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12年前-1



 それは、今から十二年前ほど前のことだった。



「――母上、大丈夫?」


 王城の端にあるその部屋は、王子を産んだ妃に当てられた部屋としては日当たりが悪くて狭かった。

 その部屋で一人本を読みながら母の帰りを待っていた十二歳のディランは、予想通り早く帰ってきた母の顔を見てすべてを察した。


(……案の定、門前払いをされたのか)


 つい先日届いた、高貴な貴婦人が集まるという茶会の招待状。

 タウンゼット公爵家で開かれるその招待状を見た時から、こうなることはわかっていた。

 おそらくタウンゼット公爵家の門番は、母が差し出した招待状を見て『これは高貴な方にのみお送りする招待状だ』などと突き返したのだろう。


『隣国出身の庶民――それも、王族から寵を受けることさえおこがましい立場の女性が持つべきものではない。偽物だ』くらいのことは言われたのかもしれない。そういった類の嫌がらせを、母はいつも受けていた。


(……最低だな)


 嫌がらせをするためだけに招待状を送りつけたタウンゼット公爵――いや、貴族たちを心の中で罵りながら、しかしディランはそれを表には出さないように努める。

 何も知らない子どものように心配そうな顔をして、「母上」ともう一度名を呼んだ。


「今日も具合が悪くなって帰ってきたんでしょう。横になっていた方がいい」

「――……ありがとう、そうね。あなたの顔を見たら元気になったけれど。今日はゆっくりするわ」


 無理に笑顔を浮かべながら、母はディランの頭を撫でた。


「着替えるわ」


 そう言って唯一与えられた一張羅のドレスから、粗末な部屋着に着替えを始めた。

 本来であれば、こういったドレスの着替えは侍女が手伝うものだ。しかし王子を産んだが故に仕方なく妃の称号を与えられた母には、侍女の一人もつけられていない。


 いや、正確にはつけられているものの、その侍女たちは皆母を仕えるべき主人だと認めずに、他の仕事を行っていた。

 そして、それを咎める者は誰もいない。


 そのため母やディランは大抵の身の回りの世話をすべて一人で、あるいは二人で協力して行っている。


「母上、紅茶を淹れようか」

「ありがとう、ディラン」


 着替え終えた母にそう言うと、母はぎこちなく目や唇を笑みの形に歪ませた。

 母の目は、ディランによく似た金色の瞳をしている。

 光や明るさによって朝焼けのようにも蜂蜜のようにも、それらよりもっと清廉な色にも見える母の瞳が、ディランはとても好きだった。


 ――けれどディランを見るその目に滲むのは、いつだって濁った哀れみの色だ。


「どうぞ、母上」


 丁寧に淹れた紅茶を、母に差し出す。すると母は美しい顔をほんの少しだけ和らげて、「ありがとう」とディランに礼を言った。


「あなたは、なんでもできるのね」

「うん」


 母の褒め言葉に、ディランは頷く。


「俺は優秀だって、教師も言っていた」


 出自により社交界から疎まれているディランでも、王子ということで最低限の教育は受けさせられている。


(兄上――第一王子とは、比べ物にもならないみたいだが)


 それでも与えられているこの最低の環境から、常に最大限のものを奪い取ってやろうとディランは心に決めている。

 幸い、自分は地頭が良い方だ。

 その地頭を最大限のものにするために、ディランは必死で勉強をした。


 ディランを教える家庭教師は当初、疎まれ者の王子を教えることに不承不承といった様子だった。

 高圧的でいかにもやる気はなかったが、授業を重ねるにつれディランの熱意と聡明さに徐々に本気を出し、勉強だけはそれなりに教えてくれるようになった。

 しかしディランが結果を出すたびに、言われるのは『勿体ない』という言葉だった。


『勿体ない。――あなたと第一王子との出自が逆でしたら、あなたは間違いなく傑物になれたでしょうに。お母上がただの平民ならともかく……出自が、あまりにも悪すぎる』


(馬鹿なことを)


 哀れむように言われたその言葉を反芻し、ディランは心の底でそう反論した。


(俺は、俺に生まれてよかったんだ)


 疎まれ者の母から生まれた自分が努力をし功績を残せば、利益と才覚を重んじる国王の目に留まるかもしれない。

王座に対して興味はないが、もし自分がその座を手にしたら母は国母だ。


 国母となった母を、面と向かって侮る者はさすがにいないだろう。こういった嫌がらせは消え、母の心労は少なくなるはずだ。

 だからこそディランは努力をし、この国の玉座に座す人間になると決めていた。


(母上が、誰にも侮られることのないように)


 しかしそんなことは母には言えない。

 母は幼い息子に侮られている現状を――たとえ察しているだろうと気づいていても、本当は知られたくはないはずだ。


 ましてや心配されていると知ったら、母がさらに胸を痛めてしまうだろうということは、幼いディランにもわかる。

 どんなに心を疲弊させていても母は親としての誇りを持つ人間だと、ディランはよく知っていた。

 だからディランは何も気づかないふりをして、それでも母の希望になれるようなことを口にする。


「俺はいい王様になりたいんだ。このまま頑張ったら、きっとなれると思う」

「……そうなの」


 ディランの言葉に母は儚く微笑みを浮かべ――ふっと、瞳に影を落とした。


(ああ、まただ)


 母の瞳の影に、ディランは自分がまた何か失敗したことを悟った。


「――ごめんね」


 母がディランの頬に手を伸ばし、その瞳を見つめる。

 その目に宿っているのは、罪悪感と哀れみだ。


「……あなたの瞳が、金色じゃなかったらよかったのに」


 母は、自分の目の色が好きじゃないようだった。他国の血を引く証は、ここではそのまま蔑みの象徴になる。

 とても悲しそうな顔をしている母に、『俺はこの目が好きだよ』と言ったら母は余計に悲しむだろう。


 そう悟っているディランはただ沈黙して、母に気づかれないように拳をきゅっと握る。

 いつか、絶対に母に影のない幸せな日々を過ごしてもらうのだと、心に決めて。


 ――そんな甘ったれた考えがすべてを壊したのだと気づいたのは、それから数ヶ月のことだった。





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