02ー3 笑顔の仮面
○月31日 (休日・午前10時)
空木市は、高層ビルが立ち並び、学校、駅、商店街などが連なる地方都市である。交通の利便性も相俟って急速発展を遂げつつある。今まさに勢いのある街といえるであろう。
自宅のあるマンションは、そんな市の中心より少し外れた場所に建てられていたりする。何故、市の中心に住まないのかと言えば、単純に金銭問題である。そこら辺は察してほしい。
✕印が付いた目的地である路地裏は、空木市の中心にある繁華街の近辺を指していた。
歩いて向かうには多少の時間は取ってしまうが、これぐらいであれば、日頃の生活で何度も行き交う場所である為、培った足腰が悲鳴を上げる程ではないであろう。
『確認しておきたいことがあるのだが、いいかね?』
道中も一応の為にと、通話機能を繋ぎっぱなしにしていたので、れもんさんの声がスマートフォンから聞こえてきた。
胸ポケットにしまっていたスマートフォンを取り出し、応答する為、通話するように右手で耳元に当てがいつつ歩みを進める。
「はい。何でしょうか?」
『相棒が、終わらない一日をずっと繰り返していると言った主旨だが、具体的に繰り返すにあたっての条件みたいなものはあったりするのかね?』
「条件ですか? 今までの経験で言えるのは、時間経過での強制的なものですかね。どれだけ抗おうとしても、○月31日の23時59分を過ぎると、意識の回路を切断されたみたいに、ぷつんと意識を失ってしまいました」
『で、目を覚ますと。31日の自宅のベッドにリスポーンってな訳だな』
「はい。そういうことになります」
『ふむふむ、経験から言えるのは時間経過だけだと――成程のう』
れもんさんの、含みのある返答が妙に気になった。
『つまり――相棒が死んだ時にリスポーンするかどうかは、まだ分からないってことだな』
「――えっ?」
れもんさんに指摘され、戸惑った思考は、歩みを止めさせてしまっていた。
今までに考えなかったわけではなかった。
何度も繰り返されるこの異変が日常に変わり、自暴自棄になってしまったことだって何度もあった。
だが、どうしても、死という選択肢だけは選べなかった。
未だかつて経験したことのないものに恐怖を感じるのはごく自然なことだろう。
死んだらそれでお終いという。そんな通説は誰しもが知る常識であり、疑うことのない真実である。
だからこそ、今までその選択肢を自ずと避けていたのかもしれない。
――しかし、それは結局のところ、常識の中での話なのだ。
『――ああ、驚かせてしまったのであれば謝罪しよう。すまなかった。ちょっとした好奇心みたいなものだったのだが、出過ぎた発言だったらしいな』
「……いえ。そんなことは、ないかと思います。ただ、その場面を想像したら、……少し動揺してしまいました」
今も、こうして終わらない一日をずっと繰り返していること自体が、いわば非常識の範疇である。であれば、死んだとしても、それでお終いとなるのであろうか?
――死の概念は、果たして存在しているのだろうか?
そんな、想像で解決など出来やしない問題を胸に抱えながら、歩みは目的地である路地裏の前に到着したのであった。
──────
○月31日 (休日・午前10時30分)
路地裏を作り出していたのは、路地を挟むようにして立ち並ぶ背の高い建造物であり、昼間だというのに一面に薄い影を作り出していた。人通りは見る限り全く無く、何かが起こったとしても目撃者が出ることはまずなさそうである。正に密かに事を運ばせるには適した場所といえるであろう。
「目的地である路地裏に着きました。今のところ、目星の人物は見当たりませんね」
『こちらは相手の情報が全く無い状況下にある。性別も分からなければ、単独なのか、複数なのかすら知り得ない。とにかく現場を確認しつつ、常に備えて相手の出方を伺うしかあるまい』
「分かりました。これから路地裏の中に入ります」
路地裏を進んでいくと、奥に進むにつれて入り組んだ道が増えてくる。道の先には曲がり角が増えてきて、前方を遠くまで見通せるような、視界の良さは失われつつあった。
曲がり角を曲がる際には、覗き込むように慎重に進んでいったが、これといった問題は特に訪れず、眼前には路地裏の終わりを迎えるであろう、開けた街の歩道が見えてきた。
取り越し苦労に終わったのだと、来た道を振り返り、張り詰めた緊張がほんの少し緩んだ瞬間の事であった。
『相棒ッ!! 後ろだ!!』
割れんばかりの大声に、体が一瞬ビクッと強張ったが、声に従い振り向くと、人物らしきモノがこちらに向かって駆け向かってきていた。
フードを深く被った様子からは相手の顔を識別することは難しく、動転する思考はかろうじて、自分の体を動かすことで精一杯であった。
その距離、僅か10メートル程の出来事である。
どう考えても、穏やかに事が済む状況などではない。
突如として起こった場面に、心臓が跳ね上がる。
相手の袖先から覗かせる、金属類の放つ鋭い切先が、こちらに向かって突き出されるのを確認し、寸前で飛び込むように、全身を右に大きく投げ出して回避した。
「ヤバい! ヤバい! ヤバい!」
もしも声がなかったら、今頃はどうなっていただろうか?
そう思うと、極度の恐怖からゾッとした。
だが、その恐怖は目の前に立つ絶望によって塗り替えられた。
相手はこちらが回避することも、全身を右に大きく投げ出すことも知っていたかのように、目の前に立っていたのだ。
「嘘だろ――どう、して……」
投げ出した体勢を立て直した頃には、相手の持つ金属類の放つ鋭い切先が、僕の喉元を一文字に通り抜けていった。
瞬間、首元に鋭い痛みが走る。触ると手には真っ赤な血液が付着しており、自分の首を切られたことに、ようやく気が付いた。
「がはっ!」
(――マズイ、喉がっ!)
傷口のひりつく熱さにパニックを起こし、思わず声を上げようとした。
だが、言葉を喋ろうとすると、出血した血液が気管に流れ込み、ゴボゴボとまるで溺水したように泡を立てるだけであり、外呼吸も満足に出来ずにいた。
(――駄目だ! このままじゃ、やられるっ!)
相手は、抵抗する僕の体を抑え込もうと、マウントポジションを取るように馬乗りになると。もう一度、僕の喉元めがけてその切先を深く振り落とした。
その時、一瞬だけ覗かせた口角がきりりと上がった、笑顔の仮面を貼り付けたような表情が、喉元に落ちるまで脳裏に焼きついて離れなかった。




