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04. ミーちゃんは、忘れない

ミーちゃんは、家族から可愛がられて、

すくすく育っていった。


でも、まだ子猫だったので、

無邪気にじゃれて遊んだり、

お腹が減れば、

母に甘えて、食べ物をねだったりしていた。


幼い僕と姉は、

いつもミーちゃんの取り合いをしていて、

今晩は誰がミーちゃんと寝るのか、

について、毎夜けんかを繰り返していた。


ミーちゃんはとても可愛くて、愛おしかった。


ミーちゃんが我が家へやって来てから、

2ヶ月ほどが過ぎた頃、

東京へ引っ越した幼馴染みのひで君に会いに行くことになった。


母と姉と僕の三人で、東京への二泊三日の旅行だ。

僕は、生まれて初めて新幹線に乗れることに狂喜した。

東京は、テレビの中だけの世界という印象で、

憧れも興味もなかった。

ただ、新幹線に乗れることで、脳内が満たされていた。


母は、ミーちゃんを家に残すことに不安を覚えていた。

「こんな小っさい子、ひとりで残して大丈夫かなぁ」


中小企業のサラリーマンをしていた父は、

決まって午後9時頃に帰宅して、

ひとりで夕食と晩酌をすることがほとんどだった。


母は、父の晩酌のために、

スーパーで売っている小さな刺身の盛り合わせを、

一品だけ、夕食のおかずに加えていた。

小さな子供達には、まだ刺身の美味さが理解できなかった。


「猫なんか、放っといても大丈夫やろ。

 ワシが、エサと水くらい、与えとくがな」

父は、ビールを飲みながら答えた。


その頃のミーちゃんは、

父の晩酌には刺身が出されることを覚えていて、

父が帰宅し、夕食と晩酌を始めると、

ちょこん、と父のそばで座って待機するようになっていた。


父は、刺身を小さくちぎって、ミーちゃんに与えた。

ミーちゃんは、とても美味しそうにその刺身を食べた。

まだ小さな口で、一生懸命、何度も刺身を咀嚼した。

その時の、目を細める表情がとても可愛くて、

不愛想で品のない父も、

「ミーちゃん、一緒にお留守番しよなー」

とミーちゃんの頭を撫でていた。



二泊三日の東京旅行は、あっという間に終わったが、

覚えているのは、

新幹線は東京駅に近づくと、びっくりするほど速度が遅くなること、

麻布十番で食べたたい焼きの皮が、パリパリしていたこと、

ひで君の家はマンションの一室で、窓から東京タワーが見えたこと、

くらいだった。


それよりも、家に帰ればミーちゃんに会えることが嬉しかった。


母、姉、僕が家に帰ると、一階には気配が何もなかった。

あれ、ミーちゃんおらへんなー、

なんて言いながら、姉と僕はミーちゃんを探し始めた。


その頃の我が家は、

一応、二階建ての戸建だったが、

長屋に毛の生えたような小さな家で、

一階は、六畳二間に台所、トイレ、風呂、

二階は、四畳半二間、しかなかった。


そんな小さな家だから、

ミーちゃんはすぐに見つかった。


僕と姉が使っている二段ベッドの下に隠れていた。


昼間なのに、薄暗いベッドの下から、

ミーちゃんの、怯えたように警戒した、

丸くなった黒目が、光っていた。


ミーちゃん、なんでこんなとこにいるんやろー?


とりあえず、ミーちゃんをベッドの下から引きずり出して、

抱きかかえて、一階の居間へ僕は戻った。


母から、新しい水と、おやつ代わりにじゃこをもらって、

ミーちゃんも落ち着きを取り戻し、

普段どおりに、居間で過ごすようになった。


母、姉、僕の三人が夕食を済ませて、

テレビを見ながら、ミーちゃんとじゃれ合う。

東京へ行っている間も、

ミーちゃんに触れるこの時間を求めていた。


そんな時、父が帰宅した。

玄関から、父の声が聞こえた瞬間、

ミーちゃんの顔が強張(こわば)って、

僕の腕の中から、必死にもがいて飛び出そうとし始めた。


ミーちゃん、どないしたん?

僕は、ミーちゃんの暴れっぷりに驚いて、

ミーちゃんが手の中から逃げないように、

必死にミーちゃんを抱きしめていた。


もがくミーちゃんの爪は、

容赦なく僕の腕のあちこちを引っ搔いて、

あっという間に僕の前腕は傷だらけになったけれども、

まだ子猫のミーちゃんの力は強くなくて、

僕は、ミーちゃんを抱き続けていた。


居間に入って来た父は、僕と暴れるミーちゃんを見て、

「ミーちゃん、ただいま」

と言った。


その刹那、ミーちゃんは、

フー!

と唸り声をあげて牙を剥き出した。


僕は、こんなに怒ったミーちゃんを見るのは初めてで、

びっくりしてミーちゃんを手放してしまった。


ミーちゃんは、僕の手の中から畳に飛び移ると、

父の方を向いて、

四肢の爪を畳に食い込ませ、

アーチ状に丸まった背中の毛としっぽを逆立てて、

フー!フー!

とすごい形相で戦闘態勢を取った。


父がバツの悪そうに、スーツを脱いで背中を向けると、

ミーちゃんは、これまで見たことのないスピードで、

二階へ駆けあがっていった。


僕はもとより、姉も母も、

ミーちゃんの、父に対する変わりように、

唖然としていた。


僕も姉も、きょとんとしていたが、

母は違った。


「あんた、ミーちゃんに何したん?」

落ち着いた声と凍るように冷たい眼で、

母は父に問いただした。


「ワシは何んもしてへんでー」

父は惚けて答え、いそいそと部屋着に着替えた。


父の夕食と晩酌が始まって、

いつものように、小さな刺身の盛り合わせが卓に上がっても、

ミーちゃんは姿を見せなかった。


あれー、ミーちゃん、刺身があるのに来おうへんなー、

と僕と姉がいぶかしんでも、

父は聞こえないかのように、

新聞を読みながら、箸を進めていた。


ひととおりの食事を出した後、母が居間で父を詰めた。

「あんた、何したん?」


さすがに父も、母を無視することができず、

「留守番してる時に、ワシがここで飯食ってたら、

 ミーちゃんがワシの刺身に手ぇを伸ばしよったんや」


ふーん、それで?

と母はまだまだ冷たく問い続けた。


「そやから、ミーちゃんを追っ払うために、

 読んでた新聞を、くるくるっと丸めて、

 それでミーちゃんの頭をはたいたんや」


父が気まずそうに答えると、


「そんだけで済んでへんやろ!

 あんた、ホンマはあの子に何したんや!」


怒り心頭の母が、顔を赤らめて激高すると、

父は力なく、

ホンマにそれだけなんやぁー、

とか細く答えた。


母はもとより、姉も僕も、

誰一人、父の言い分を信じなかった。


相当ひどい折檻を、

父はミーちゃんに与えたのだろう。

父以外の三人は、そう思っていた。



それ以降、

ミーちゃんは、どんな時でも、

父を顔を会わせると、

フー!と吠えて、牙を剥き出しにして威嚇した。


そして、父のいる部屋からは、

飛ぶような速さで逃げ出して、

一緒に過ごすことは、(つい)ぞ無かった。


僕は、思春期を過ぎて、大人になったが、

父の人間性の欠落を、最初に見抜いていたのは、

ミーちゃんだったと、改めて思い返す。


ねこは純粋だ。

良い意味でも、悪い意味でも。


ミーちゃんがすっかり大人になっても、

10才を超えたおばあさんねこになっても、

ミーちゃんは、変わらず、

父と顔を会わせるたびに、

牙を剥き出しにして、唸り声を上げて、

怒り、威嚇し続けた。


ある時、そんなミーちゃんを見て、

いたたまれなくなった父が、

「お前のエサ代、誰が稼いでると思ってんねん」

と、ぽそっと口にした。


もう、思春期を過ぎていた僕は、

ミーちゃんのご飯を、まだ「エサ」って言うてるから、

お前は嫌われ続けとんねん、

と確信した。


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