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──海を有し、国土も広く。隣国との関係も良好である国。それがここ、アルカウン王国。
アルカウン王国。つまりは王政。王家の血を継ぐ者だけが王になれる。
そして、この国には貴族というものもある。俗にいう貴族社会である。かつて功績を出したもの、王家のために働いたもの。そういった者たちには地位が与えられる。中には……金で地位を買ったものもいるだろう。そういった者たちがどうしているかは、誰にもわからないことだが。
しかしながら、実際にそういった者たちがいたということは文献に記されている。謂わば断罪、糾弾である。
されど文献を信じる者は少ない。なぜなら、書いてあることがすべて正しいとは限らないから。
そんなアルカウン王国にある、数ある屋敷のひとつ。伯爵邸で開かれている茶会で、黙々とお菓子を食べている少女がいた。
少女の名前はルア。ルア・フェンシドゥール。侯爵家の長女だ。歴史はそれほど長くはないが、侯爵家であることに違いはない。
ルアの周りには不思議と人がいない。むしろ、近づかないようにしている、といったほうがいいだろう。ルアはテーブルにおかれているクッキーを手にし、口へと運び──
「……おいし」
小さく、そう呟いた。
──伯爵家のお茶会に招かれたのはいいけど、知ってる顔は多くない。それに、最初に挨拶してからなんか知らないけど、距離置かれてるし。令嬢も令息もいるし、みんな会話してるのに私だけ距離をおかれてる。誰も話しかけてくれないし、話しかけたらいそいそと距離を置かれる。困ったな、本当に。屋敷で淑女教育を受けるだけじゃダメって言われて参加したのに、これじゃ意味ないじゃん。
もう、なんで呼ばれたんだろう。こんなことなら屋敷で本を読んでいればよかった。
お茶会での腹の探り合いとか嫌味の言い合いとかするくらいなら歴史を知ったり知識を身につけたりするほうがずっといい。マナーの勉強は……あんまり好きじゃないけど。
本はいい。いろんなことが知れる。知識も歴史もマナーも、学として頭に入ってくる。
そして、過去にあったことも、知ることができる。
事件、とか。
私が生まれる前のこと。とある事件が起きた。それは社交界だけでなく、平民にも知れ渡っている大きな事件。
とある少女が亡くなった。人が死ぬことは当たり前だし、病弱であれば長生きできるかもわからない。けれどその少女は貴族令嬢──公爵令嬢だった。
見目が良く、器量も良かった令嬢は第一王子の婚約者候補の筆頭だった。そして何より、令嬢が亡くなったのは王宮。故に、この事件は大きく取り上げられることになった。
城下にも顔を出すほどに選民思想に囚われない少女は、王子とも仲が良かったと聞く。そして第一王子は現在でも、婚約者候補はいても婚約者はいない。それが示すのはひとつの答えだけ。
周りが談笑している中、黙ってお菓子を食べて紅茶を飲み、過去の出来事を思い出す。
令嬢は領地に家族がいる間に体調を崩し、幼馴染である王子が心配したため、特別に王宮で過ごしていた。そして、体調が治らぬ状態で王宮内を歩き、階段から……。
そこまで思い出して、ティーカップを静かにテーブルに置いた。亡くなった令嬢は私と同じくらいの年齢だったらしい。つまり、この場にいる令嬢、令息が同じ目に遭ったようなもの。
令嬢は……生きていたのなら、第一王子の、王太子殿下の婚約者となられていたはず。
王太子殿下は、令嬢が亡くなったことにひどく落ち込み、成人するまでの間喪に服していたらしい。
それほどまでに令嬢のことが大切だったのだろう。私には幼馴染もいないし、思いを寄せる相手もいないから、わからないけれど。
はあ、っとため息を吐いてもう一度カップをテーブルに置く。すると、嗅いだこともない良い香りが鼻腔をくすぐった。
「ちょっと」
「……はい?」
「そうよ、お前。名前は……確か、ルア・フェンシドゥールだったわね」
振り向くと、一人の少女が腰に手を当てて私を見ていた。その身に纏っているドレスは、ほかの子と違って質素だ。けれどその子の素材の良さを引き出しており、ちょうどいいとも言える。着飾ったなら、もっと美しく見えるだろう。
淡い水色の、どこまでも青く澄んだ空のような髪がふわりと靡く。
「……家名だと言いにくいでしょうから、ルアでかまいませんよ」
「そうはいかないわ。わたくし、お前より地位が下だもの」
本当にそう思っているのか、と聞きたくなる口調である。そして態度。腰に手を当てて、何を言っているんだと言わんばかりの顔。私が悪いのかと錯覚してしまいそうになる。
地位が私よりも下、というのは別に気にしないのだけれど、下だからそうはいかないと言いながら高圧的ともとらえられるその口調。こんな子、初めてだ。
少し、ほんの少し、口元が緩んだ。
「ではフェンシと。それでもダメですか?」
「いいわよ。フェンシ、ではこちらについてきてちょうだい」
堂々としている彼女はドレスを翻して背を向けて行ってしまった。周りにいる同い年くらいの子たちや、その親たちはヒソヒソと話し始めた。でも、その子は何も気にせず歩いている。聞こえているはずなのに、まるでそう言われるのが当たり前だと知っているような──既に、経験したような態度で。
そして何故かあの少女の後ろについていった子もいる。少女に怒られるんじゃないだろうか。普通に。呼ばれたのは私であって、他の子じゃない。
ヒソヒソと聞こえてくる、大人たちの声。
フェンシドゥール家の令嬢に敬語も使わないなんて……。
なんて畏れ多いことを。
礼儀がなってないんじゃない?
なーんて声も聞こえるけど、どの口が言うのか。私を呼んでおいて、侯爵家を呼んでおいて放置してるくせに。何が目的で呼んだのやら。父も母もタウンハウスにいないこのタイミングで。
大人たちの小さな声を背に、スッと背筋を伸ばして少女の後ろを追う。少し歩いた先で、少女が腕を組んでいた。
「わたくし、お前たちを読んだ覚えはなくてよ」
ぞくり。その態度が、まるで誰か違う人を見せているように思えた。自分が上に立つ人間と知っている人の態度。それは昔、母に連れられて行った茶会で、とある令嬢が見せたものと同じだった。
それは、侯爵家よりも上に立つ人。公爵家のご令嬢。
亡くなったご令嬢の、姉君。
「遅かったわね。早くこの不敬な者たちを下がらせてちょうだい」
「……彼女が呼んでいたのは私です。どうかお下がりください。穏便に済ませたいのは、お互い様でしょうし」
子供たちがムッとしながら走っていく。おそらく、親に言いつけるつもりだろう。そうされたところで怖いものなんてひとつもないのだけれど。今日来ている人間の中に侯爵家より上はいないことはおぼえているのだ。
そしてうちの家族は来ていないから直接言うこともできない。嫌味で攻撃することもできないのだ。使用人の待合になら家令と侍女長がいるが、言ったところで、だ。
はあ、と大きくため息をついた少女が私を睨む。
「あれは何?」
「名前も知らない不届きものです。お調べしますか?」
「いいわ、そんな面倒なことをお前にさせたくて呼んだわけじゃないもの」
少女を見ると、くすりと笑った。口元に手を当てて、上品に、そして……見下すように。
「合格よ」
その言葉の意味が、わからないわけじゃない。
「……ありがとうございます」
「お前はこれから、わたくしの手となり足となるのよ。光栄に思いなさい」
「そ……れは……」
侯爵家の人間として、立場が、地位が下と自分で言っていた人の下についていいものか。うろ、と目を泳がせると、彼女はまた笑った。
「わたくしはアル……じゃないわね。ソレイユ。ソレイユ・グティレス。男爵家の人間よ」
「……男爵家?」
「見せしめでしょうね。両親は来る気なかったみたいだったし。今日の朝、わたくしだけ外に出して行ってこいって言ったのよ。腹立たしいけれど、まあお前に会えたからいいわ」
男爵令嬢なのになぜひとりで、と思ったら外に放り出されただけだった。同じくらいの年齢の子供でさえ見せしめに使うのか。貴族社会というのは面倒なものだ。
そして……グティレス家。
「気づいた? お前は頭が回るのね。両親がともに不貞行為をしてるから、どっちの血を継いでるのかもわからない不義の子よ」
「……申し訳ありません」
「いいわ。わたくしは気にしていないもの。いつかあんな家は出ていくに決まっている」
ふん、とそっぽを向いたグティレス様。心底どうでもよさそうにするものだから、目が丸くなる。
「……どうして、私を呼んだんですか?」
「お前が侯爵令嬢だったからよ。あと敬語は外しなさい。家名で呼ばれるのもごめんだわ。これからはわたくしはお前をルアと呼ぶ。先ほど呼べといったのもお前なんだから、いいわね?」
「え、えっと……」
「わたくしがいいと言っているの。そうしなさい」
令嬢の言葉遣い。態度。小さな仕草。とても男爵家のものには見えない。
そういえば、面白い小説があったような気がする。確か、それは転生と呼ばれるもので……
「……あなたは、誰ですか?」
何も考えずに、ただぽろりと出た言葉。その言葉に少女は目を丸くして、にっこりと笑った。扇があれば、口元を隠していただろうと思えるほどに、優雅な笑い方。
「私に、どうかあなたの名前を聞く許しをお与えください」
「……いいわ。わたくしが許す」
彼女は美しいカーテシーをして、私を見る。きらり、と彼女の金色の瞳が、闇を切り裂くように煌めく。
「わたくしはアルニラム。アルニラム・サンチェス。十二年前に事故死に見せかけて殺された……サンチェス家の次女よ」
その口から出たのは、第一王子であり王太子であるシリオ殿下の婚約者候補、筆頭令嬢の名前だった。