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12年前-2

流血表現があります。ご注意ください。



「……先生。これは?」


 家庭教師がディランに差し出したそれを見て、ディランが問う。

 差し出されているのは、見慣れない形をした菓子だった。


「君は、非常に優秀ですからね」


 まるで贈り物のように差し出されたそれに戸惑っていると、教師は表情を変えずに淡々と言った。


「これはその優秀さに対する、対価です」


 最近ディランに対し『もう教えることはない』『その優秀さをあまりひけらかさない方がいい』などと冷たい口調で言っていた教師が、そんなことを言う。

 一体どういう風の吹き回しなのだろうかと思っていると、教師はかけていた眼鏡を指先で直しながら、どこか弁解じみた説明をした。


「これはあなたのお母上の、祖国の菓子です」

「……!」

「城下にその国出身の者が経営している菓子店がありましてね。以前は、社交界でも流行っていた菓子店だったのですよ」


 ディランと目を合わせないまま、家庭教師は息を吐き早く受け取りなさいと急かす。差し出された甘味に戸惑っていたディランは、それを恭しく受け取った。


「……ありがとうございます!」


 ふだん表情を動かす余力はないディランだが、この時ばかりは笑みが出た。

 ディランと母の食事に、甘味はほとんど出ない。用意されるのは新年の祝いや、大きな宗教行事などの罪人でも配られるような節目のみだった。


 そもそも用意される食事自体、到底満足できる量でもなかった。おそらくは王子であるディラン一人分のものだけが用意されているのだろう。

 それでも他の王族はこういったものを食べていないだろうというような、粗末なものではあったけれど。

 そんな中で渡された菓子は、ディランの心をぽっと温かくさせた。


(お菓子。それも、母上の国の……)


 最近前にもまして嫌がらせが増え、母はより一層塞ぎ込むことが増えた。

 国王が一目で気に入ったというほど美しい容姿はすっかり痩せ細って、萎れた花を想起させる。日に日に増していくその窶れようは、ディランの心を不安で暗くしていた。


 家庭教師に頭を下げ、母の元へと向かう。

 いつもより軽い足取りで母の待つ部屋へと向かうと、母は窓の外を虚ろな目で眺めていた。


「母上。今日、先生から貰ったんだ」


 そう声をかけて教師から貰った甘味を差し出すと、振り返った母の金色の目が驚きに見開かれる。


「俺が優秀だからって、ご褒美。俺はもう勉強部屋でいただいてきたから、あとは母上がどうぞ」


 本当は自分も食べたかった。いつだってお腹は空いている。


(だけど、これは母上に渡すべきものだ)


 そう思ったディランの考えは、間違っていなかったようだ。

 驚きに目を見開いていた母の目が、懐かしい思い出を振り返るようなものに変わる。


「懐かしい。……久しぶりだわ」


 そう言った母の言葉は、この国の言葉ではなかった。母の出身地である隣国の言葉で、母はもう一度「懐かしい」と呟いた。


「小さい頃、お父さんとお母さんが生きていた頃によく食べていたの……」


 金色の瞳のまなじりに何かが光り、ディランはそれに気づかないふりをする。「食べて」とねだると、母はふんわりと何かがほどけたような笑顔を浮かべて「ありがとう」と言った。

 そうして、そのお菓子を一口齧る。


「美味しい。……ディランももっと食べない?」

「ううん、俺はたくさん食べてきたから。いらない」

「……ありがとう、あなたはとっても優しい子ね」


 そう言って母は久しぶりに――いや、もしかするとディランが生まれて初めて見る、軽やかな笑顔を見せた。

 その清々しい表情に、ディランも小さく微笑む。空腹を満たす以上に心が満たされ、とても幸せな心地がした。


 自分がしてきた努力は間違いではなかったのだ。

 この時のディランは愚かにも、まだそう思っていたのだった。



 そうして、その二時間後。

 突然苦しみ出し、すぐに呼吸もままならなくなった母は最期にディランにこう言い残し、亡くなった。


「金色の瞳に生んで、ごめんなさい」


 遅れて駆けつけた医師の診断は、毒死。

 毒物が仕込まれていたのは、母が亡くなる前に食べた菓子。王城に馴染めなかった母はその立場に合わない妃の位を戴きながら、恐れ多くも自死したのだろうと判断された。


(――着るもの一つ、食べ物一つ儘ならなかった母上が毒とは)


 それを手に入れられる伝手など母にはないというのに、誰も意義は唱えなかった。

 とはいえ妃が国を嫌い自殺したとあっては外聞が悪いとされ、表向きは流行病で亡くなったと公表されている。

 それでも葬儀はとても粗末なもので、参列者もごくごく僅かなものだった。




「っ、私は君を助けようとしたのです!」


 母の葬儀の後。

 ほぼ同時にディランの家庭教師を辞した男を見つけて剣を首筋に突きつけると、その男は必死に命乞いをした。


「あなたはまだ幼く、才知に溢れている! 亡くすには惜しい命だと、私はそう考えて……!」

「――……なるほど」


 自分でも、驚くほど低い声が出た。

 その冷たい声音に目の前の男はヒッと小さく悲鳴をあげる。まだ幼いディランに対し、まるで化け物を見るかのような視線を向けるその男に、いつもの高圧的な様子はない。


「お前はこう言いたいわけか。『俺』は幼く優秀だから、殺すには忍びない。しかし俺の母は、そうではないから惜しくなかった、と」

「……! そ、それは……」

「母の祖国の菓子を用意したら俺が母に分け与えると、そう予想していたと。大した慧眼だ」


 淡々と話しているうちに、剣を握る手に力が入る。握りしめた柄がギリギリと音を立てて震え、剣先が僅かに男の首に食い込んだ。


「……!」

「それで。誰の差金だ?」


 首から小さくこぼれた血が剣を伝う。何の感情もなく震えている男の目を見据えると、男は口をわななかせたあと、叫ぶように答えた。


「っ、ギュンター子爵です……!」

「……」


 その名前は聞いたことがある。タウンゼット公爵と懇意に……などと言えば聞こえがいいが、金魚の糞よろしくいつもタウンゼット公爵の後ろを付き添っていた男だった。

 タウンゼット公爵の虎の意を借り、母をいじめていた筆頭の男でもある。


「っ、わかったでしょう、私は命令されただけなのだと……! 蔑まれる妃とはいえ、王城で暗殺があったとなっては警備や監視は厳しくなる、あなたのためです」


 そう言った男が震えながら叫ぶ。青ざめたその表情には『なぜ自分がこんなことに』という色が滲んでいて、その目は明確に『自分は被害者だ』と訴えていた。


「それに、私は何度もあなたに忠告を申し上げたはずです!」


 男の叫びに、ディランの剣を握る手からほんの微かに力が抜けて、剣先が男の首からわずかに離れた。


「あなたは出自が悪すぎる、もう学ぶ必要はない、優秀さをひけらかすなと! 自分の立場も弁えずに第一王子より優秀な成績を残したあなたが悪いので……ヒッ!」


 握りしめていた剣を、男の首の真横に突き刺す。剣は男の首の薄皮一枚を傷つけ、壁に当たった刃先は嫌な音を立てた。


「ヒッ……!」


 恐怖に顔を引き攣らせ、男が足をもつれさせながらも走っていく。その足音を聞きながら、ディランは刃こぼれをした剣を暗い瞳で見つめた。

 先ほど投げつけられた言葉が、妙な実感を伴ってディランの頭に響き渡る。


『私は何度もあなたに忠告を申し上げたはずです!』

『あなたは出自が悪すぎる、もう学ぶ必要はない、優秀さをひけらかすなと! 自分の立場も弁えずに第一王子より優秀な成績を残したあなたが悪い』


「……俺が」


(殺した)


 小さく呟いた言葉は、それ以上は声にはならなかった。

 けれどもそれは強く克明に、何年経ってもディランの心の中に刻み込まれている。


 逃げた男はギュンター子爵から窃盗を働いたと被害を訴えられ、投獄。その後獄中死した。

 二年後、ディランはその事件を調べ上げて冤罪の証拠を掴みギュンター子爵を告発した。


 こういった人間は不正が山ほどある。

 コツコツと調べあげたほかの証拠と合わせてギュンター子爵を追い詰めると、彼は大勢の面前でディランを怒鳴りつけ、隠し持っていた刃物で襲い掛かった。


「下賎な人間が……!」


 即座に剣を抜き、ギュンター子爵を切り捨てる。悲鳴が響き渡り、その場は混沌と貸した。

 生温い不快な返り血を浴びたディランは、冷めた目で動かなくなったギュンター子爵を見る。


(……殺しても、何も感じないな)


 復讐が達成できた喜びも、達成感も何もない。あるのは胸に広がる虚しさと、そして一番引き摺り落とさなければならない男が残っているという、復讐心だけだった。

 きっと今のディランを見たら、母は天国で泣くだろう。


(母が心を痛めるような、綺麗な人間は貴族社会には存在しないというのに)


 それは、自分も含めてだ。

 剣に映るのは、血に塗れた己の姿。まるで憎しみ以外の感情がないかのように無表情で、その瞳は冴え冴えとしていた。

 この日から、ディランは誰かのために努力することをやめた。

 努力するのは、ただ一つ。


(――母上が亡くなる元凶となったあの男を、必ず地獄に突き落とす)


 そう誓ったこの日から、ディランは自分が憎む彼らと同じ、汚い人種になった。






次は現代に戻ります。

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