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アルニラム・サンチェス。享年十二歳。体調を崩していたが、家族が領地から戻ることができず、ひとり王宮にて保護。弱っていたところ、部屋の外に出て階段を踏み外して死亡……。
それが歴史に刻まれた、悲劇に襲われた貴族令嬢の話。シリオ王太子殿下と仲が良かった令嬢は、そうして人生に幕を閉じた……。
と、誰もが思っていたのに。私でさえそれを信じていた。でも実際は違う。彼女は転生した。転生して、再び貴族令嬢として生を受けた。そしてそれを私に教えた。
……何故、とは思うけど。私なんて彼女にかかればひねり潰せるくらい歴史のない侯爵家の令嬢だ。金で地位を買ったか、それとも功績を出したのか。彼女にかかればすぐわかるものだろう。
「お嬢様? どうされました?」
「……ううん、何でもない」
お風呂上がりの髪にオイルを塗ってくれている侍女に声をかけられて首を振った。帰ってからずっとこうだ。彼女のことを考えてしまう。彼女の前世、といった方がいいかもしれないが。サンチェス家の現状も知らない小娘が何を十二年前のことを探ろうとしているのか。それに、彼女の言っていたことが本当とも……。
否。本当なのだろう。彼女のあの仕草、名乗りなれたと言わんばかりの口調。流れるようなカーテシー。どこをとっても美しかった。質素なドレスが本来の姿なのだと思わせられるくらいには。
彼女が本当に、あのアルニラム・サンチェスの生まれ変わりなら、一体どうするのが正解なのか。
この家に弱みはない、と思っているだけで彼女の手にかかればないこともあることになるのだろう。最初から協力する、という答えしか彼女には見えていない。そしてそれは私もそう。
この家を守るために私が今できることはひとつだけ。
協力の二文字だけなのだ。
彼女に逆らえない。逆らう余地もない。その思考さえも選択肢の中にはない。一択だけなのだ。最初から私に残されているものなど。
ふう、と息を吐いて侍女が用意した紅茶を飲んで、また息を吐く。いつ、彼女に連絡を取ろうか。グティレス家に連絡を取ったとて、彼女だけが来るとは思えない。彼女が今日の茶会で結んだ縁だと思われても困る。うちには幼いけれど弟がいるし、弟には懇意にさせてもらっている少女もいる。婚約者候補に、なーんて言われても……ね。
いっそ彼女の家に突撃したほうがいいのだろうか。そのほうが強制的に彼女だけを連れ出すことができる。彼女の家の人間を他に連れて行かないように圧をかければ、なんとか。
けれど、彼女以上の圧を出せるだろうか。彼女が家でしおらしくしている様子など考えつかない。何せ、私のことを「お前」と呼ぶほどだし。
手紙を書いて、その日のうちに行こう。それで彼女を保護するのもいい。それなら……いや、その場合、両親になんて説明すればいいのだろう。
ぐるりぐるりと考えがまとまらない。ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。茶会にさえ出なければ……。
いや、でも。茶会に出ないという選択肢は今でもない。ただの気まぐれで参加した茶会だったけれど、彼女に会えるのなら。
アルニラム・サンチェスの死について詳しく知ることができるのなら、私はきっと参加するのだろう。
あの不可解な少女の死。取り巻く環境。彼女は何故部屋から出たのか。何故体が弱かったわけでもない少女はそんなに体調を崩したのか。何故彼女の家族は城下に戻って来れなかったのか。
それら全てを知ることがもし、できたなら。
「お嬢様? 何か楽しいことでもおありでしたか?」
「……いいえ、なんでもないの。読んだ本を思い出していただけ」
知らぬ間に口元が緩んでいたらしい。咄嗟に嘘でも本当でもない言葉で濁し、ティーカップをそっと持ち上げた。
ああ、早く会いたい。そしてあの事件の詳細を……教えて欲しい。