一度目の人生-2
父が捕縛されてから、一月が経った日のこと。
「父上の処刑が決まった」
今日も早朝から出かけていたエルヴィスが珍しく昼下がりに帰宅したかと思うと、彼は厳しい表情でそう言った。
堂々と振る舞ってはいるが、その顔には疲れが滲んでいる。今まで一度たりとも憔悴をみせたことのない兄の様子に、ジゼルは信じられない気持ちで口を開いた。
「判決が早すぎます」
「領地の長からの嘆願、それを裏付ける不正が記された帳簿。隣国との違法なやりとりが記されている文書に、長年我が伯爵家に仕えていた従者の証言まで出てきた。――ぐうの音も出ないほどに完璧な証拠ばかりを突きつけられては、弁護の仕様もない」
「ですが、お父さまがそんなことをするはずがありません」
ジゼルはきっぱりと断言した。
父にかけられた嫌疑はいくつかある。そのどれもが重罪で、領地から不正な税を徴収した他、外交官という立場を悪用して隣国から違法薬物を輸入した疑いや、果ては人身売買に関与したというものだった。
貴族社会は、清廉潔白だけでは生きていけない。
ずば抜けた社交力を持つレジナルドも例外ではなく、清濁あわせ呑む人物だということを、ジゼルとて知っている。
(それに加えて、やや女性関係にだらしないという最悪な倫理観も持ってはいますが……)
しかし一方でこの国とこのイグニス家を誇りに思う矜持ある貴族であることも、ジゼルはよく知っていた。
何よりそんな感情論を抜きにしても、違法薬物や人身売買は、得られる利益に対して圧倒的にリスクが大きい。
そのような博打を、慎重なレジナルドが行うわけがなかった。
「俺もそう思う」
ジゼルの言葉に、エルヴィスも苦々しい表情で頷く。
「――しかし確実な証拠がある以上、父上の無実を立証する手立てがない」
「そんな……!」
「父上は有罪となった。我が家も取り潰しは免れたが、主要な領地は全て没収。没収された土地はマレ伯爵家の領地となる。そして我が家は今後、王家からの命を断れない。それがどんなものであってもな。……実質、王家の子飼いとなる」
「……」
「今後は断れない政略結婚の話なども、出てくるだろう」
世代が代わるたび功績を打ち立ててきたイグニス伯爵家は、王家から報奨として提案された高い爵位も天文学的な金銭も含め、報奨の類を受け取ったことはない。
その代わりにイグニス伯爵家は、王家からのどんな要求も、当主の判断で退けられる恒久的な特権を授けられていた。
(しかし、それがなくなるということは……)
「――とはいえ、安心しろ。ジゼル」
にっと笑みを浮かべたエルヴィスが、ジゼルの頭を優しく撫でる。いつも容赦無くわしゃわしゃと撫でる手つきが、今日は遠慮がちな、いたわるような強さだった。
「優秀なこの兄が、お前だけは守ってやる」
そう言いながら、エルヴィスが席を立つ。
きっと今日も、遅くまで奔走するはずだ。おそらく今日はジゼルが他の者からレジナルドの判決を聞かぬように、無理をして帰ってきたのだろう。
「お兄さま……」
「なんだ、そんな顔をして。抱きついて『お兄さま大好き!』と言ってくれて構わんぞ」
冗談めかして笑ったあと、エルヴィスが片手を上げ素早く出ていく。
窓からその背を見送りながら、ジゼルは何かを決意するかのように拳をぎゅっと握った。
◇◇◇
兄を見送ったその足で訪れた大聖堂は、とろりとした橙色の西日に照らされていた。
いつもは熱心な信徒で賑わっている大聖堂だが、この時間帯だからか、はたまた女神様からのお導きか、礼拝に訪れている者は他に誰もいなかった。
「しばしお祈りをしたいので、一人にしていただけますでしょうか」
司祭にそう断りを入れると、幼い頃から見知った顔の司祭はいたわしげな眼差しをジゼルに向け、慇懃に頭を下げる。
「……かしこまりました。どうぞ、女神様のご加護がありますように」
「ありがとうございます」
司祭が部屋を出て行くのを見届け、ジゼルは胸元に忍び込ませた硬い感触を指先に感じながら、女神像の前まで歩く。
この国を建国したという女神を模したその像は、今日もまぶたを閉じ、清らかで優しい微かな笑みを浮かべていた。
その前に跪き、胸の前で両の手を組む。目を瞑って大きく息を吐き、静かに呼吸を整えた。
(マレ伯爵――荒い領地経営をされることで有名です)
もちろん、法に触れるようなものではない。
しかしイグニス伯爵家が持つ領地はレジナルドの管理下の元、収穫量や街の経済状況に合わせ、適正な税を徴収している。
しかしマレ伯爵は一律で税を――それも認められている上限まで税を徴収し、その他にも法に触れない程度に理由をつけ、ことあるごとに税を徴収しているそうだ。
失業率や治安も良いとは言えず、最近では他の領地に越す人間も増えている……という話を、ジゼルは聞いたことがあった。
(お父さまは領民こそ領地の力、ひいては国力になるとの信念を持っていました。……冤罪で処刑など、許すわけにはいきません)
以前領地視察に同行したとき、レジナルドに感謝を伝えていた領民の姿を思い出す。
領主の娘として、勤勉に働き笑顔を見せていたあの領民たちを苦しませるわけにはいかなかった。
閉じていた目を開け、懐から短剣を取り出す。
短剣の銀色の刃が、ステンドグラスから差し込む西日に冷たくきらめいた。
(……お父さまは、私には内緒にしていたようですが)
イグニス伯爵家に生まれた者は、皆例外なく異能に近い才を持つ。
(私は例外中の例外。――ですが、これまでにもイグニス伯爵家には『才がない者』はいたのです)
イグニス伯爵家の図書室。そこで幼い頃かくれんぼをしている最中に見つけた隠し書庫で、ジゼルはイグニス伯爵家の歴史書を発見したのだった。
(イグニス伯爵家に生まれた『才がない者』は、女神様からの祝福を授かった者。死を対価に時を戻し、偉大な知識、大きな力を手にするのだと)
手に入る力は、千差万別。どんな力を手に入れられるのかは、自分の能力、選択次第になるのだそうだ。
(能力、選択。それが果たして、何を意味するのかはわかりません)
それが本当かどうかさえもわからない。ただの伝承、眉唾物、創作である可能性は大いにある。
いや、その可能性の方が大きいだろう。
(しかし今の私には、その可能性に賭ける他ありません)
このままではレジナルドは処刑され、領民は貧困にあえぎ、兄はジゼルを守るために何かを犠牲にするだろう。
このまま何もせず、何もできずに指をくわえて見ていることだけはしたくなかった。
(たとえ砂一粒ほどの可能性でも縋るものがあるのなら、私はそれに賭けたい)
女神像をまっすぐに見つめ、静かに口を開く。
「女神様にお願い申し上げます。どうかこの現状を切り拓くお導きをお示しください」
握りしめた短剣で、躊躇いなく心臓を突く。
先に感じたのは痛みではなく熱だった。
熱いと思った瞬間に広がる痛みに震える前に、胸から短剣を引き抜く。確実な死を迎えるためには、出血することも必要だ。
刺した心臓から、血とともに力が抜ける。
そのままぐらりと倒れた瞬間に、誰も来ないはずの礼拝堂の扉が開いた。
(司祭さまでしょうか……)
このような姿を目にして大層驚いているだろう、申し訳ない……と、謝罪の気持ちをっこめてなんとか顔を扉の方に向けると、そこにいたのは、非常に美しい男性だった。
「……」
倒れたジゼルを見て一瞬立ち止まった様子の彼が、ジゼルに向かって歩き出す。
(こんなに美しい方を、初めて見ました)
歩くと揺れる銀色の髪が、陽を受けてきらきらと輝いた。冷ややかさを感じる切れ長の瞳は、この国では珍しい金色だ。
(金の瞳。西日に照らされて……まるで何もかもを圧倒する、朝焼けのような色です)
美しいだけではない。倒れているジゼルを無表情に見つめたままのその金の瞳には、鷹のような獰猛さと、底知れない冷徹さを感じさせた。
(銀色の髪、珍しい金色の瞳。……第二王子の、ディラン・ルベライト殿下でしょうか)
過保護の兄に守られて最低限の社交しか行ってこなかったジゼルは、これまた同じようにあまり社交界に顔を出さないこの国の第二王子のことを、噂程度にしか知らない。
(非常に有能ながら、残虐で冷酷な王子様と聞いておりましたが……)
目の前にいる彼はなるほど、凄みさえ感じる鋭い空気を纏っている。血を流すジゼルに動じる様子もない。
ジゼルの横まで来た彼が、特に感情のない瞳でジゼルを見下ろした。
(お見苦しいものを見せてしまいました)
そんな彼に視線を返し、ふんわりと微笑む。
人生最期になるかもしれない時間だ。
最期を看取ってくれたことへの感謝も込めた笑みに、ディランが驚いたように目を見張る。
驚きに見開かれた、金色の瞳。
それが、今世でジゼルが最期に見た光景だった。
そして次にジゼルが目を覚ましたとき、そこには見たこともない不思議な光景が広がっていた。
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