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そこにあるかなた (後編)

沈黙の世界に響くかな切り音、一層冷たさを感じさせるその塊は、ルイーズ達を乗せ目的の補給駅サンシャルルに予定から3時間程遅れて到着した。


 列車の数えきれない弾痕と

、降りてくる者達の憔悴しきった姿を見て、駅長は長く伸ばした顎髭をなでる癖も忘れてしまっていた。


 「こんな状態でよくここまでたどり着きましたな」


 「はい、、。多くの犠牲者を出させてしまいました」


 生徒達のうつむきながら下車する姿を静かに見つめながらコハクは答えた。


 「それで積み荷は無事なのかい」


 「はい」


 「なら成功を喜ぶべきだ。正規兵でもない彼らが、偉業を達成したのだから」  


 犠牲者にたいしての敬意を込めての言葉だったが、コハクは素直にありがとうと返す気にはなれなかった。


 「、、、すみません。補給が終われば夜が明ける前に出ようと思います。それまで彼らに少し落ち着ける場所と、軽い食事の提供をして頂けると助かるのですが」


 コハクは疲れ果て、列車から降りホームに座り込む生徒達を見つめていた。


 「ああ、もちろんだ。すぐに用意させよう。駅長室を使うといい。で、積み荷はどうする」


 「はい。そのまま客車で食事と休憩をとって頂こうと思います。たぶん今はその方がいいと思いますので」


 「わかった。そちらにも食事を届けさせよう。じゃが穴空きの客車じゃ落ち着かないだろう。こちらで新しい列車をご用意させて頂こうと思うが宜しいか」


 「宜しくお願いします」


 コハクの答えに髭を触りなから満足気に頷くと、駅長は部下にいくらかの指示をしながら駅長室に足早に戻っていった。

 

 しばらくして案内された駅長室では、昨日の食事会と同じメンバーでリラックスした食事となる予定だったのだが、だれひとり出された食事を取ることもなく、横になるか塞ぎこんでいた。

 マリアですら無言で食事を足元の猫達に与えるだけだった。

 薄暗いランプの光にたかる蛾の影の動きですら救いに感じられる時がしばらく続いた。



 「、、先生。アレク達遅れてるだけだよね」


 血で汚れた包帯で手首から肘までを巻いたアーチュウが、その手を押さえながら口を開いた。

 コハクの表情から答えを読み取ろうとみんなもゆっくり顔を上げる。

 少し離れたテーブルで座っていたコハクは、祈るように組んでいた手をゆっくりほどき立ち上がると、傷ついた研修生達を見回し口を開こうとした。


 「みんな遅れてごめん!」


 勢いよく空いたドアのせいでランプに照らし出された影達が激しく踊る。


 「ジョン!」


 アーチュウが叫ぶ!


 「アーチュウ静かにっ!」


 包帯越しに片目を押さえながら、エレナがジョンの後ろから顔を出した。

 2人の名前を連呼する声が響き渡る。

 ルイーズは一番にエレナに向かって走り出し、力一杯抱き締めた。


 「ルイーズ!ごめんね心配かけて。あのあとジョン達と合流してあとを追いかけたの」


 「ごめん!ごめんはこっちの方だよ!すぐに助けに行かなくて、、ごめん!私ひどいことを、、」


 「ルイーズ、大丈夫だよ。あんたは正しいことをしたんだからもう泣かないでっ」


 エレナは自分より少し背の高いルイーズの頭を撫で無傷な瞳から涙を流す。


 「ジョン達?達って他にもいるの!」


 「ああ、ルイよく気づいたね」


 その声にみんな聞き覚えがあった。


 「アレク!!」


 ジョンの後ろからエトワールの代わりをしていた女性と笑みをたたえてアレクも現れる。

 ここまでの道中の激しさを感じさせるほど二人服はボロボロになっていたが、口調はいつもの優しく冷静なアレクの声だった。

 マリアは瞳と同じ程に口を開き、ルイーズはその場に泣き崩れた。


 一斉に歓声が上がる。


 静かに!と制止をするアレクの声すらみんなの喜ぶ声にかき消される。

 しばらく祝福をいっぱいに浴びたアレク達4人は、熱い歓迎の後、改めてここまでの経緯をコハクから聞く。


 「そうですか、、、でもあの一個師団からこれだけでも逃げ延びれたのは奇跡ですね」


 アレクは奥の席に座るコハクの横で、水の入ったグラスを一気に傾けると小さく呟いた。


 「ここにたどり着いた皆さんと残念ながら礎となっていった方々の力があってこそです。奇跡等で片付けられないほどの、、多くの尊い犠牲が払われました、、」


 少し前と違い、笑顔と精気が復活した研修生たちを見ながら肩を落とした。


 「すみません。今回、、特にあなたには重荷を背負わせてしまいました。選択の中にはもっと良い選択もあったのに、、私は、、」


 「先生っ」


 コハクの言葉を遮る。


 「僕には小さい頃からの願いがあるんです」


 アレクはコハクの前に置かれた冷水の入ったグラスの表面を流れる水滴を舐めとる猫を見つめながらゆっくり話しをし始めた。


 「僕が幼稚園位のとき、町の外れの小さな家に両親と姉と4人で暮らしていました。  

 僕は家の横に生えた家より大きいシンボルツリーに、姉と一緒に毎日登ってばかりいました。その時はまだ戦争もなく、ただ平和な楽しい日々が過ぎていました。

 姉は5つほど年上で、すでに通っていた学校でもすごく優秀だったと聞いています。

 ある日、母が毎日食事を作るときに聞こえていた鼻唄が、聞こえない日がありました。

 気になって僕は顔を見るために、椅子の上に上がり覗き込みました。  

 すると母が泣いているのを初めて見ました。

 子供ながらにどうしていいかわからず困っていると、母は何も言わず私を抱き寄せ、そのまま時間が経過しました。

 その日から家族は3人になりました。

 母は帰ってこない父の代わりに、姉が学校から帰ると仕事に行くようになりました。

 時には夜遅くになることもあり、そんな時は姉と2人でいろんな話をしながら、過ごしました。

 ある日、僕は庭で弱って動けなくなった黒猫を連れて帰りました。どうしても放っておけず、飼いたいと姉にせがんだのを覚えています。

 初めは飼えない事を諭していた姉だったのですが、あまりにも泣いてせがむ僕にほだされたのか、母に飼うことを一緒にお願いしてくれたのです。

 そしてまだ小さい私の代わりに猫のお世話もしてくれました。 

 黒猫にノアールとつけて家族がまた4人になったねと、2人で楽しく話したのを覚えています」


 アレクは、コハクのグラスをひっくり返しそうになった猫の脇に手を入れ持ち上げると、そっと自分の膝に下ろし喉の下を優しく撫で始める。


 「それから数ヶ月たった風の強い日の夕方、突然振りだした雨に洗濯物が濡れないよう、母と姉は作りかけのシチューを置いて外に走っていきました。

 僕はなぜかその日に限ってお手伝いをしようと思い、僕専用の椅子を鍋まで持っていき上に登ると、初めて見よう見まねでシチューの中に入った大きな木のへらでかき混ぜ始めました。

 するとノアールが僕の回す棒が気になったのか、椅子を勢い良く上がってきて僕に手を伸ばして来たんです。

 僕はダメっと大きく言って棒を下に勢いよく下げました。

 その時!

 大きな音と共に椅子が倒れて、鍋をかき混ぜていたへらが引っ掛かって鍋を倒し、僕のほうにシチューがゆっくり流れて来るのが見えたんです。

 僕の顔にかかると思って目を瞑ったのですが、一向に熱さを感じることはなくて、、、目を開けるとそこには必死な顔をしたお姉ちゃんがいました。 

 『熱いのかかってない!どこも痛くない!』 

 見るとシチューがかかって姉の手は、真っ赤に腫れ上がっていました。

 自分の手を犠牲にして僕を大火傷から守ってくれてたんです。

 大丈夫って言うと安心したのか、そのあと手を押さえ、うずくまったお姉ちゃんに泣きながら謝ったのですが、お姉ちゃんが言ったのは、 

 

 『怪我してなくて良かった!』でした。


 その後母が慌てて姉の手当てをして、、。


 あの時はなぜだかわからず、ただ泣きじゃくったのを覚えてます。

 

 そして次の日の晩御飯の時。

 お姉ちゃんは食べにくそうにしている僕を見て。


 『お姉ちゃんはね、いつも君のことが大好きなんだよ。

 特に笑ってる顔が。

 悪いことをしたって思ってるんでしょー。

 だとしたら違うよ。

 お姉ちゃん、嬉しいの。

 だって大好きな弟が無事だったんだもん!だから一杯笑ってる顔を見せて、たくさん元気に食べてるところ見せて!お姉ちゃんのことが好きだったらね~!』


 僕は答えることもなく、ただ一生懸命に口にシチューとパンを詰め込んだ。それを見たお姉ちゃんが笑顔になって、母がアラアラといいながら、僕の口と涙を拭いてくれました。

 辛い日の思い出だけど、今までで一番大切な日の思い出です。


 それから数ヵ月がたったある日。

 その日の夜は特に激しい雨風で、小さな家が飛んでいかないかと3人で寄り添いあって眠っていました。

 みんながようやく寝静まった頃、突然外の風が家の中に乱暴に入り込んで来ると、びしょびしょの外套を着た男達が、吹き荒れる嵐のように寝ている母の前に来て、母に何か言い、手紙のようなものを渡しました。

 それを見た母は取り乱し、強い口調でその男に言い返していました。

 僕には風のためか、何を話しているか分かりませんでした。


 そのあと姉が割ってはいると男達と母の会話が静になり、雨と風の舞い狂う音が部屋を一巡すると、雷の明かりに照らし出されたのは、その男の1人がお姉ちゃんの手を引き、外に向かおうとする姿でした。

 お姉ちゃんは自分の服の裾を、残った手で強くひっぱりながら下を向き、黙ってついて行くところでした。

 僕はお姉ちゃんの名前を呼びながら、走って追いかけようとしたのですが、母に抱き締められ止められました。

 それを見たお姉ちゃんは、僕たちに笑顔で手を振って出ていきました。

 連れていく男達に、知らない言葉で叫ぶ母の叫ぶ言葉。

 全てわからないことばかりだったけど。

 ただなぜか、もうお姉ちゃんと会えなくなることだけは、わかりました。


 その次の日から、家族が2人と一匹になりました。


 あの時のことは次の日から話しないようにしました。

 母の辛そうな顔を見るだけで子供ながらに理解したんだと思います。

 それからしばらくして家を引き払い母の職場のあるリモージュに引っ越しました。

 月に数回、母は何日か家を空けることはあったけど基本2人と一匹での新しい生活や学校も始まりました。 

 ある日母が『また家族で住めるかも知れない』と言いました。

 私は嬉しさよりも不安一杯でした。何かをまた失うんじゃないかと。

 不安は的中しました。


 数日後、母が軍事病院に移送されてきて集中治療室に移されました。

 慌てて面会に行ったときにはもうほとんど話せない状態でした。

 母は最後の力を振り絞って私を呼ぶと小さな声で『お姉ちゃん達を誤解しないであげてね。全てわたし達のためにしたことだから。いつかあなたに、自分よりも大切な、守りたいものが出来たときにわかるわ。

 エマとあなたのこと空から見守ってる、、ずっと愛してる、、、』


 そういうと母はいつもの優しい笑顔と共に、深い眠りに落ちていきました。

 それからの私の夢はいつかエマ姉ちゃんを見つけて、母の最後の言葉通り側で守ることとなりました。


 そのために部隊に入り、情報を集める仕事をしようと思ったのです。ひょっとしたらその中で姉の居所がわかるかもしれないと思って。

 ですが、ルイーズやみんなに出会って、たくさんの幸せを感じることがあり、いつの間にか新しい家族が出来たようでした」


 いつの間にか眠ってしまった膝の上の猫を撫でながら少し微笑む。


 「みんなと一緒に居れたこと、全てが夢のような日々です。独り静に生きていたら、こんなに満たされることはなかった。

 先生、あなたのおかげで大切なものが、ひとつでも多く残って、それを守るために働ける。これ以上なんてないですよ」

 

 アレクはコハクに手を伸ばした。


 「ありがとうございました」


 コハクはアレクの差し出した手に自分の手をそっと重ねた。


 出発まであと3時間。


 いくつかの会話と軽食をとったあと、ある者は仮眠をとり、あるものは武器の手入れを、また傷の手当てをしている者も多くいた。

 ルイーズもまたアレクの隣で武器の手入れをしていたが、ふとマリアが居ないことに気づき辺りを見回した。

 もともと存在感がないほうだったが少なくても見えるところ、特に窓際にちょこんといるのが彼女だった。


 少しの間待ってみたが、一向に帰ってくる気配がないので、隣で銃の手入れをしているアレクに声をかける。


 「アレク、マリアがいないの」


 ルイーズがアレクにこっそり言うときは、決まって重要な問題が発生した時だ。

 アレクはすっと立ち上がるとみんなより顔ひとつ高いところから見回す。


 確かにいない。


 「トイレは?」


 「ううん、結構待ったけど帰ってこないの」


 ルイーズの顔を見返すと、心配より判断を待つ顔をしている。

 

 「念のため外を少し見に行こう、ジョンとエレナにも声をかけて。

 何かがあると決まった訳じゃないから静に。でも銃の携帯も忘れずにな。

 ルイーズにそう伝えると、コハクに連絡を入れに行く。

 コハクは頷くと、危険を感じたらすぐに合図をするようにと指示した。


 外は雲の隙間から、時折顔を出す月明かりのみで、黒と灰色の色彩で世界が出来上がっていた。

 4人は目立たないように部屋の前後のドアから外に出ると、乗ってきた車両はすでに撤去されたのか、ホームはがらんとしていた。

 ホーム越しに線路の先を見ると、この世界以外に繋がっているような妖しい静けさが漂っていた。

 マリアの立ち寄りそうな、トイレや駅周辺を2名ずつに別れくまなく探したが、どこにも存在を確認できなかった。

 アレクは念のため、本物のエトワールが休んでいる新しく用意されているという客車に向かうことを3人に提案し、早速向かう事にする。

 アレクはみんなが休息している駅長室をチラリと見たが、嫌な考えを振り払うように前を向きなおし、4人は車輌庫に急いだ。

 

 背をかがめ少し間を空けながら、停車中の車両達の間を音を出来るだけ立てないように早足で進行していたが、500メートル程行ったところで、先行していたジョンが右手を後ろ手に下げ、物陰に隠れるよう合図をした。

 ジョンの視線の先には、犬の首に何かを巻き付け暗闇に追いたてるマリアがいた。


 「マリア!何してるの?!」


 ルイーズは思わず声を出してしまった。


 その声を聞いたマリアは少し肩を上下させたが、ゆっくり立ち上がり、膝の砂と手の汚れを払うとルイーズ達の方に振り返った。


 【パンッ】


 小さく銃声が響くとルイーズの結っていた右の髪が弾け飛ぶ。

 4人は転がりながら近くの物陰に隠れ、マリアから距離を取り銃を構える。


 「残念です!こんなに早く見つかるとは思ってなかったわ」


 マリアは停車中の車両に隠れながら声を発した。いつもの何か無機質で頼りない声とは違っていた。


 「マリアどういうこと?あなたさっきまで一緒に戦っていたじゃない!」

 

 暗闇に2人の声が吸い込まれる。


 「そうね。でも一緒に戦っていたんじゃないわ。私は私の考えた形になるよう行動してただけ」


 「だってロベールに最後のトドメをさしたのもあなただったじゃない!」


 ルイーズが話している間にアレクはジョンとエレナに取り囲むよう配置を促す。


 「そうね。あんなに綿密に練った作戦だったのに、エトワールの偽物にも気づかず簡単に失敗して。しかも挙げ句に私まで巻き込んで死のうとしたんですよ。これ以上何かしでかす前に死んでもらうしかなかったんです。

 ま、結果的に皆さんが疑心暗鬼だった私を信じ込ませるためには一役かってくれましたけど」


 そういいながら車両間を移動していく。


 【シュシューッ】


 停車中の機関車の1台から蒸気の音がする。


 「マリアやめなさい!もう逃げられないわ!投降して!」


 ルイーズも、走りながらボイラーの動いている機関車の隣の車両につくと、車両の下からマリアの位置を覗き込む。

 数歩歩いたところで、ルイーズの横のパイプに銃弾が当たる。

 慌てて車輪の影に移ったが、残念ながらマリアの位置を確認することが出来なかった。


 「マリア!他にも仲間がいるの?!」


 位置を確認するために、もう一度ルイーズが叫ぶ。


 返事はない。


 隣の機関車がゆっくり動き出す。

 駅長が用意をしたという列車。

 気動車両と貨物部分、そして客車部。最低限の構成で、たくさんの人を運ぶのではなく、速く人を運ぶことに特化した構成だった。

 数分も経てば追い付くことも出来ないだろう。

 ルイーズが慌てて飛びだしかけた時、北、東、西の3箇所から指笛が聞こえた。

 ルイーズも慌てて唇に指を当て吹きならす、配置完了の合図だった。

 間もなく気動車の前方付近から照明弾が発射され、辺りを照らし出した。

 それを合図にルイーズが飛び出すと、挟み込むように一斉にアレク達も銃を構えて飛び出した。

 動き始めた車両の小さく空いた穴から突き出た銃口、貨物車輌の屋根の人物など、確認できただけでも6つの銃口がルイーズ達を狙っていた。


 一番初めに発砲したのは先頭車両付近にいたジョンだった。

 気動車部の窓から外に乗り出していた男は、ジョンと目があった瞬間に額を撃たれその場に崩れ落ちた。

 貨物車輌の資材の上に乗っていた者とは数発撃ち合いとなったが、資材に足をとられ体勢を崩した一瞬に胸を撃たれ、敵は高所の利を生かせないまま地面に落ちていった。

 そして1名が車輌から飛び出し様に撃った銃弾は奇跡的にジョンの足を貫き、ジョンはその場に顔から倒れた。

 男はさらに追い討ちをかけるように倒れたジョンに駆け寄り発砲する。

 動かなくなったジョンを確認すると、車両に振り返り、銃を手に走り込んでくる敵影に向け銃を構えた。

 まるで教科書の用にしっかりと狙いを定め引き金に指をかけ力をこめたその時。


 ガシッ。


 男は首を後ろから締め上げられた。横目で見ると死んだと思っていたジョンが立ち上がり、恐ろしいほどの力で首を締め上げている。

 男は銃を持っていない手で必死にあらがおうと試みたが、数秒後には両手から力を失い、そのまま地面にぬるりと倒れ。

 それを追うようにジョンも再び地面に倒れた。


 エレナはルイーズ達とは車両を挟んで反対側にいて、照明弾のせいで逆行になっている客車の上の敵との、撃ち合いになっていた。

 片目とはいえ撃ち合いでひけをとるはずではなかったが、次から次に先回りで打ち込まれる弾丸に、照準を合わせきれないことに焦っていた。

 だが照明弾が機関車の影に隠れる一瞬、地面に飛び込みながら空中で腕を固定し照準を合わせる。

 一瞬、天板に月光が反射して見えた敵の姿に、引き金を引くのが少し遅れ、相手の銃弾の方が先にエレナの腹部に届いた。

 撃たれながらも放ったエレナの2発の連弾の一つは、敵が落ちないように掴んでいた機関車のパイプを撃ち抜き、もう1発は構えた銃の下部と指に当たった。

 加速し始めた機関車の振動もあり、掴んでいたパイプは外れもろとも落下した。

 落下した者は地面を転がり衝撃を最小限にすると、すぐに立ち上がりうずくまって動けないエレナに目線を向け、銃を向ける。

 何か言いたげな視線で少し見ていたが、とどめの銃を発射するのを止め、思ったより出血のある手を残りの手で押さえながら、動き始めた機関車の最後尾に乗り移るため、落ちるときに痛めた脚を引きずりながら走り始めた。

 

 ルイーズとアレクは車内から狙っていた者達の狙いが合いづらいよう、車両の左とさらにその後方から蛇行しながら近づき、車両から突き出ていた銃口に向けて一発ずつ撃ち込む、すると向けられていた銃口は、力なく天を仰ぎ動かなくなった。

 ルイーズはアレクに向かって前方に向かうと手話で合図を送り、さらに一言付け加えた。


 【絶対死なないでね】


 ルイーズは、そのまま身を屈め銃を構えながら前方に走り出した。


 「君は絶対に死なせないから」


 走り去る後ろ姿に言葉を返し、アレクも行動に移った。


 ほどなくルイーズは地面に落ちた閃光弾に照らされた、ほのかに光る動かなくない人影を見つけた。

 銃を構えながら、ゆっくりそのそばを通ると少し離れたところで倒れている、ジョンを発見した。

 近づいて声をかけたが反応がない。

 その場では格好の標的になるため、襟を思い切り掴むと暗がりに向かって急いで引っ張り、戦場から遠ざけた。


 ルイーズから侵入場所を変わったアレクは、最後尾の客車に乗り込む為、後部の入り口に近づいていく。

 そこには、サンシャルルの駅で見かけた駅員が二人、銃を持ち構えていた。

 

「やっぱりそういうことかっ」 


 アレクは小声で言うと回り込みながら銃を構えた。本来ならこのような無理な突入はしないのだが、動き出した列車をこれ以上逃がさない為には、これしかなかった。

 一番始めに照準を合わせにきた男にターゲットを合わせるが、視界の外に何か危険な動きを感じ後ろに飛びづさった。

 

 【パンッ!】


 アレクの左の頬から血が飛び散り体が反転する。

 なんとか倒れず足をひろげ体制を維持すると、弾丸の放たれた方向にすぐさま銃を向ける。

 するとそこには、月明かりに照らされて金色の髪がさら白金に輝くマリアが、銃を構える姿があった。


 「よく避けましたねアレクさん!でももう終わりです!」


 走りだした車両に焦るあまり、車両の陰から現れたマリアにアレクは動きを止められ、乗り込む最後のタイミングを失った。

 しかも頬からの出血も思ったより多い。


 「これも全て君の作戦通りなのか」


 アレクは左手で傷を抑え、右手で銃を構えながらマリアに問う。


 「そうね。あとはあなた達がいなくなれば完了よ」


 車両の走行音がだんだんと遠ざかり、辺りには静寂が戻り始める。


 「マリア!あなたこそ終わりよ!銃を下ろしなさい!」


 駆けつけたルイーズが少し離れた場所からマリアを狙う。

 マリアは少しだけ目を動かしたがすぐにアレクに戻した。


 「ルイーズ!すまない!ここは僕に任せて、先生とみんなにエトワールが連れ去られたこと伝えにいってくれ!

 このままでは敵に逃げられる、急いで追ってくれと。きっとさっきの閃光弾でみんな気づいて近くまで来てるはずだから!」


 マリアに銃口を向けたまま叫ぶ。


 「でもマリアを相手じゃ、殺さずに捕まえるなんて簡単にはいかないわよ!二人でならなんとか」


 「お願いだ、早く!」


 珍しく強い口調で、アレクはルイーズの言葉を遮った。驚きもあり、ルイーズは言葉を詰まらせた。



 「、、わ、わかった。でも、無理しちゃ。無理しちゃだからね!絶対に帰ってくるのよ!帰ってきたら話したいことがあるんだから!」


 そう言うと、駅舎に向かってルイーズは全力で走り出した。

 それを横目で見送るアレクの顔は、どこか悲しみをたたえていた。


 「私を助けようと思ってるの?

 2人とも甘すぎるわ。少し一緒にいたからって、、私は敵なのよ。

 それに見て!もう簡単に追い付ける距離じゃないわ!あなた達の負けよ!」 


 ルイーズの走り去る後ろ姿からアレクに注意を戻すと、遠くに消えかける機関車の明かりを見て、口をつぐむ。


 「エレナはどうした。あいつとやりあったのは君だろ」


 マリアから返答はない。


 「なんてことを、、。

 優しい仲間思いの子だった、、君と真剣に撃ち合うことも出来なかっただろうに、、、、」


 「、、、、」


 「初めからノーザンのスパイとして潜入していたのか」


 「、、、」


 「みんなあんなに信用してたのに」


 「アレクは気づいていたんじゃないの?」


 マリアは重い口を開く。


 「薄々な、、でも、信じようとしていた」


 「なぜ?」


 「、、、マリア、ここから逃げてくれないか」


 「!。何を言ってるの?自分の言ってることわかってるの?

 私はあなた達を騙し、追い込んでる敵なのよ」

 

 マリアは意表をつく言葉に驚き、質問を返した。


 「君の持っているその年代物の銃の装填数は10発。

 しかもマガジンの破損状況からするとエレナとの撃ち合いの後、装填も出来てない、、、残る弾丸はおそらく数発。その弾数と手の傷では僕に勝てないよ」


 マリアは自分の腕をゆっくりと伝い、肘からを滴る血液と壊れたグリップをチラリと見た。


 「残念だけど、まだまだ弾数も引き金を引く力もあるわよ。あなたの方が重傷に見えるわ」


 マリアに撃たれた頬の傷からの出血で右の上半身の服が大きく変色していた。


 「そうでもないよ」


 少しの沈黙の後、マリアが口を開いた。


 「ふぅっ、、。やっぱだめ、、、撃ちなさい」


 ため息とともにマリアは銃をおろした。


 「あなたの言う通り残りの弾はあと一発、しかもこの手と足ではどうせ捕まって終わり。エレナとエトワールの仇を撃ちなさい。 

 ま、これだけ遠く離れれば私たちの勝ちは決まりだけど」


 あっさりと自分の敗けと、作戦の勝利を言いきり、両手を上げた。

 

 「できない、、」


 アレクは視線を下げ、ためらいがちに言葉を発した。


 「どうして!あなたとはそんなに仲良くもしてなかったでしょう!ルイーズに言われたから?」


 「違う」


 「ならどうして!」


 「、、少しだけ話を聞いてくれないか、僕がこの世界に入った訳を」


 向ける銃口を少しは下げ静かに話し始める。

 

 「僕が3、4歳の頃、父がいなくなった。その後は、3人と迷い込んだ猫との4人で暮らしていたんだ。小さかった僕はいつも姉について回っていた」


 「なんの話をしてるの!?時間がないのよ!」


 場違いな話を始めるアレクに、マリアは語気を少し荒げるがアレクは気にせず続ける。


 「姉は優しくて何でも出来ていつも明るく大好きだった。

 ある風の強い日、母と姉が外に出ていった後、僕は作りかけのシチューを見つけ、お手伝いをしようとしたんだ。

 そして台に登り、母の真似をしてかき混ぜた瞬間、鍋ごとシチューがこぼれてきた。

 その時火傷をするのも気にせず、僕にシチューがかかるのを防いでくれたのが姉でした。そして数ヶ月後、姉は知らない人について出ていって帰らなくなってしまった。

 理由は母がなくなる前、教えてくれたんだ」


 そう言うとアレクは、マリアに向けていた銃口を完全に下ろし、熱いものが込み上げる瞳でマリアを見つめた。

 雲の間から現れた月の光に照らし出されたのは今にも涙が溢れだしそうなアレクの姿だった。

 マリアは忘却の淵に捨てたはずの思い出が蘇り始め、高鳴る胸を無傷の手で握りしめていた。


 「姉さんは、ノーザンのスパイであった父に寝返りをさせないために、ノーザン兵によって連れていかれたんだと。

 僕の代わりに自分から連れていかれたんだと、、。

 それからの僕の夢は、いなくなった姉と父を探す事になり、数年、軍の訓練生になり多くの学びと情報を集めていました。

 そしてやっと見つけた、、、。

 母と同じ金色の髪、父と同じ青い瞳、そして僕を守ってついた手の甲の火傷の後」


 「待って人違いよ!私にアレクなんて弟はいないわ!そうよ、アレクなんて、、」


 マリアは心を殺しながら精一杯声をだした。


 「そうだね、僕も君も一番大切なことを隠してたね」


 アレクは長く閉ざしていた最後の扉を開けるように、静かに息を吸い込み心を整える。

 

 「僕の本当の名前は」


 『レオ』


 「!!」


 「そして姉さんの名前は」


 「お願いやめて!、、お願い、、、」

 

 マリアは願いを込めたかすれて消えそうな声を発した。今まで壊れそうな心を繋いできた小さな小さな、はとめが今砕け散ろうとしていた。


 『エマ』


 その言葉を聞いたマリアの両目からは自分でも止められないほど涙が溢れだし、その場に崩れるように座り込んだ。


 「万が一違っていたらと今まで言い出しきれなかったけど、その銃、、父さんが良く家で手入れしていた懐かしい銃。

 これだけのピースがあれば、昔の記憶であっても確信することができる。

 気づくのが遅くなってごめん。もっと早く気づけていればこんなことには、ならなかったのに、、」


 レオは今では銃を下ろし、泣き崩れるエマをそっと見つめていた。


 「ほんとに、、ほんとにレオなの?!」


 「はい」


 エマは記憶と照らし合わせるように、月の光に半身を照らされたレオを見つめた。

 そこには光に当たったときに深緑に光る母の瞳を持ち、父と同じ少し癖っけのある髪をした青年が優しい面持ちで立っていた。


 「こんなことって、、」


 痛む手を気にせず両手で服の裾を引っ張り、止まらない涙をこらえようとしているエマの姿があった。

 レオはエマを見た最後の光景、袖を引っ張って悲しみをこらえていた姿を思い出しながら、ゆっくりエマに近寄り腰を下ろし顔を近づけた。


 「だから姉さん、早く逃げて」


 優しく語りかけたあと、レオはポケットからハンカチを取りだし、跪きながら細長く丸めたそれを口に咥えた。


 「何してるの?!」


 それには何も答えず懐から小さなナイフを1本取り出した。


 【ズブッ!】


 自分の太ももに突き立てた。

 

 「何してるの!!」


 エマは持っている銃をベルトに急いで差し込むと、自分の服を切り裂き、出血するレオの傷を力一杯押さえた。


 「ふぅーっ。

 これでいいんだ。

みんなには、生き残っていた兵士が割って入ってきて、僕に傷を負わせ、マリアと逃げてしまったって言っておく。これで僕も姉さんも助かる。生きていれば、いつかまたきっと会える」


 布を吐き出すと痛みをこらえながらエマに説明した。


 「なんてバカなことを。昔からあなたは突然何かをしでかすんだから!」


 その声を痛みを忘れて笑うレオ。


 「そうだったね。、、もう十分だよ姉さん。早く行って」


 「ダメ。もう遅いのよっ」


 我に返りエマは真顔でアレクの顔を見る。


 「私、ノーザンの兵に作戦の報告を出したの!

 私が列車に乗っていないのを知って探しに来ちゃう!急いで!」


 「さっきのワンコか、、」


 「そう。任務の定時連絡は絶対だから、、、。

 だったら2人で逃げましょう!そしてどこか静かなところで暮らしましょう!」


 エマにしては雑な説得が焦りと真剣さを感じ、気持ちが少し揺らいだが。


 「それはできない、、死地をかいくぐってきた仲間達を見捨てることなんて」


 レオは辛い表情を作る。

 エマにはそれが傷の痛みからではないことがわかっていた。


 【、、ブロロ、、ブロロロロッ!】


 前方より揺れながら近づく4つのライトと、下品に響く排気音が静けさの中、少しずつ近づいてくる。


 「ごめん姉さん、間に合わないみたいだ」


 そう言うとエマの腰に挟まれた銃を抜き取り、止血のため押さえていたエマの血に染まった傷ついた手を取り、形見の銃ごと両手でエマの手を優しく包み込んだ。


 「姉さん、生きててくれてありがとう。

 叶うことはないかも知れないと思っていた夢が叶ったんだ。 

 ほんとに今、これ以上無い程幸せなんだ。

 死んでもいいとほんとに思うほど」


 「何をバカなことを言ってるの!早く逃げて!少しでも私が奴らを止めて見せるから!」


 エマはそう言うと、レオの手をはずそうと手を引っ張ったが離れない。


 「姉さん無理だよ、残りの弾数と僕たちの傷じゃ数人を倒して終わり。二人とも助からないよ。だけど1つだけ、ひとり助かる方法がある」


 エマを見つめるレオ。


 レオは銃ごと握ったエマの手を強引に自分の額に添えた。エマの傷をおった手ではレオの力に逆らうことができなかった。


 「姉さん、奴らが来たら目の前で僕を撃って。これなら1人は助かる可能性がある」


 「そんなことできない!諦めないで!二人ならっ!」


 「姉さん!僕の最後のお願いだ、、、僕の分も生きて!!もし叶うのなら戦争の無い時代に生まれ変わって、また一緒の姉弟になろうね」


 「嫌ぁ、、、ダメ、、、っ」


 前後からの4つのライトに2人の姿が包まれ、不快な音をたてる軍用車から銃を構えた10名の兵士が慌ただしく降りてくると、2人を取り囲み、エマがレオに銃を突きつける姿を楽しそうに激しく囃し立てる。


 「姉さん、生きて、、、大好きだよ」


 激しく罵る声の中

2人にしか聞こえない声がエマの心に染み渡る。

 二人の重ねた指先は、エマの力の入らない指を少しずらし、そのまま引き金を引いた。

 父から引き継いだ銃は、2人の手から弾けるように空を舞うと、有終の美を飾るかのように、回転しながらゆっくり足元に落ち、最後の仕事を終えた。 

 そのあとを追うように、レオは仰向けに地面に倒れる。


 すべての光景を時が止まったかのように見ていたエマは、壊れたように声をあげた。

 激しい叫び声を止めようと近づいたノーザン兵の前で、エマの体が震えだし口を大きく開け、繰り返し激しく呼吸を繰り返し、やがて地面に倒れ意識を失った。

 エマの薄れ行く意識の中では、遠のくレオの姿と、ノーザン兵の笑い声と手に残った硝煙の香りが暗闇の中広がっていた。


それからどれくらいの時間がたったのだろう。

 語尾の強い耳障りな言葉と野蛮な男達の笑い声がうっすらと聞こえてきた。

 現実に戻る事を拒む心が、さらに奥深く何も存在しない場所を探そうと試みたが、探せば探すほど感覚は鋭くなり、どこから声が聞こえるのか、何人いるのか、何を話しているのか、そしてさっき何が起こったのかをエマに思い返させた。

 息もできないほどの心の痛みと悲しみの感情が何度も覆い被さり、引きちぎられる心の苦しみでエマは目を開けた。


 どうやら客車の最後尾の座席に寝かされているらしく、椅子の固さか、自分の怪我が原因かわからないが、体の節々に痛みを感じる。

 薄目を開け少しずつ辺りを見回すと、壁や椅子の多くが血で赤黒く染まっており、砕けた椅子や壁、亡命を願って協力したサンシャルルの駅長や駅員の血痕が至るところに飛び散っていた。

 音を立てないように少しずつ体を動かし前の座席を見ると、何席か前にエトワールの従者だった物が数人転がっており、そのさらに前の座席付近に、すべての役目を終えて、成功を持って帰るという最高の美酒を飲むかのように、光悦感に浸っているノーザン兵達が数十人ほど見えた。

 さらにその足元には縄で縛られた本物のエトワールが転がり、逃げないように汚れた靴で、踏みつけられていた。

 美しく金色に輝いていたセミロングの髪も今では兵士たちのかえり血で汚れて赤茶色に見え、精気の失われたブルーの瞳は足元に横たわる最後まで守り続けてくれた従者の変わり果てた姿を見つめていた。

 

 エマの中に、先程までなかった感覚が沸き上がってきていた。


 【怒り・悲しみ・絶望・懺悔・後悔・約束、、】


 静かに涙が頬を伝う。

 エマは身体を縮め固くし、すべての事象から逃げようとした。


 その時、横たえられたエマのこめかみに優しく何かが触れる。


 「マリアさん、、いえエマさん。これが戦争です」


 先程まで誰も居なかったはずなのに、横たわったエマのすぐ横に存在が現れた。


 「終わってしまったことです。何も悔いることはないですよ。あなたは完璧に職務を全うしたのです」


 「私、、違う、、こんなのを望んでいたんじゃない。こんな苦しいこと、今までもあったことなのに。

 なんで、こんな、、人が死んだだけなのに、人が拘束されただけなのに、弟が死んだだけなのに、、、こんなに、こんなに苦しい、、心がコントロール出来ない!壊れそう、、、」


 激しくおう吐して呼吸が出来ないほど嗚咽する。


 「そうね、、、それだけよ」


 「ただ人間って肉体と魂で出来ているのをを知ってますか?魂が弱れば、立つことも考えることも生きることもできなくなる」


 エマの頭を優しくなで続ける。


 「あなたの魂はもうくずれかけ、、、」


「私どうしたらいいの?あの子ならレオならどうするの?」


 撫でていた手が止まる。


「もう決めてるのでしょう」


 無意識のうちに足に伸ばしていたエマの手に固い物が当たった。

 それはショートブーツの中に確かに冷たく存在し、合計で3つ確認できた。

 その手を靴からゆっくり引き出すと3本の小型ナイフの柄が現れた。だが、そのナイフを持つ手に、そっと置かれた同じくらい冷たい手によって、それは本来の目的に使用されることはなかった。


 「仕方ないですねーっ。私の大切なエマとして戻ってきたなら、あなたは私の可愛い生徒です。私の教える最後の課外授業しっかり見ててくださいね」


 少し楽しげに言い放つと至るところボロボロのノーザン軍の外套を着た者は、フードを深々と被ったまま立ち上がり、絹音ひとつ立てずに兵士達に近づいていく。


 「先生、どうしてここに、、」


 聞き覚えのある声、フードの下から見えた、一度見たら忘れられない憧れの唇。

 まだ虚ろではあったが確信し、ここにいる謎に思わず声が漏れた。


 エマの発した声に一瞬動きを止めたように思われたが、そのまま歩みを止めることなく、兵士達が固まっている前席へと歩を進める。

 そしてそれに合流するかのようにその後を何処からともなく現れた数匹の黒猫達がついていく。 

 エマは何故か背筋が凍るのを感じた。


 軋み揺れ続ける床、そして倒れている兵士達をそのもの達は踏むことも、ふらつくこともなくなく、兵士の側にたどり着き、驚くことにそこまで気づかれることもなく一番奥でエトワールを踏みつけていた見知った顎髭を蓄えた男の肩を叩く。


 「足をどけなさい」


 こんなそばに来るまで気がつかなかった事と、心の隅にどこかにあった敵に追いつかれたらという不安感で、そこにいた兵達は皆、言葉を失い、エトワールを踏みつけていた男は跳び跳ねるように慌てて足を外した。

 

 「すみません。ほんとはダメなんですが、わたくし我慢の限界のようなんです。

 だって、あなた方が悪いのですよ。私のかわいい生徒達を!、、、あ、いえいえ、命をなんの権限もなく軽々しく奪うのですから、天罰が下って当たり前です。だから私が少し禁忌を破っても、私は全然悪くないのです。だって、、」


 言いながら前に付き出した指を弾く。

 すると、言葉途中に慌ててそばに置いてあった銃を手に取ろうとした兵士達の銃が、構える前に頭上に跳ね上がり天井に張り付く。

 驚いて天井の銃と仲間達を交互に見ていた兵士達の前で、

 その者は邪魔と言わんばかりに顔に深々とかかっていたフードを払い上げた。

 兵士達の目が釘付けになる。

 フードの中からは性別を越えた美しすぎる顔と、金色に輝く澄んだ右目が現れ、あまりの神々しさにすべての感覚が無くなったようだった。


 「、、そんな権利私達にもないのですから」


 言葉の続きを言うと、形の良い美しい唇に、そっと手を当て何事かつぶやく。


 すると床に倒れているエルドレッドの兵士達の身体から青白い光が抜け出て、いくつもの軌道を描きながら、ノーザン兵に絡み付き、懐等に忍ばせていた拳銃やナイフに絡み付く。

 恐ろしさのあまり手離す者、懐から奪い取られる者、ほとんどがあっという間に武器を失った。

 極限の恐怖に打ち勝った数名の兵士たちは、各々拳を握りしめ白兵戦を挑もうと構えを見せる。

 それを見てボロの外套を着た者は、黒猫達の後ろまで軽やかなステップで下がる。

 変わりに後ろで出番を待っていた黒猫たちは唸り声をあげ、威嚇しながら一歩一歩進んでいく。

 

 「可愛い私の子猫ちゃん達!最後のお仕事です!」


 胸から1枚の紙を取り出し、詠唱と共に前方に投げると、ノーザン兵達の前で、まるで壁に張り付いたかのように静止し、吹き上がるような大きな炎の輪と化した。

 突然の炎の出現に、のけ反り後ずさる兵士達。

 兵士達とは逆に、黒猫達は体を縮めると、臆することなく炎の輪の中に飛び込んでいく。

 輪をくぐると代わりに中から青年達が次から次に現れる。

 それを見た兵士達は握りしめていた拳をほどき、人ならざるものから距離をとった。

  

 「レオーッ!」


 そのうちの一人が現れると、後ろからエマのかすれた叫び声が聞こえた。

 呼ばれたものは肩越しに振り返り、離れた場所で今では椅子を降りしゃがみこんでいる女性を見ると軽く頷いた。

 先に敵と対峙した者は、武器を手にすることもなく、襲いかかってくるノーザン兵達の拳や蹴りを流れるように交わし、通りすぎざまに体を軽く触っていく。 

 触られた何人かは、目を上にして気絶して倒れていく。

 エマは不思議な光景に呆然としつつも、死んだと思っていた仲間達が戦う姿を見て、胸が熱くなるのを感じていた。

 ノーザン兵は精鋭部隊なだけに、いくらかレオ達に致命的な攻撃も入れることに成功したが彼らの想像する反応はなく、時間の経過と共に逆に数も減り、最後の残された顎髭の男は4人から挟み込まれる形で身体中を貫かれた。


 「エリナ!ジョン!セバス!、、あなた達、、生きてたの、、」


 エマは動き続ける汽車の中、座席を掴みながら、まだ力の入りきらない足で立ち上がると、みんなのもとに向かってよろよろと歩き始める。


「・・・」


 レオ達は黙って?その場に立ち、笑顔で涙を流しながら座席伝いにやってくるエマを見ていた。


 【パチンッ】


 その音を合図に、レオ達は元の黒猫に戻り、主の元にかけ出すと順に足元にすり寄りながらコハクの影に溶け込んで消えていく。


 「レオっ」


 最後に頬に一筋のラインの入った黒猫が足を止めた。

 だが、エマが慌てて駆け寄ろうと足を出した瞬間に、黒猫は逃げるように黒い穴に飛込み、コハクの漆黒の影に消えていった。


 コハクの元にたどり着いたエマは、猫達が消えていった影の側に跪き、影をそっと触ったりしてみたが、なんの変哲もない床であるのを確認しただけだった。

 顔を上げ、コハクに目をやると、目の前で起きた理解できない現象に声を上げた。


 「先生!あなたはいったい、、さっきのレオ達は!?」


 「やっぱり驚きますよね、、、、。あ、そうそう改めて自己紹介からした方が良さそうですね」


 そういうと着ていた外套を片手で脱ぎ去り、隣の席に優しく被せる。


 「私の本当の名前は東国の読み方で琥珀。

 そしてあなた達の先生でもあり、他の方からは死神と呼ばれることもあります」


 少し笑みを称えつつ、そばの座席の上にいつの間にか寝かさている女性に目をやる。先程まで着ていたボロの軍服は彼女の体にかけられていた。


 「死神?え!何をいってるの?」


 エマは揺れる車内で座席と額を押さえながら、あきらかにおかしな事を言っている先生に問い返した。


 「そうよね、ま、信じられないわよね、、、。あ、それとレオ達のことだったわね。

 彼らは残念だけど助けられなかったの。なんとかよい方向にと思って、結果の変更を試みたのだけど、、運命の力の方がやっぱり強かった、、」


 少し悲しい顔をしながら、最後にレオと握手をした手を見つめる。


 「でも私にすれば成功率0%の作戦が経過の流れを変え、最低限の成果をおさめたこと、これはみんなの心が引き起こした1つの奇跡だと思うの」


 「え、、何、、やっぱりわからない。だってみんな死んだんですよ!私のスパイ活動の犠牲になって!」


 エマの顔に怒りと悲しみの表情が表れ座席を掴む手に力が入る。

 

 「エマさん、、、。戦争、それこそが人間の犯す最大の罪です。

 私がエルドレッドに来たのは、これから失われ、正しい順路をたどれず死んで、迷っていくおびただしい数の魂を、少しでも正しい運命に導かれるようにするためです」


 エマは怪訝な顔で琥珀の話を聞いている。


 「過誤の原因を探っている時に作戦を知り、あなた達に出会い、魂の揺らぎの始まりをアレクとマリア、いえ、レオとエマ、あなた達二人から感じたのです。だから二人を私の猫達を使って監視していたの」


 「え!猫っていつも周りにいた」


 「そうよ」


 言いながらいつの間にか足元にまとわりつく澄んだ深緑色の瞳の黒猫の頭を撫でる。


 「2回目の列車の時は前と後ろから護衛する形で配置すればエトワールの代わりのお嬢さんも助けることができると思ったのですが、予想以上に車両にダメージを受けて、太陽の光をたくさん車内に取り込んでしまって、光に弱い私の猫ちゃん達は目的を果たせなくなってしまったんです。

 でも、エトワールを演じてくれたお嬢さんの勇気とアレクのおかげで、最小の犠牲だけで、本物のエトワールを助けることができました。

 もしエトワールがノーザン国に渡ってしまったらどのように使われるか知ってますよね」


 エマは下を向いて答えるのをためらったが静かに口を開く。


 「エルドレッドに捕虜として捕まっている犯罪人達の釈放や、重要軍事拠点の明け渡しを条件とした人質交換」


 「そう、、そうなったら戦争はさらに長引き、もっと多くの意味もない命が失われてしまう。その結果だけは何としても避けたかった」


 琥珀は肩を大きくすくめる。


 「でもみんなのお陰で最悪のシナリオだけは未然に防げました」


 「でも結局一緒よ」


 琥珀の隣で眠っているエトワールを見ながらエマは静かに答える。


 「何も変わらない、、、。また同じように至るところで戦闘が行われ。罪もない命や、家族を失う子供達が溢れ、貧困や、犯罪が増え続ける。私たちの戦った時間なんて流れていく時の影に過ぎないんだわ」

 

 そういうとエマは、そばの椅子に力なく座り込み肩を落とし長く垂れかかる髪を顔から避けた。


 少しの沈黙の後。


 「先生、、、さっき正しい道に導かれるようにする為って言ってましたよね」


 「ええ」


 「運命を変えるなんて出来るのですか?」


 何かを思い立ったかのように琥珀に詰め寄る。


 「う~ん。そうなんですよね。それが難しいところなんです。確かに可能性は0でもあり無限でもあります。それは変化の前と後の結果がわかっているからこそ理解できることですもの。

 皆さんが思う、こうなるように努力してそうなったということは、所詮1本のレールの分岐の選択肢の結果にすぎません。繋がりのないレールには乗ることはできないのですよ。人は1本のレールに生まれた時に乗って生まれるのですから」


 琥珀から何か答えを得ようと努力をしたが、やっぱりそんな奇跡はできないのかと落胆しかけたが。


 「先生!じゃあ、まだ私達のレールは私達の意思で変えられるのですね!」


 何かを思いたち、エマは少し興奮ぎみに立ち上がると、揺れる車両にふらつきながら琥珀の橫で眠るエトワールのそばに歩いていき、しゃがみこむと顔をまじまじと見つめた。

 

 「どうしたのですか?」


 「私、、この作戦の資料をノーザンで受け取ってから何となく思っていたことがあるんです。

 遠目で撮った写真だったけど年格好、髪の色、瞳の色、私と似てるなって」


 ゆっくり立ち上がると近くの壁に向かって歩き出し、暗闇を写し出す窓を覗き込み、そこに映る自分の姿と橫になって眠っているエトワールを交互に見比べる。

 大きく深呼吸をすると左手で自分の長く伸びた髪を大きく掴み、先程は使い損ねた靴の中の隠しナイフを、足を軽くあげ引き抜くと、窓に移る姿とエトワールを再度見比べ、掴んだ髪に添わせると躊躇なく橫に引いた。


 【ザリッ】


 さっきまで繋がっていた長く伸びた美しい髪は切り取られ、無機質な存在のようにエマの左手に握られている。

 それを少し空いていた窓から投げ捨てるとまた窓を鏡にして髪を切り始めた。

 数分もしないうちに肩までの長さに器用に切り揃え手ぐしで軽く整え、前髪を左右に分けると改めてエトワールを見直し、軽く頷くと琥珀に向き直る。


 「先生お願いがあります。エトワール様をみんなのところに無事に送り届けてくれませんか?」


 「なぜ?

 あなたがマルセルまで送ればいいと思うんだけど」


 琥珀は髪を突然切り始めたエマをずっと見つめていた。エトワールと見比べながら髪を切る、エマの考えはすでに理解していたがあえて質問をした。

 

 エマは琥珀の質問に首を橫に振った。


 「私。このままエトワールの代わりにノーザンに行きます」


 静かな、そして動かない意志が言葉から感じられ、さらに続らける。


 「もし、エトワールがこの列車に乗っていなかったら、ノーザンは代わりに近くの町ごと人質にとって、人質交換作戦を継続するわ。そうなったらもっと大勢の人達が犠牲になっちゃう」

 

 ノーザンの残虐性を思い、顔をしかめる琥珀。


 「何としても、捕らえられている将校達と国境の要所の1ヶ所を渡すように要望する。それがノーザンの狙いです」


 「人の一番辛いところを突くなんて卑劣な作戦。だから多くの人の魂の揺らぎを感じたんですね」


 琥珀は今では元の色に戻っている深く黒い瞳を長い睫毛で閉じると、揺らぎの原因に肩を落とす。


 「でも、あなたが行っても運命は何も変わらないんじゃない?偽物だってわかって、あなた自身も含めて戦火は広がるのは、残念だけど時間の問題よ」


 「はい、その通りです。

 彼らが失敗を気づくまでの時間が鍵を握ります」


 「、、?」


 「先生っ。おそらく私がノーザンについたら、秘密裏にエルドレッドに先程の交換条件が提示されます。

 その前に周りの諸外国、特にノーザンに敵対する国や、支援をしている国達に、この卑劣な作戦の失敗を広めて欲しいのです。

 諸国から世論を得ることでノーザンや、それを支援する国は動きにくくなります。それでノーザンの現政権を避難の的にするのです。

 さらに作戦遂行の為に、少女を拉致しようとし、その際、まだ若く軍人でもない青年達を多く殺害したと。

 これが最小で戦争終結の可能性を秘めた私の作戦です」


 自分の着ている服とエトワールの着ている服を取り替えながら答える。


 「あなた、、、死んじゃうのよ」


 琥珀はエマのそばにしゃがみこむと、横顔を覗き込みながら声をかける。


 「、、そうですね、死んじゃいますね、、。

 でも、私思うんです。 

 何度も何度も思っては諦めていた願い、、、弟のレオに会うことが出来た。

 そして短い間だったけど、先生や仲間達に出会って、任務ではない時間を過ごせた。

 しかも多くの人達の為に何か出きるなんて、こんな人生考えてもなかった、、、。

 そして、、そして、、最後は冷たくて暗い牢獄の中?、、、そう、みんなとの楽しい時間を思い出しながら、おでこに冷たいものを押し付けられる感触。、、煙の臭いと気の遠くなる痛み、、、そして光が目の前に広がる」


 そう言うと琥珀に振り返り、にこっと笑うと。両目から大粒の涙を流した。


 「そっか、、先生。

 私もう死んでたんだね」


 その言葉と共に。


【シュゴゥゥーッ!】


 空気が砕かれるような轟音と爆風が唸りをあげ、周りの景色を強引に剥がし飛ばし、先程まで車内の景色だった壁や窓、動かなくなった兵士達もが、はるか彼方に飛び去った。


 漆黒以外何も無くなったエマの周りに、色取り取りの帯がまとわりつくようにゆっくり渦を巻いている。

 よく見るとエマの記憶にしっかりと残っている人生の記憶が長い帯に写し出され体の周りを回っていた。


 産着に巻かれ、笑顔の両親に抱かれている赤ん坊のエマの姿。

 初めて自分でご飯を食べた姿。

 生まれたレオを恐る恐る触る姿。

 家族でご飯を楽しく食べている姿。

 火傷を心配するレオをとても愛おしく思って見つめる姿。

 母に、レオの代わりに父の元にいくと懇願している姿。

 病の父の代わりにスパイ活動を行い始めた姿。

 ノーザンからエルドレッドでの任務を聞かされている姿。

 教室の前で不思議な緊張感を感じながら琥珀に呼び込まれるのを待っている姿。


 記憶たちは、エマに見てもらうとそのまま泡のように消えていき、全てが弾けて消えると、目を開けていられないほどの真っ白な世界に変わった。



 「エマ様、長い旅お疲れ様でした」


 ゆっくり目を開けると、目の前に黒いスーツを着た琥珀が、胸に手を当て軽くお辞儀をして立っていた。

 周りを見るといつの間にか全てが真っ白な大きな駅のホームにしゃがみこんでいた。


 「先生、、ここはどこなのですか?」


 「魂の終着駅ミルクディッパーです」 


 優しい笑顔を浮かべながらエマに手を差しのべる。

 エマはその手を掴むとまるで体重がなくなったかのようにフワッと立ち上がった。

 空気の流れる音すらなく、琥珀以外、全てのものが純白でできた世界。 

 ホームであることは解るのだが、見えるいうより感じるという方が正しい。


 「エマ様は死を理解することなく、受け入れてしまいました。なので、永遠の列車を降りることなく永遠に彷徨い続ける、、それはそれでひとつの選択なのだと思うのですが、あなたの多くの魂を救った功績と古い約束もあり、今回は勝手ながら特別にもう一度思い出して頂く為、あなたの記憶の世界を巻き戻してみました」


 整った形の顎と唇に手をやり、やや自慢げにエマの顔を覗き込む琥珀。


 「え!さっきまでの事は今起こっていたことじゃないの?あんなにリアルだったのに!」


 「でしょ~!普通は最後の記憶の断片を見るくらいなのですが、しっかり考えて頂くために長くしてみました。確か他の国では走馬灯といったかな?少し違うのは夢は気持ちによって多少の改ざんが出来ることです」


 今までに見たことのない琥珀の雰囲気に気圧され、言葉の出ないエマ。


 「さ、エマ様。あとはどうするか決めるだけです」


 「決めるって何を?」 


 困惑して目をパチパチするエマ。


 「自分の死を理解した今、生まれ変わるか、永遠に死と生の狭間を彷徨い続けるか、、どうしたいですか?」


 琥珀は両手を腰の前で組み、優しい顔でエマの答えを待つ。

 突然のことで頭が追いつかないのか下を向いたまま、しばらくエマは黙っていた。


 「レオは、レオはどうなったの?」


 少し冷静さを取り戻し、考えを巡らせることが出来るようになった。


 「レオさんはもうしばらく駅に降り立つことは出来ません。 

 かなり前に、彼は生まれ変わりの選択を断ったのです」


 「なぜ?」


 「みんなで一緒にいられないのならこのままでと、輪廻の列車から降りることを拒まれたのです」


 レールの遥か遠くを見る琥珀。声から少し悲しい雰囲気が感じとれる。


 「じゃ、ママは?」


 「ローズ様ですか、、」


 しばらく何もない白の世界を見ていたが、琥珀は目線をエマに戻すと。


「ローズ様は、すでに生まれ変わられました」


「そうなの?!」


 エマは驚きと好奇心から、一歩琥珀に近づく。


 「はい」


 「どんな家の子に生まれ変わったの?」


 「、、、人ではないのです」


 「どういうこと?」


 琥珀はフーッと大きなため息を吐き、観念したのか口を開く。


 「木です」


 「木?!」


 「はい。いつも青々とした葉をつける常緑樹です」


 「なんで、木なの?」


 「ローズ様の願いです。

 あと詮索はここまでです。すでに新しいの命を始めたものにあまり介入してはいけませんから」


 エマから次の質問が来る前に先手をうった。

 もっと質問をしたかったが、新しい人生と言われると、邪魔をしているような気がして諦めるしかなかった。

 エマは違う質問を考える為、視線を白いもやのかかる足元に移した。  


 「先生、私のおこないってそんなに素晴らしいことだったの?」


 エマはふと思いつき、話を変える。


 「はい。あんなに多くの魂が押し寄せたら、救える魂の数もぐっと減ってました。きっと世界のバランスも負に傾いていたと思います。本当に感謝です」


 「そうなんですね、、。ならひとつお願いしてもいいかしら」


 「お願い?」


 「ええ、世界を助けた私のお願いです」


 真剣な顔で琥珀を見つめる。金色の髪の毛から覗くブルーの瞳が何か懐かしく感じた。


 「私とレオをママのそばに居させてもらえない!あの楽しかった時みたいに」  


 「、、、、」


 琥珀はこうなることも予想していた。そんなことはしてはいけないことも理解していた。だが琥珀にとって彼女たちは特別だった。

 琥珀はエマをすっと抱き寄せた。


 「あなたはいつもストレートに言葉を投げかけるんだから、、。

 わかりました。

 ただレオさんは戻せるかわかりませんよ。 

 彼は自らの意思で彷徨い続けることを選んだのですから」


 「ほんとですか!ありがとうございます!」


 エマはさらに強く琥珀を抱き締め返した。


 「エマさん、ちょっと痛いです」


 「あ、ごめんなさいっ」


 慌てて離れ、少し照れるエマ。琥珀は背筋を伸ばし小さい黒いネクタイをただす。


 「私はあなたたちの言う死神と言う存在です。死という存在があるところなら何処へでも行くことが出来ます。そして正しい輪廻へと導き、そして裁くのが私の仕事です。

 ただ今回のご要望は明らかに死神のルールからは逸脱します。

 レオさんの魂の説得と生まれ変わり先の指定なのですから。

 ほんと私はいつも死者の法を違える事ばかり」


 笑みを含みながら大きく深呼吸をする。

 

 「私は皆さんに等しく幸せになって欲しいんです。私はその為に今の力を引き継いだのですから」


 そう言うと胸のポケットから白い紙を取り出し真ん中に小さな文字を指でなぞり、エマの額にそっとつける。

 

 「エマさん、あなたは自分が思っている以上に愛を持った方です。次の人生ではあなたが思うように生き、そして笑顔溢れる家族と寄り添えますように」


 琥珀が願いを口にし終え、額につけた紙に息をそっと吹きかけると、エマの足元の白いモヤが上方に広がっていき、やがて全身を包むと、次にモヤが薄れたときにはエマの姿も共に消えてなくなり、代わりに白のモヤが中でぼんやり輝く白い紙のみが浮いていた。

 それを手のひらで優しく包み、金と漆黒の瞳を閉じ触感を優しく感じとると、胸ポケットに大切に直す。


 誰もいなくなったミルクディッパーのホームを何か寂しそうに見渡すと、琥珀は右手を頭の上にあげ、大きく指を弾く。


 【パチンッ】


 琥珀の体全体が霞みのように気化していき、黒の服がグレーになりやがて白のもやとなると、金色と黒の煙の帯を2本残し、線路の遥か彼方に飛び立った。

 あとには永遠に続く白の世界が広がっていた、、、。 



ーそれから数年の月日が経ちー



 「ママーっ、見てみてーっ、あの子にお花もらったのーっ」


 小さな女の子は後ろを指差しながら走り、嬉しそうにママの元に向かった。


「本当ね、かわいいお花。

 レオニー。ちゃんとありがとうって言ったの?」


 「あ、忘れちゃったっ」


 レオニーは、はにかんだ笑顔を浮かべると後ろで束ねたブロンドの髪を揺らしながら、家のそばにある大きな木の方に戻っていくとまた振り返り。


 「ママーっ!この子もお花くれるってーっ!」


 大きく手を振りながらママを呼ぶ。

 

 「ふふっ。ちょっと待っててもらってね。私も可愛い友達にお礼を言いに行くから」


 青々とした芝生に敷いた布から立ち上がると、少し駆け足でレオニーの元に向かう。


 しゃがみこむレオニーの横から覗き込むと、オレンジ柄の小さな子猫とその影に隠れるように黒い子猫が口に小さな花を咥え恥ずかしそうに見ていた。

 

 「ほんとね!なんて可愛い猫ちゃん達なの。レオニーと遊びに来てくれたのかな?」


 すると黒い子猫がゆっくり前に歩き出し、母親の足元に咥えていた花をそっと置いた。


 「あら!私の好きなマーガレット!」


 「ママにだって!」


 拾い上げた花をそっと鼻元に持っていくと匂いをかいだ。


 「いい匂い、摘んできたばかりなのね。ありがとう子猫ちゃんっ」


 優しく2匹の子猫の顎をなでるとゴロゴロと返事をかえしてくる。


 「ママ、この子達姉弟なんだって」


 「ふふっ、レオニーは言葉がわかるのね。

 、、、そうなんだー、じゃ私も自己紹介しないとね。

 私はレオニーのママでルイーズっていうの。

 娘と遊んでくれてありがとうね」


 あれから6年。

 ルイーズは1人、アレクと共に育った故郷に戻り、レオニーを産み、2人で静かに暮らしていた。

 親友となったエトワールが従者と時々訪れ、数日過ごしていくぐらいで、ほとんど誰とも接することの無い静かな生活を送っていた。

 何度かエトワールから近くで住むよう誘われたが、

 【私、実はたくさんの人が苦手なの】

 といって断っていた。


 この土地から離れたくないというのが本音だそうだが。


 「ママ!この子達うちの子になりたいって!」


 深緑の瞳をキラキラしながらルイーズに訴える。


 「レオニーっ。子猫ちゃんにもお家があるの。

 待ってるママやパパも。

 だから簡単に連れ帰っちゃいけないのよ」


 諦めてもらえるように優しく話す。


 「この子達のママとパパはいいって言ってるよ」


 レオニーは隣の巨木とその傍に生えたルイーズの背丈ほどの木を自慢げに指差した。


 「そうなの?!この子達のパパとママはこの木なの?」


 レオニーの想像力に少し感動しながら、ルイーズが2匹に顔を近づけ確認するように聞くと。


 「にゃ~っ」


 と二匹同時に大きく返事をしながらルイーズの膝によじ登ってきた。


 「う~ん、そうなのか~っ」


 眉を潜めて、ドンドン登ってくる2匹を笑顔で止めていたが、とうとう、、、。


 「わかりましたっ!じゃぁ今日から君達はうちの子だ。レオニー、ちゃんと二人のお世話をするんだぞ」


 「やったーっ!」


 ママの服にしっかりと掴まっている2匹ごとレオニーはママに飛びつく。


 「レオニー、うちの子になるんだったら名前を決めてあげなきゃね」


 「名前はもう決めてるの」


 笑顔で答える。


 「そうなの?どんな名前?」


 「えーっとねー、このオレンジの子がリュンヌで、この子がコメットっ」


 恥ずかしながら順に指を指しながら名前を教える。

 良くみるとオレンジ柄の猫のリュンヌには手の甲に茶色い毛が満月のように生えており、コメットには顔の横に彗星のような模様があった。

  

 「いい名前、ちゃんとこの子達にあった素敵な名前ね」


 愛おしくレオニーを抱き締め直す。


 「じゃあ、そろそろ夜ご飯の支度をするからリュンヌとコメットもお家に帰ろうか」


 「うんっ!二人ともおいで」


 呼ばれた2匹の猫は我先にとルイーズの体からレオニーに飛び移りレオニーお気に入りの重ね着の隙間に潜り込んで行く。

 その姿を微笑ましく見ていると、微風にあおられたルイーズ自慢のシンボルツリーから葉達の擦れる音が優しく聞こえてきた。レオニーではないが、何故かお願いしますと言われたような気がして、大きな木とその下に生えたまだまだ小さな木に向き直り、青々と繁った無限に広がるかのような枝葉を見つめ、深く頭を下げた。


 「さーでは、我が家に戻りましょーっ!」


 「はーいっ!」


 ルイーズの手を右手で元気いっぱい握りしめ、空いた手では懐で動き回る新しい小さな家族を落ちないように支えながら、数十歩先の我が家まで足取り軽く歩いていき、ルイーズの開けたドアを小走りに走り抜けていった。


 「ようやく願いが叶いましたね」


 2人と2匹が家に入ると、大きな木の上から声がした。

 声の主は、足をブラつかせながら木に腰掛け、長い黒髪を右胸に束ねていた。

 やがて長く整った脚を伸ばすと水鳥の羽毛が水面に舞い落ちるかのようにふわりと地面に降り立つ。

 少しの間、楽しい声と煙突より出る白い煙が風に乗って流れて行くのをを眺めていたが、ニコッと笑うと、一歩二歩と後ろ手に下がっていき、太い幹の横に生えた、自分と同じくらいの背丈の木の横に並んだ。


 「ほんとに良かったです。ようやくみなさんの願いと約束を守ることが出来ました」


 大きく安堵の息を吐くと、黒い少し大きめのコートのポケットに手を深々と突っ込み、暖かい光が溢れる窓を眺めながら話を続ける。


 「実は私、2度諦めかけていたんです、、、、

 でも強い思いがあれば実現できるという、貴重な経験をさせて頂きました。

 一度目はエマさんでした。

 最初は何も気づくこともなく、自然と終わりを向かえてしまい、みなさんのお気持ちを何も伝えることも出来ませんでした。

 ですがミルクディッパーに着く直前に試すことのできる【走馬の灯】で3分間の記憶の旅の中、大切なものと向きあってもらい、みなさんの気持ちを伝えることができました。

 結果ご協力頂いた方々や、エマさんを2度も辛い気持ちにさせてしまいましましたが、、、。

 あ、ええ、今回はたくさんの人が亡くなりましたから、感情も複雑になり理解は簡単ではなかったと思います。  

 ですが、記憶の旅の中、レオさんや、ルイーズさん達の愛情がエマさんに静かにたくさん注がれていったから、最後のところで、なんとか自分の死に正面から向き合えたのだと思います。

 

 そして2度目は、先に永遠の汽車の旅を始めていたレオさんに、エマさんの魂もミルクディッパーにお連れ出来ることを告げ、今回、命を多く救済することに尽力してくださったレオさんに、もう一枚の特別降車チケットお渡しする時でした。


 【姉さんの魂を救って頂きありがとうございます。

 ですが、例え姉さんが新しい命に生まれ変わることになったとしても、私は犠牲になった仲間達がいるのに自分だけ生まれ変わることは出来ません】


 そう言って渡したチケットをなんと破り捨ててしまったのですからほんとにびっくりしてしまいました。


 、、まぁそう簡単に受け取ってくれるとも思いませんでしたが、まさか、その場で破られちゃうなんて、、、あの固い意思をもった表情を見ると正直みなさんの願いに添わせることは出来ないかもって考えちゃいました」


 言いながら左のポケットからひどく壊れた古い銃を取り出した。


 「そうです、お父様の銃です。チケットを破り捨てたあと、下を向いて座っているレオさんの足元にどこからか投げ込まれてきたんですよ」


 銃を見ながら微笑む。


 「アレクさんはこれを拾い上げるとしげしげと見つめ、グリップの裏面を見た時、両手で銃を包んで涙をこぼしました。

 そこにはひどくかすれた文字で、


《je t'aime toujours E & L -エマとレオのこと、いつも愛しているよ-》


 と刻印されていました」


 レオさんは涙を流したまま立ち上がると、辺りを見回しましたが探している人物を見つけることは出来なく、やがて静かに座り直し、私にこう言ったんです。


 「琥珀さん、そうだったんですね。僕は自分がみんなを引っ張って頑張ってきたと思ってました。でも、みんなに。

 そして父にも見守られて来たんですね。

 そうか、、終わってないんですね、これからが父と母との約束なんですね」


 そう言うと床に散らかったチケットを大事そうにかき集め、出口に向かってまっすぐ歩いて行きました。


 「あ、いえいえ私の力なんて大したことはないのですよ。

 結局最後まで皆様のお力に頼りきりだったのですから。

 そして今回は私にとっても、特別な思い出となることばかりでした。

 これほど多くの方と長い間接することなんて今まで無かったことですし、多くの心に寄り添い、救っていただく、ほんとに良い経験をしました。

 それがなければ昔にした約束なんて全く果たせませんでしたよ」


 風になびき、小さく無数に生えた葉達がさわさわと音を立てる。


 「あ、あの時の事ですか?いえ、あれは私の失敗です」


 葉音に話しかける。


 「ほんとは生者に関与することは違法なのに、大好きなレオちゃんが目の前で鍋をひっくり返して頭から熱鍋を被ってしまうかと思うと、黙って見過ごせなくて、気がつくと手を出していました。

 、、、でも結局、エマさんに大火傷をさせてしまいましたけど」


 【サラサラサラッ】


 「そうですね。みなさんの考えでしたらそうなのですが、立場上、私から触れることも、さらに未来を変えるなんて絶対にだめなのです。


 だから「手を出してレオを少しでも止めてくれたから大怪我にならなくてすんだのよ、ありがとう」と慰めてくれたエマさんの優しさと、ローズ様の最後の言葉に、今まで死と向き合う中で、苦痛に感じてきたカタルシスや、そこにある生あるものとの隔たりがあるがゆえのジレンマから少し解放された気がしました」


 「ふふっ。そうですか?私はあの最後の日の事は昨日のように憶えてますよ、この数千年の中でも特に特別な日です」


 暖かい光のこぼれる家をみながら思い返す。


 【人を思いやるって凄いことよ、ほんとの家族でもなかなか出来ないこと。

 あなたの失敗だったと言う行動によって、小さな2人の心にほんとの愛と他の人を思いやる心が生まれたの。

 これは誰もが得れることではないのよ。

 彼女たちは何十回生まれ変わるより価値のある素晴らしい物を手に入れたの。

 そしてあなたの心にもその優しさがあるのよ。

 時には辛く苦しく、うずくまりたくなる時もあるでしょう。

 でもそれを感じとれる尊い心があるからこそ、多くの心の痛みに共感し、普遍の未来をも変えることができるのですよ。

 今までもこれからも、多くの魂を救った先に、あなたの心の中にある今は見えない何かがきっと理解できる日が来ます。

 だから安心してあなたの正しいと思うことをしなさい。きっと今まで救ったもの達があなたを守ってくれていますから】


 そういって私の頭を撫でてからミルクディッパーに向けて笑顔で旅立ったローズ様。

 自分の死の不安より、子供達の事、そして私の心配までする人なんて初めてで、私自身、出会ったこともない母の暖かさを感じて、胸の中に熱いものを感じたのを憶えています、、ふふっ」

 

 「ローズ様。あなたとの最後の約束叶えましたよ。2人の魂は幸せに満ちて輝いています。 

 時が別つまで新しい家族達と共に愛のある命を紡いでいくでしょう」


 「いえ、大丈夫ですよ~。私がいなくても彼女達を強く想うお二人が側にいるのですから、だって魂ってすごく濃く、繋がっているんですよ。遥か彼方にあってもどんなに近くにいてもね」


 そう言うと手に持った銃を両手で包み込み息を吹きかける。 

 すると琥珀の手の中で風化をはじめ、長く揃った指の隙間から夕日を浴びキラキラとふたつ木に降り注いだ。


 「これは私からのプレゼントです。暖かい心の詰まった物により毎年彼女達の為にたくさんの実をつけてくれるでしょう。

 あ、これも内緒ですよ」

 

 琥珀のカラスの濡れ羽色の髪を風が優しく撫でるように揺らす。


 「さぁ、もう行きますね。

 えっ。聞こえませんか?救いを求める声が。

 助けを必要としている誰かの声が。

 私、会いに行かなきゃ」


 そう言うと胸のポケットから黒い羊皮紙を出して唇に添わせるとゆっくり手から離した。


 ゆらゆらと琥珀の影に落ちる。

 影に波紋が広がる。


 端まで行って戻ってきた波紋が波源でぶつかり、跳ね上がるとそのまま影の塊となり頭をもたげる。


 影が少しずつ形をなしてくるとそれとは逆に人の形であったものは影に溶け込みその影に代わった。


 何事もなかったように黒きものは前に手を伸ばし大きく伸びをすると前足で顔をひと拭きし、改めて少し良い匂いが立ち始めた小屋を金色の瞳でちらと見ると目尻がゆるんだように見えた。

 が、すぐに表情を固くし進むべき方角に向き直る。


 『どんなにかなたにいてもいつもそこにいるよ


 そこになくてもいつもかなたから見守っているよ


 たとえ雨でもその上には晴れの景色が広がっているよ』


 夕焼けに変わりつつある空に語りかけながら、影だった物は一匹の黒猫となり歩き始めた。


 被毛に混じり込んだ濃い藍色が体を捻るたびに波打つ。


 やがて季節がいつの間にか変わっていくようにまばたきの間に消えてしまっていた。

 

          おわり


 

 

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