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素直になれない生き物



 ◆◆◆


 イグニス伯爵家から出たディランは、とある場所へと馬車を走らせる。

 王都の中心街、その裏路地にある小さな酒場。入店して店主に合言葉を告げると、彼は黙ってディランに鍵を渡す。


 その鍵を使って奥の小部屋に入ると、そこには従僕であるノアに爪を赤く染めさせているエリニュスの姿があった。


「……まあ。こんな夜遅くに、思いもよらないお客さま。ようこそいらっしゃいました、ディラン・ルベライト第二王子殿下」


 立ち上がり軽く膝を曲げて礼をしたあと、もう一度椅子に腰掛けたエリニュスは赤く染めた爪に息を吹きかけながら「出来上がった日にやってくるだなんて。まったく、とってもいいタイミング」とぼやくように言った。


「もしかしてこちらを監視していらっしゃる? それともやっぱり心が読めるのかしら」

「いや、貴殿の能力を正しく把握しているだけだ」

「……嫌味に褒め言葉で返されると、気まずいやら嬉しいやらで複雑ですわね」


 そう肩を竦めたエリニュスがノアに視線を向けると、ノアは心得たように机の抽斗から分厚い書類を取り出した。


「お察しの通り、調査報告書はすでに用意しています。それにしてもご自分に必要のない情報に目が飛び出ちゃうような大金を払うだなんて、意味がわからなくてびっくりしちゃいましたわ。恋は盲目というやつなのかしら。酔狂すぎておへそでお茶を沸かせそう」

「エリス。相手は、王族だよ」

「大丈夫よ、ノア。殿下はこれくらいのことで怒る方じゃないと、あなたも知っているでしょう?」


 そう肩を竦めながらエリニュスは請求書を差し出して、「お支払い、よろしくお願い致します」とにこやかに笑った。


「紙切れなんて信用していませんけれど、殿下なら特別に小切手でも構いませんわ」

「それは助かる。……追加で対価を払いたい」


 エリニュスに馬車の中で記入していた小切手を差し出しながら、ディランはそう言った。


「二週間後。資料の一部を、イグニス伯爵令嬢の元へと届けてくれ」

「……あらまあ」


 ディランの言葉に、エリニュスはぱちぱちと目を瞬かせる。ディランの表情と小切手の金額とをたっぷり十五秒はしげしげと見比べながら、嫌そうな顔で肩をすくめた。


「人の前であんなにいちゃいちゃ青春を繰り広げたかと思ったらもうお別れになるなんて。あの時間の私の鳥肌は何だったのかしら。殿方って本当に嫌ね」


 そう言いつつも表情を引き締め「かしこまりました」と頭を下げる。


「お客さまからのご要望とあれば人探しでも調査でも何でも、大体のことならなんでもするのが私のモットーですもの。他ならぬ殿下のご要望ならば、情報を一つ隠すくらいは受けますわ」


 受け取った小切手を大事そうに金庫にしまい、エリニュスはノアの持つ資料を机に広げる。


「生きるか、死ぬか。最後の決戦ですものね。殿下の心残りがないように、しっかり承りますわ」



◆◆◆



「チェックメイト」

「ああ……また負けてしまいました」

「気もそぞろだね」


 負けて肩を落とすジゼルに、レジナルドが柔らかく微笑む。その目には、明確な労わりが宿っていた。

 ディランから婚約解消を申し入れられてから、二週間が経った。


 あの日の翌日には婚約解消の書面が送られてきて、以来父や兄はジゼルが心配なのか、必ずどちらかがジゼルのそばに付き添っている。


 特にエルヴィスはジゼルが婚約を解消されて喜んでいるかと思いきや、ディランに対し『あの節穴王子』などと、不敬にも程がある怒りを見せていた。


 今日は泣く泣く騎士団の演習に向かったため平和な一日を過ごせているが、隙あらば決闘を申し込むなどと息巻いていて、なだめるのが本当に大変だった。


(――ですがそれもこれも、私が心配させてしまっているせいですよね)


「婚約の解消に、まだサインしていないのだろう?」


 ジゼルの心を見透かすようにレジナルドが言う。

 その通りだった。ディランから来た婚約解消の書面に、ジゼルはまだサインをしていない。

 早くしなければと思うものの、まだペンが取れないまま、それは机の抽斗にそっとしまわれたままだった。


「……申し訳ありません。もう少し、心の整理を……」

「焦らなくていいさ。納得していないうちに事を進めるのは悪手だからね」


 チェス駒を片付けながら、穏やかな口調でレジナルドが言う。

 そうは言っても王家からきた正式な書状を無視している現状はけして良い事ではなく、ジゼルは申し訳なさに小さくなった。

 そんなジゼルを見て、レジナルドが小さく笑う。


「我が家には天下の宝刀、『王家の命令も断れる』があるんだ、気にしなくてもいい。それにずるい大人の父様は、結局殿下と何も約束をしていないからね。気兼ねいらずだ」

「約束……?」


 一体何のことだろうとジゼルが首を傾げると、レジナルドは「父様はいつでもジゼルの味方だということさ」と煙に巻いた。


「――そもそも父様は、君が好きになった男性が、大切なものを守れない男だとは思っていないからね」

「え……?」

「好きにするといい、と言ったんだよ」


 意味がわからず聞き返したジゼルを、父はまた煙に巻く。そうしてどこか胡散臭い笑みを浮かべながら、にこにこと役に立たなそうなアドバイスをした。


「男は弱い生き物だからね、迎えに行けば案外強がりがほどけて、もうジゼルを手離せないことに気づくかもしれないよ」

「てっ……!」


 まるで恋愛小説のような表現に、頬が熱くなる。動揺のあまり片付けている途中だったチェス駒をひっくり返すと、レジナルドは「ははは」と笑った。


「大丈夫。人間関係のすべてにおいて、うまくいく関係はうまくいく」

「お父さま、そんな……当たり前のことをさも名言かのように……」


 呆れてじろりと目を向けると、レジナルドが「はは」と笑う。手早くチェスをすべて片付けたかと思うと、「さて」と席を立った。

 ジゼルの頭を、優しく撫でる。


「お前が私たちを思い、日常を願ってくれる限り。父様だって君たちの日常が永遠に続くことを願っているんだ」

「……はい」


 先ほどから随分と意味深な言葉だが、父がジゼルのことを思っているのはよくわかった。

 だから素直にそう返事をする。するとレジナルドは安心したように「何かあったら父様に頼りなさい」と笑った。




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