幕間 テセウスの船
『大きな古時計ってあっただろ? いまはもう動かないその時計だよ』
[はい、ございますね。それがどうかしましたか?]
『歯車がひとつひとつバラバラに解体された状態からでも、現代の技術でレストアした結果、純正の部品がほとんど残らなかったら、それは大きな古時計っていえるのか?』
[もしかして、テセウスの船の話をされていますか?]
『そうじゃないんだが、古時計って名称はおかしくないかと思ってな』
[同一性は保てていますので、問題無いかと。外見から見て取れる、古時計としての面目もきちんと保たれています]
『ホントにそれでいいのかよ? なんだか適当じゃないか?』
[例えば【おじいさんの古い斧】という、本来の部分がほとんど残っていないことを意味する口語表現があります。これは、刃の部分は3回交換され、柄は4回交換されているが、同じ古い斧である。といわれています]
『交換されているのに、新しい斧ではないというのかね?』
[そうです。【おじいさんの古い斧】は、どれだけ交換されようが、【何であるか】という観点では、【おじいさんの古い斧】という本質的特徴は変わっていないため、【同じ】であるとされています]
『成程のう。本質的特徴が変わらないなら、それは同一だといえるというわけですかい』
[他には、老舗料理店などで【タレやスープを何年も継ぎ足している】ことをウリにしている店の多くは、一定の期間で中の古いタレやスープの全てが入れ替わっているとされています。ですが、つぎ足しを続けてきたタレの本質である【創業当初の味】が守られているのであれば、同一といえるのです]
『マジか! ――秘伝のタレ系の話、真面目に信じていたのに……。なんだかショックだわ』
[ですので、大きな古時計を現代の技術でレストアした結果、純正の部品がほとんど残らずとも、それは大きな古時計だといえるのです。まあ、私の手にかかれば純正な部品でなくても、精巧なレプリカとは異なる、本質から寸分の狂いもない、同等のモノをご用意致しますので、その点についても問題はございません]
『さすがプロだ。ちがうなあ……』
[もちろんです。プロですから]
『ところで、そのプロにご相談ですが、コチラはいかほどの期間を見通しておいででしょうかね?』
[――そうですね。現状を鑑みるに、四日程といったところでしょうか]
『ほう、四日程とな。コチラは一週間程と見越していましたわ』
[検証の段階では、これ以上の期間は難しいでしょう。それにしても、私であれば同等のモノをご用意出来るというのに、些細なことに執着していますね。なぜ、わざわざ修復を選択なされるのです?]
『私にとってのエゴのようなものさ。こればかりは譲れんなあ』
[別に構いませんが、長い年月を経た道具や器物は、付喪神としての特質を獲得すると信じられています。小事に拘わりて大事を忘るな、なんでことにならないといいですね]
『オカルトの類はもう間に合っているんだ! もうこれ以上は御免被りたいね!』




