本物の大悪党
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薄暗くじめじめとした隠し通路を、タウンゼット公爵は這々の体で歩いていた。
したたかに打ち付けた体はあちこちが痛く、ようやく血が止まったばかりの鼻はじくじくとひどい痛みを訴えている。
帰ったら急いで医者に見せねばと思いながら、タウンゼット公爵は憎きディランの顔を思い出し、歯軋りをした。
(あの汚い小僧が……!)
下賎な血を引くあの男が、まさか国王を捕らえるとは誤算だった。
(……しかし。まだ慌てる必要はない)
自分は、証拠隠滅が得意だ。裁判を担当する者たちも殆ど自分の息がかかっている。自分が犯罪に関わっている証拠は綺麗に消してきた。
ディランは証拠を用意していると言っていたようだが、そんなのはハッタリに決まっている。
イグニス伯爵家やスミス子爵を前にあの場にいたのは手痛いが、そんなものは言い訳ひとつでどうにでもなる。タウンゼット公爵はそう確信をしていた。
それでも、念には念を入れてあの奴隷の血を引く王子を、今度こそ何とかして殺さねば――そうタウンゼット公爵が算段をつけていると、ようやく出口が見える。
まずは自宅に戻ろう。そう思ったタウンゼット公爵が、痛む体を堪えながら足を進めると――
「ごきげんよう、タウンゼット公爵」
場違いなほどに澄んだ、無邪気な声が聞こえてきた。
見ればまるで出口を塞ぐように二人の人影がそこにあった。目を凝らしてその人物を見ると、そこには妖艶にも少女のようにも見える、美しい女が立っていた。
その横には従僕だろう、暗い瞳をした若い青年もいる。
(あれは――どんな手を使ったのか、平民の分際で伯爵位を得たオウル女伯爵……?)
思わず眉が寄る。どんな人物なのか人柄も知らないが、その血筋からろくでもない人間であることには間違いない。
王族以外――いや、王族であっても選ばれた者しか知らないこの隠し通路に本来人がいるはずもない。タウンゼット公爵は、睨みつけて警戒した。
しかし彼女は全く動じず、ただタウンゼット公爵の全身をじろじろと見――
「まあ、痛そう!」
嬉しそうに微笑んだ。
「けれどかわいそう。手厚く手当をしてくれる生活には、もう戻れないのよ。罪人さん?」
「何をバカなことを!」
カッとなり怒鳴りつける。
この怪しい女が何をどこまで知っているのかはわからないが、国王と違って印やサインなど一切行わないタウンゼット公爵が、捕まるような証拠を残すことはけしてないのだった。
「お前が何を知っているかは知らんが証拠がこの世に無い以上、私は罪人ではない! この小娘が、お前の方こそ捕らえて――」
「証拠がない?」
タウンゼット公爵の怒声の途中で、女がぞっとするほど妖艶に笑う。気圧されてつい口をつぐむと、彼女は目を細めて笑った。
「ふふ、おかしなことを仰るのね。――証拠は作るもの。そうやって生きてきたのは閣下、あなたでしょう?」
そう言いながら、女は横にいた従僕から資料を受け取り、タウンゼット公爵に向かって投げつける。
不快ながらも宙を舞う用紙を一枚掴んでそれを眺め――タウンゼット公爵は、目を見開いた。
自分の印が押されている、奴隷の売買契約書がそこにあったのだ。サインも自分の筆跡そのものだ。
しかしどれだけ見ても、こんなものに見覚えはない。
「な、なんだこれは……!」
「上手でしょう?」
わなわなと震えるタウンゼット公爵にエリニュスは笑いながら、ゆっくりと彼に向かって歩く。
「それでもまだまだ作っている途中のものがいっぱいあるの。他にも、いろんな証拠を用意してあげる。麻薬密売の契約書や武器密売の仕入れ書も、あなたの側近や使用人や取引先なんかの証人と――ああそうそう、ろくに捜査もしない警察も、裁判をする前から判決を決めている裁判官も必要かしら」
「……⁉︎」
「驚いた? お金と権力を使ってあなたがやってきたようなこと、私がぜーんぶやってあげる」
何を一体どこまで知っているのか、この女は何者なのか。
「ふ、ふざけるな……そんなことできるわけがない! 誰が幽閉など……!」
高位貴族とはいえ、奴隷の売買は重罪だ。幽閉になってもおかしくない。
ぞっとする末路を辿る自分の想像をタウンゼット公爵は言葉で否定し、その様子を見たエリニュスは「幽閉? まさか!」となんとも無邪気で愉しげな笑顔を浮かべた。
「私が何のために貴族になったと思っているの? ふふ、とうの昔に忘れ去られた法律だけどね。この国には伯爵以上の貴族なら、罪を犯した高位貴族の後見人になれる制度があるのよ」
「な……!」
確かにその法律を、タウンゼット公爵は耳にしたことがある。
力のある高位貴族が、罪に問われるわけがない。また力のない高位貴族など――罪を犯したと認められたような 負け犬の後見人になりたい者など、そういるわけもない。
全く以て無意味な、それゆえ廃れた法律だった。
「本当だったら罪を犯して幽閉されるような間抜け、引き取りたい貴族なんているわけがないのだけれど、私は別。引き取りたいの。とっても悪い人――それも自分はなんにも怖い思いをせずに、人を虐めてのうのうとしている貴族をとことんいたぶるのが大好きだから」
目をゆっくりと細めたエリニュスが、ぞっとするほど冷たい笑みを浮かべる。
「今まで散々人の生き血を吸って贅沢をしてきたのだもの。楽に死ねるなんて贅沢くらいは、手放したっていいでしょう?」
「ふざけるな! 金で爵位を買った薄汚い女如きに、この私が……!」
「ふふ、いい声。私、活きのいい豚って大好きよ。どうぞ後からたくさん鳴いてちょうだいね」
「ぐっ……!」
エリニュスのその言葉が合図だったかとでも言うように、ノアが動く。タウンゼット公爵が身動きひとつする間もなくみぞおちを正確に捉えたその足に、タウンゼット公爵はうめき声を上げて倒れた。
「あ、寝ちゃった。……どうしようエリス。これは、裁判所に運んだ方がいい?」
「そうね。頑張って証拠も揃えたし、ここは正規の手続きを踏まなくっちゃ」
タウンゼット公爵を小脇に雑に抱えたノアを見ながら、エリニュスはにこやかに笑う。
「いたぶり甲斐ある大物は仕留められたし、とってもお金が儲かったし――ふふ、殿下のおかげで得しちゃったわね、ノア」
次回エピローグです。




