生涯敵わない人
側にいたマレ伯爵も一緒に倒れ、呻き声をあげる。タウンゼット公爵は投げ飛ばされた騎士の頭と顔をしたたかにぶつけたようで、鼻を押さえた手からは血が溢れていた。
「殿下!」
飛び込んできたジゼルを、ディランが片腕で強く抱き止める。その場にいる他の人間が皆唖然としている中、ディランはジゼルを背後に隠し、素早く剣を抜いた。
騎士達が慌てて応戦するも、その圧倒的な剣技を前に為す術もなく切り伏せられるばかりだった。
「ちっ……騎士を! もっと騎士を連れて来い!」
その様子を見た国王が、大声で叫ぶ。
「国王に剣を向ける反逆者だ! 王子といえど容赦するな、殺せ!」
「――……これは、国王陛下。一体どうしたのでしょう」
呻き声と怒号が響く空間に、涼やかな声が響く。
「……イグニス伯爵」
そこにいたのは、レジナルドだ。横にはスミス子爵もいて、呼んでもいない面々にディランも驚き目を見張る。
しかし、一番驚いているのは国王だろう。サッと顔色を変えた国王は、珍しく狼狽しているようだった。
「そちらにいらっしゃる殿下とスミス子爵からよからぬ話を聞き、臣下として一度お話をお聞きしたいと馳せ参じたのですが……」
獲物を追い詰めた猫のように獰猛な色を浮かべる目を、イグニス伯爵がゆっくりと細める。
「これは、一体どういう状態でしょうか」
◆◆◆
(ナイスタイミングです! さすがお父さま、ご自分の見せ場は間違えません……!)
ディランの背後に隠れながら、ジゼルは心の中で拍手をする。
家で資料を眺めながらディランの出自や目的に気づいたあと、ジゼルは急いでレジナルドに相談をした。
(これまで、おそらく打倒陛下を目標にしながらも慎重に慎重に動かれていた殿下が――ここにきて動かれたというのなら、きっと私の存在がきっかけのはず)
なぜなら一度目の人生では、国王は告発されずイグニス伯爵家は没落の道を辿ったからだ。一度目の人生でも同じ目的を掲げていたはずのディランが動かなかったのは、きっと国王を追い詰めるための手段が足りなかったからだろう。
(一度目の人生、最後に教会に来たのは――私を探しにきてくださったのかもしれませんね)
まだ諦めずにイグニス伯爵家の冤罪の証拠を共に集めようとしてくれたのか、それとも予知の力を確かめにきたのか。
確かめる術はないが、あの時もディランはもがいていたのだろうということが、今になってよくわかる。
(とにかく、あの時と違うのは私の存在。国王陛下を追い詰める証拠に成り得るものがあるとするなら――鋼の、大量生産)
推測する限り、国王は国益のためならどんなことでもする人だ。自国の軍事力を高める好奇を、逃さないはずがない。
城に駆けつける前、ジゼルはレジナルドに、スミス子爵の元に向かい『もし陛下から鋼を軍事に使いたいとの申し入れがあったのなら父と共に国王の元へと来てほしい』と伝言を頼んでいたのだった。
(推測が当たってよかったです……!)
胸を撫で下ろしつつ、ジゼルは国王を見据える。
その表情は非常に険しく、額には汗が滲んでいた。
「――私が聞いた話は、説明するまでもないようですね」
レジナルドはにっこりと微笑みながら、横にいるスミス子爵に視線を向ける。
「我が家の没落もお考えとの噂も小耳に挟みましたが、それは然るべき機関に調査していただきましょう。軍事兵器開発の件は、スミス子爵が証人になられると仰っています」
「ええ。殿下からお話を受けた時から、声明を出す準備を整えておりました」
スミス子爵が険しい表情で頷く。国王は現状を打破する手段を考え続けているようだったが、どれほど考えても打開策などあるわけがなく、唇をわなわなと震わせていた。
「――ということだ」
とどめを刺すようにゆっくりと、ディランが言う。
「楽しい余生を、牢の中で楽しむといい」
ディランの言葉を皮切りに、国王は騎士に捕縛された。倒れているマレ伯爵も騎士に抱えられ、タウンゼット公爵は――とジゼルが視線を辺りに走らせたとき。
「!」
ぎゅっと、大きくて温かいものに包まれる。
ディランに抱きしめられているのだと気づいたのは。一拍置いてからだった。
理解すると同時に体が熱くなり、心臓が大きな音を立てる。
「で、殿下……!」
「何を考えているんだ、あなたは」
心細げに掠れている声に、ジゼルはぴたりと動きを止める。
「俺は離れてくれと言った。近寄ってほしくないと、そう」
ぎゅう、と、ジゼルを抱く手にさらに力がこもる。その腕の強さはそのままディランの不安を表しているようで、ジゼルは一瞬逡巡したあと、そっとディランの背中に手を回した。
「――怒っていますか」
「ああ、怒っている。……目眩しの書類を送れば、少なくともあなたは今日一日は書類を眺めているだろうと思っていたのに……早々に見破られるとは。送るべきではなかったな」
(私がここにいる時点で、すべてお見通しということですね)
ジゼルがエリニュスから渡された書類からすべてを察して動き、王城に乗り込んだのだと推測したようだ。
なんて勘の良さだと内心で舌を巻きながら、ジゼルは「申し訳ありません」と謝った。
「きっと殿下は私が来なくても――いいえ、来なかったらきっと殿下はスムーズに陛下を逮捕できていましたよね」
それはわかっていた。
きっとディランに自分の手助けはいらない。わかっていても、それでも。
「けれど私は、どうしても殿下を一人にしたくなかったんです」
ジゼルの言葉に、ディランが息を呑んで腕をゆるめる。
それを機にジゼルは顔を上げて、ディランの表情をまっすぐに見上げた。
(お母さまをご自分のせいで亡くされたと思っている殿下が、陛下を断罪する)
ジゼルとて、国王が本当の意味でディランの家族であったことなど一度もなかったと理解はしている。あれを父とは呼ばないだろう。
母親が亡くなってからずっと、ディランは一人だったのだ。
それでもディランが父親に引導を渡すその瞬間は、そばにいたかった。
(それに――証拠を掴んで、殿下がお一人で処理をされた場合。その証拠がいかに正しくても、よからぬことを言う方がいるかもしれません)
今までたくさんの高位貴族の職を解いてきたディランは、貴族からの評判が悪くない。断罪は嘘だったのではないかと、疑う人もいるのかもしれなかった。
けれどその場に王家の傍流であり『誠実』を尊ぶスミス子爵家やジゼルの父であるイグニス伯爵がいるのなら、きっとディランへの疑いは減るはずだ。
(とはいえ、スミス子爵は証拠の提出にご協力いただいているようなので……本当に、今回は足を引っ張ってしまっただけなのですが……)
ジゼルがしょんぼりと肩を落とすと、ジゼルの表情から一連の思考を読み取ったらしいディランが小さく息を吐く。
「……あなたのおかげで、あの男を捕らえられたことは間違いない」
鋼の生産について言っているのだろう。ディランが、「ありがとう」と呟いた。
「しかし、俺は……」
「殿下」
また二週間前の会話が繰り返される気配がして、ジゼルが小さく首を振る。まっすぐに見上げて、あの時言えなかった言葉を言った。
「あなたが私を大切だと言って守ろうとしてくださるように。私もあなたを――あなたの心を、守りたいんです。……そう思う私の心を、守っていただけませんか」
「……!」
「二人で、お互いを守り合うのはいかがでしょうか」
美しい金色の瞳が見開かれる。その瞳から目を逸らさずにすべての気持ちを込めて、ジゼルはにっこりと笑顔を浮かべた。
「私、根気だけはあるので。殿下が頷いてくださるまで、何度だって伝えますよ」
ジゼルの言葉に、ディランが言葉を失う。呆然としている端正な顔立ちが微かに歪んで、「まいったな」と、吐息混じりの声が聞こえた。
「……俺は生涯、あなたには敵わない」
その声に滲む熱にジゼルが息を呑むと、「殿下!」と、ディランを呼ぶ騎士の声がする。その声の険しさにハッとして声のする方を見ると、そこには焦った様子をした騎士がいた。
「タウンゼット公爵閣下がいらっしゃいません!」
「!」
ジゼルの肩が跳ねる。公爵という王族の血を引く彼なら、この王城の隠し通路の場所を知っているのかもしれない。
「殿下、追わなければ……!」
「必要ない」
しかし焦るジゼルがそう言うと、ディランはきっぱりとした口調でそう言った。
視線は玉座の裏に向けられていて、今は誰もいないそこに向かって目を細める。
「あれは、エリニュスの獲物だからな」




