でもトップクラスの名家。私と王族との婚約は、国を挙げて祝福された。けれど、その幸福は長くは続かなかった。


 この国は、隣国であるアメストリア帝国と長年、平和条約を結んでいた。

 先代の帝国皇帝は穏健派で、両国の関係は極めて良好だった。

 しかし、皇帝が若きアルフォンス・アメストリアに代替わりしてからは、その苛烈な手腕で周辺国を次々と併合し、巨大な帝国へと成長させていった。

 それでも、我らが王国との平和条約は続いていた。

 

 そんな折、神の啓示を受けたという、平民の聖女が現れたのだ。この国の国教であるイエーネ教の偉い教皇が、天啓を受けて聖女に任命したという平民のセリス。

 王家の繁栄のために王宮に来たセリスの教育係を、私がすることになった。


 けれど、この女がとんでもなかった。性格の悪さは天下一。

 ある日、セリスは私との教養の授業を抜け出し、王子の庭園で泣き崩れていた。私は慌てて後を追ったが、庭園に入った瞬間、セリスがわざと足を踏み外し、噴水の池へと転がり落ちた。

 

「まあ、メリッサ様……どうして私を突き飛ばすのですか……?」

 びしょ濡れのまま、震える声で王子に訴えかけるセリス。

 

 私の言葉を聞かず、王子はセリスを抱きかかえ、私を睨みつけた。


 そんなことが何度か続いた後、セリスは、私が国家を転覆させようとしている、などという嘘の噂を流して、第二王子に泣きついたのだ。

 

 もちろん、そんなのは嘘っぱちだ。私は王家に忠誠を誓い、セリスの教育も真面目に行っていた。しかし、聖女の言葉を信じた第二王子は、私との婚約を破棄し、あろうことか聖女と婚約する始末。

 

 その日の夜、父と母は静かに、しかし深い悲しみを湛えた目で私を見つめていた。その視線が、私の心を切り刻むようだった。

 

「メリッサ……」

 父の言葉にならない声が、私の耳に焼き付いている。

 

 私は、傷物令嬢なんていうレッテルを貼られ、格下の貴族との婚約を余儀なくされてきた。そして、今回もこのざまだ。まさか暗殺されそうになるとは……私の人生は想像以上にハードモードらしい。


「もういいわ。私、もう結婚なんてしません」

 私は家族に宣言した。母が悲しそうな顔で私を見つめる。


「メリッサ……貴女、何を言っているの?」

 母が震える声で言う。

 

「このまま、格下の貴族との婚約を繰り返すくらいなら、一生独り身でいるわ。婚約した相手に暗殺されそうになる人生なんて、もうごめんですもの」

 

 私の言葉に、父はさらに声を荒げた。

 

「馬鹿なことを言うな! 公爵家の娘が独り身など、あってはならないことだ!」

「ですがお父様、このままでは私は、まるで売り物ではないですか」

 

 父は言葉に詰まった。母はそっと私の手を握りしめる。

 

「メリッサ……貴女が、幸せになれるなら……」

「お母様……」

 

 母は優しい。

 

「たしかにな。タートリア公爵家の娘が、傷物令嬢と呼ばれて、こんな扱いを受けるなんて……」

 父は頭を抱えうめいた。

 

「ならば、私は別の道を選びます。そうだわ! 私、女騎士になるわ」

 

「「なんでーーーッッ!!」」

 

 父と兄の声が、応接間に響き渡った。


 私の家、タートリア公爵家は、初代タートリア公爵が建国の際に多大な勲功を上げた大騎士だった。

 その功績から、武術、剣術を重んじる家風が根付いている。おかげで、父も兄も、皆剣術に長けていた。お兄ちゃんっ子だった私も、小さい頃から剣術を習っていた。


 けれど、まさか私が女騎士になりたいと言うとは、家族にとっても青天の霹靂だったのだろう。


 ◇


「お兄様に勝ったら、騎士になることを許すという約束……いいですわね? お父様」

 私はにこりと笑って、父に釘を刺す。

 

「ああ、無理だろうがな」

 お父様は鼻で笑った。私とフィン兄様の実力差をお父様は知らなかった。

 わたしは、フィン兄様より強いのだ。

 

「言質取ったわよ」


 応接間を出て、屋敷の中庭へと向かう。兄はすでに、木剣を手に立っていた。

 

「メリッサ……手加減してくれよ」

 フィン兄様が、こっそりと耳打ちする。

 

「断るわ」

 私は不敵に笑い、剣を構えた。


 タートリア家の剣術は、実践向きの無骨なスタイルだ。一撃一撃が重く、相手の隙を突くことを得意とする。


 カーン!


 木剣がぶつかり合う鈍い音が、中庭に響く。

 兄の剣は、まるで嵐のようだ。縦横無尽に繰り出される連撃を、私は紙一重でかわしていく。

 

「くっ、まじかよ!」

 フィン兄様の口角が下がる。


 私は、兄様の攻撃をさばきながら、隙を窺っていた。兄様の剣は、攻撃に特化している分、防御が手薄になる瞬間がある。

 

 その瞬間を私は見逃さなかった。兄様の振り下ろされた剣を横に流し、私はすかさず懐に飛び込む。がら空きになった胴体目掛けて、私の剣が突き出された。

 

「ぐっ!」

 兄の木剣が無造作に放り投げられる。

 

「私が、勝ちましたわね」

 

 にこりと笑い、突きつけていた剣を引く。兄は悔しそうに歯噛みしめている。


 

 こうして私は、念願の女騎士となった。

 騎士団に入ってからも、私は結果を出し続けた。


 男性ばかりの騎士団の中で、私の実力はすぐに認められ、最前線で戦う騎馬隊の次に戦う剣士部隊の副隊長にまで上り詰めた。


 剣士部隊の副隊長になるための試験は、一対一の模擬戦だった。

 相手は、剣士部隊の副隊長を務めていたベテラン騎士、ランドルフ。彼は四十歳を過ぎた男だが、その剣の腕は未だ衰えを知らない。


「公爵令嬢が副隊長になりたいだと? 女子供の遊びではないぞ」

 騎士団長の前で、ランドルフは嘲笑う。

 

「遊びではありません。私の真剣な道です」

 私はひるむことなく、まっすぐと彼を見据えた。

 

「ならば、その剣で証明してみせよ」

 


 試験開始の合図とともに、ランドルフの剣が唸りを上げる。重く、速く、そして正確な一撃。彼は私の剣を、力任せに弾き飛ばそうとする。

 

 けれど、私は力で対抗しない。彼の剣の重さを利用し、受け流す。そして、彼の剣が空を切った瞬間、私はすかさず彼の懐に飛び込み、彼の胴体に剣の切っ先を突きつけた。


「ぐっ……」

 ランドルフは驚きに目を見開く。

 

「やるではないか、メリッサ・タートリア」

 彼は笑い、剣を構え直す。


 今度は、さらに速く、さらに重い連撃。私はそれを舞を踊るようにかわしていく。

 ランドルフの剣が、私の頬を掠める。その度に、私の剣が彼の鎧をかすめていく。

 そして、私は彼の攻撃の隙をつき、彼の剣を払い喉元に剣を突きつけた。


「私の勝ちです、ランドルフ殿」

 私の言葉に、ランドルフは静かに剣を下ろした。

 

「……見事だ」

 彼の言葉に、騎士団の男たちがどよめく。


 

 こうして、私は剣士部隊の副隊長となった。



 そんな時、この国に帝国が宣戦布告をしてきた。

 そのきっかけは、皮肉にも聖女セリスと第二王子だった。

 

 聖女は、イエーネ教の聖地にある「神の涙」という宝玉が、帝国の所有物であることに不満を持っていた。そして、第二王子に「あれは本来、この国が持つべき聖なる宝です。帝国から取り返してください」と囁いたのだ。

 

 第二王子は、聖女の言葉を真実と信じ、帝国に傲慢な要求書を送りつけた。その内容は、「神の涙」を即刻返還せよ、さもなくば聖女の天罰が下るだろう、というものだった。

 

 帝国からの返答は、一通の短い手紙と国境での軍事演習の開始だった。

 

 「我らが盟友である王国の第二王子と、その聖女よ。貴殿らの傲慢な要求は、これまで積み重ねてきた平和条約を愚弄するものだ。我は、貴殿らの無礼を、武力をもって罰する」

 

 これが、皇帝アルフォンスからの返答だった。

 そして、ついに王国軍と帝国軍の戦争が火蓋を切ることになる。


 ◇


 私たちは、王都の固く閉ざされた城門の前で、帝国軍を迎え撃つ準備をしていた。一万もの騎馬隊が、城門の外に陣を構える。私の剣士部隊は、その後方に控えていた。

 

 地響きとともに、帝国軍の騎馬隊が砂埃を巻き上げて迫ってくる。先頭に立つのは、全身を黒い鎧で覆った一人の騎士だった。

 騎馬隊はあっという間に駆逐された。帝国軍の騎馬隊は、私たちの騎馬隊をまるで紙切れのように引き裂いていく。

 そして、ついに、帝国軍の騎馬隊と私の剣士部隊が衝突する。


 先頭に立つ黒い鎧の騎士は、馬を降り、私にまっすぐ向かってきた。黒騎士の指示に従うように、帝国軍の兵士たちが後退し、一対一の戦場が生まれた。


 黒騎士の剣は、まるで生きているようだ。


 ガキィン――

 

 重く、鋭い一撃。私はそれを、全身の力で受け止める。その衝撃で、腕が痺れた。

 強い……フィン兄様より全然強い。

 

 私は、彼の剣の一撃一撃を、必死でいなしていく。横薙ぎの剣をしゃがんでかわし、頭上から振り下ろされる剣を盾で受け止める。

 幾度となくピンチになったが、私はかろうじて戦い続けた。これまで培ってきた剣の腕が、私の命を繋いでくれている。


 そして、最後の鍔迫り合い。

 私は、彼の剣を力任せに押し返す。けれど、彼はびくともしない。

 

「おい、お前名は?」

 黒い兜の隙間から、低い声が響く。

 

「タートリア公爵家長女、メリッサ・タートリアよ!」

「俺は、アメストリア帝国、皇帝、アルフォンス・アメストリアだ」

「え? あんた、皇帝なの?」

 

 予想外の言葉に、私は鍔迫り合いの力を緩めてしまった。その隙に、彼は私の剣を弾き飛ばす。私の喉元に、彼の剣の切っ先が突きつけられた。


「ああ。お前の強さに惚れた! 俺の妃になれ!」


 突然のプロポーズ。

 唖然とする私に、彼は兜を脱いだ。

 

 そこに現れたのは、黄金に輝く金髪と、吸い込まれるような碧い瞳を持つ、若き美青年。

 悪魔のような皇帝だと噂されていた彼は、とんでもない美男子だった。


「どうだ、メリッサ。俺の妃になって、俺と共に天下を取らないか?」


 にやりと笑う彼の顔を見て、私は一つの賭けに出ることにした。


 

 これがきっかけとなり、婚約破棄常習犯の私は帝国の皇帝の妃となるのだが……それはもう少し先の話。

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