違和感
(――殿下に対し、違和感を覚えたことがいくつかあります)
あれは港に行った際のことだ。若き領主から女性や子どもが行方不明になることがある、外国にかどかわされたという噂もある――という話をしたときのディランは、様子が少しおかしかった。
行方不明のことを知っていてわざわざ警備隊が増員になるよう手配したというのなら、その情報は前から知っていただろうに。
(それに、殿下が話してくださった幼少時代のことです)
ディランはひどい境遇で育ったと言っていた。あれは間違いないだろう。
けれどこれまでこの国に庶民出の妃がいないわけではなかった。庶民出の王子が王位を得たこともある。
敵国ならともかく、庶民とはいえ中立国出身の女性とその人が産んだこの国の王子に、食べ物にも事欠くような待遇をすることにも違和感があった。
(――もっと、もっと何かが繋がるような……)
他に何か考えつくことは、と頭を巡らせている内に、エリニュスの顔が浮かぶ。
通常、大金を積んだだけではけして取得できない伯爵位。
愛妾にしろと言ったエリニュスに『ようやく手に入れた爵位を手放したくないのなら』と言ったディラン。
(……爵位を取り上げることができるなら、爵位を授けることは可能なはず。エリニュス様の爵位取得は、殿下が陰ながら尽力したのかもしれません)
ディランと初めて会った時、ディランはジゼルのことを調べ尽くしていた。敵の多いディランは情報を得るために、情報屋のエリニュスと懇意にしていた可能性は大いにある。
(しかし情報を――それも貴族の動向を含む情報を得るために、裏社会に精通したエリニュス様と接触し爵位を与えた、というのは考え辛い)
ただ、もしも裏社会の情報が必要だったとしたらどうだろう。
人身売買、行方不明、暗殺未遂、虐げられたディランの幼少時代。今まで聞いた話をすべて思い出し、考えて――ジゼルは、ハッと気づいた。
「――もしかして、殿下のお母さまは……」
他国で買われた、奴隷だったのではないだろうか。
それであれば、すべての現象に説明がつく。
(しかし我が国は人身売買を禁じています、外遊中に殿下のお母さまを気に入られた陛下は奴隷ということは隠し、庶民の方に一目惚れしたというストーリーにしたのかもしれません)
しかし、外遊には一部の高位貴族や官僚、使用人も伴うはずだ。彼らが元奴隷だった女性に対し持っていた強烈な侮蔑感は周りに伝播し、それでディランの母は不必要に侮られることになったのではないだろうか。
(それならタウンゼット公爵の、とても王族に対するものとは思えない夜会での態度も納得がいきます)
きっと彼はディランの母の身元を知っていたのだろう。そしてそのことに、ディランも気づいていたはずだ。
胸の痛みは抑えながら、ジゼルはディランならどうするかを考えた。
(私が殿下なら――人身売買を憎みます。その上で今、この国でそういったことが行われているというのであれば……どのような貴族が関わっていようと、掃討のため動くでしょう)
ディランがジゼルに近づいた理由もわかった。ジゼルが予知の力を持っていると推測していたディランは、ジゼルが知る未来の中でディランが人身売買の告発をしていないか、または何か事件が起きていないか、それを探るためだったのだろう。
(私は何も知らなかったわけですが――しかし、我が家は人身売買や薬物の関係で没落しました)
関わりがないとは思えない。ジゼルとディランの利害は、完全に一致していたというわけだ。
(その殿下が、『イグニス伯爵家は俺に任せろ』と仰った――マレ伯爵がこの犯罪に関わっていることも、とっくに把握していらっしゃるはず)
もう一度、資料を眺める。こういった商売は信用が第一だ。おそらくこの資料も、嘘ではない。
しかし嘘ではないけれど、本当ではないかもしれない。
前世の日本で、組長から絶対に引っかかるなよと教えられた詐欺の心得を思い出す。
『人を騙す時は、嘘をつかずに嘘をつけ。見せたくないものは巧妙に隠して、見せたいものだけを誇張して見せるんだ』
(嘘はつかずに、隠して、誇張――)
じっと眺めながら、ジゼルは思い当たる可能性に行き着いた。
(……関わっているのは、マレ伯爵だけじゃない?)
もしもそうだとしたら、ディランがこうして隠そうとする以上、相手は特定できているのだろう。
ディランがそれほどまでに警戒し、また一度目の人生で父を陥れることができた人間。
貴族社会のすべての交友関係を把握しているだろうレジナルドが、マレ伯爵との繋がりに気づくことができなかった人物。
浮かんでくる人物の姿に、ジゼルは目を見開いた。
(――ディラン殿下!)
◇◇◇
「こんにちは、急用で参りました! ディラン殿下にお目通りをお願いできますでしょうか」
急いで訪れた、王城で。
王族の衛兵にそう願い出ると、衛兵は厳しい表情で首を振った。
「ディラン殿下より、イグニス伯爵令嬢の入城許可はいただいておりません。どうぞご理解ください」
「お願いします、急用なのです!」
「しかし……」
そう言ってしつこく食い下がると、衛兵が困りきった顔をする。
申し訳ないと思いつつも背に腹は変えられない状況に、これは実力行使しかないのではとどう突破しようか考えていると、ほとほと困り果てた衛兵が「聞いてみるだけ聞いてみます」と両手を挙げた。
「ダメだと言われたらお帰りくださいね。本当に」
「善処いたします」
「絶対と言ってほしいですねえ……」
沈黙するジゼルに胡乱げな目を見つつ、衛兵が上席に確認しにいく。そのまま待つこと十数分、先ほどの衛兵が不思議そうな顔で戻ってきた。
「入城許可が降りたそうです。どうぞ、お通りください」




