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紅茶



 そう言ったかと思うと、用意していた茶葉やお湯を使って、慣れた手つきで紅茶を淹れていく。

 自分で紅茶を淹れる王子などこれまで聞いたことがなく、ジゼルは目をぱちぱちと瞬かせた。


「紅茶まで淹れられるのですか?」

「いつも自分で淹れる。毒など警戒する必要がないからな。さすがに水や茶葉に仕込まれていたら面倒だが」


 淡々と言うその言葉から、これまで幾度となくそういったことを仕掛けられてきたのだろうということが読み取れた。


(安心して、飲み物や食べ物を摂れない環境……)


 以前ディランが自身を、毒に身を慣らしている王族の中でも特に毒物への耐性が強いと評していたが、そういった経験からくるものなのかもしれない。


「できたぞ」


 そう言ってディランが、ソファの前のテーブルに紅茶を置く。二人並んでソファに座り、ジゼルは香り高いその紅茶に口をつけた。


「わあ……! 美味しいです」

「そうか」


 大袈裟ではなく本当に美味しいその紅茶に、一体この人にはできないことがないのだろうかと再びジゼルは思う。


「ふふ、殿下のお茶を飲めるのはこの世界で私一人ではありませんか? 婚約者役の役得ですね」

「――……」


 ジゼルが機嫌良くそう言うと、ディランがほんの少し沈黙したあと、目を伏せる。


「……そうだな。今、俺が紅茶を淹れるとしたら、世界で唯一あなただけだろう」


 今、という言葉にアクセントが置かれる。

 言外に過去は違ったということが匂わせられていて、ジゼルはぱちぱちと目を瞬かせた。


(――……殿下が手ずから紅茶を淹れるとしたら、そのお相手は……)


「お母さまに淹れて差し上げていたのですか?」

「ああ」


 ジゼルの予想通りにディランが頷く。


(……殿下は以前、子どもの頃はお母さまのご身分が低かったために食べ物にどうこう言えるような環境になかった、と仰っていました)


 王子でありながら食べ物にさえも気を遣わざるを得ない生活の中で、きっと使用人はいないも同然か――いても、信頼できる人物でなかったはずだ。

 以前馬車を操縦していた御者に裏切られて暗殺しかけられた時も、ディランは何の感情もない慣れた様子で「よく持った方だ」と言っていたのだから。


 当時から暗殺を仕掛けられていたかどうかはわからないし、聞くのも躊躇われる。けれど少なくとも母子二人で寄り添って生きていたのであろうことは、想像に難くない。

 そんな日々の中で幼いディランは、母親のためにお茶を淹れてあげたのだろう。


(しかしそのお母さまは、もう……)


「わっ」


 目を伏せて考えるジゼルの頭が、ぎこちなく撫でられる。驚いてディランを見上げると、彼は無表情のまま、慣れない手つきで手を動かしていた。


「で、殿下……?」

「あなたがそんな顔をする必要はない」


 そう言いながら、手は止めずにジゼルの頭を撫で続ける。そんなディランをじっと見つめて、ジゼルは戸惑いつつ尋ねた。


「……まさか、私を元気づけようとしてくれているのですか?」

「…………まあ」


 頷いたディランが手を離す。

 ジゼルから目を逸らすその表情はどこかバツが悪そうで、言い訳するように口を開いた。


「……あなたもさっき、俺を元気づけようとそうしてくれただろう」

「あ……」

「同じように撫でたら、あなたも落ち着くのかと思っただけだ」


(さっきの……)


「……ありがとうございます」


 襲撃に遭う前の丘で、ジゼルの肩に首を乗せたディランの頭を撫でたことを真似てくれたのだろう。

 照れ臭くなりはにかみながらそう言うと、ディランは虚を衝かれたような顔をして困ったように微笑した。

 そのまましばらく沈黙が流れ、ジゼルが小さく口を開く。


「……お母さまは、紅茶がお好きだったのですか?」


(きっと殿下は、お話したくないことを思わせるようなことは言わないはず)


 おそらくディランは、母との思い出があることにジゼルが気づくだろうと察しながら言ったはずだ。


(聞いてもいい。――いえ、もしくは殿下が自ら何かお話されようとしているのかも)


 そう思ったジゼルの問いかけに、ディランが微かに目を見張る。かと思えばふっと目を和ませて、端正な顔立ちに儚い笑みを浮かべた。


「……そうだな。好きだった」


 ディランが、手に持ったカップに目を落とす。


「結局俺が母にできた良いことと言えば、結局茶を上手に淹れられることくらいだった」


 どこか遠くを見るような眼差しで、ディランが呟く。

 思わずジゼルが言葉を失ってしまうほど、それは暗く冷たい瞳だった。




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