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ジゼルをそばに置く理由



 イグニス伯爵家当主、レジナルド・イグニスは、謎多き人物だ。


 生粋の女好きとして名を馳せ、不埒な人物のように思われているが隙がない。

 清濁あわせ呑むしたたかさを持ち合わせているが、貴族としての矜持を持ち、責務を果たす人間であることだけはわかっている。

 そんなレジナルドが、優雅に口を開いた。


「私は社交と語学に長けているだけの人間で、あなたのような先見の明はありません。しかしあなたの目的と、ジゼルが回避したい我が家の没落が繋がっていることはわかる。ですからあなたは、ジゼルに近づいたのでしょう?」

「……」


 先ほどまで一見友好的な、穏やかな空気を纏っていたレジナルドが目を細める。

 すると場の空気は微かな緊張を孕むものに変わり、ディランはその質問の答えに沈黙で返した。


「しかしジゼルは、核心的なことは何も知らなかった。そしてジゼルは貴族としては人がよすぎるきらいがある。動いたジゼルが下手に核心を引き当て、何か想定外のことを起こしても困る。だから放っておくことは避けたかった。そうではないですか」

「……」


 沈黙で肯定する。

 実際にレジナルドの言うことは、殆どその通りだった。

 ジゼルは、貴族としては素直で、愚直なまでにひたむきすぎる。


 あのまままっすぐに探っているうちに、狡猾な相手に足元を掬われる可能性は大いにあると判断した。

 本当かどうかもわからない時戻りに命を賭ける行動力、我が身を顧みずに暴漢でさえ救おうとした正義感、ディランの言葉に怯える人々を和ませようとする優しさ。


 王城や貴族社会に蔓延る魑魅魍魎を相手にするには、彼女は清廉で強く、まっすぐすぎた。

 放置するわけにはいかないというディランの判断は、間違ってはいなかったはずだ。


 ――そう。当初は、その判断でジゼルを傍に置いたのだった。


 もちろん、それだけではない。ジゼルが知っている今後一年間の先の未来、彼女が持つ底知れない知識は非常に有益だ。

 それに婚約者という名目で自分の傍に置いていれば、自分と最終的な目的が一致するイグニス伯爵の動向を、それとなく探りやすくもなると踏んでいた。

 そんな幾つもの理由により、ディランはジゼルを婚約者に据えた。彼女はディランの想像以上に利のある人間で、役に立つ存在だった。


 ――だが。


「もうこれ以上、ジゼルを傍に置くつもりはないと言いたいのでしょう」


 ディランの心を読んだかのように、レジナルドが言う。


「あなたに出会うまでに生き急いでいた様子のジゼルを察するに、ジゼルが知る未来はあと一年もないはずです。ジゼルが知る情報やその対処法のほとんどが、すべてあなたの頭の中に入っているでしょう」

「……」

「ジゼルが危ない目に遭わないための監視の役割を、私に引き受けてほしいと仰るつもりでしょうか」

「……さすがだな」


 ディランは沈黙ではなく、自嘲めいた笑みと共に肯定する。

 今レジナルドが言ったことは、今日の襲撃の後、イグニス伯爵邸に向かう馬車の中で心に決めていたことだった。

 さきほどジゼルの兄エルヴィスが言った通り、ディランの弱みを握るためにジゼルが狙われる可能性があることは、彼女を婚約者に据えた時点で想定していた。


 しかし守れるだろうと、そう高を括っていた。

 それだけではない。自分でも醜悪さに吐き気がするほどだが、もしも多少の傷を負ったとしても、それは必要な犠牲になる。そう思っていた。


 ――あの男を、地獄に叩き落とす。


 幼い頃から心に刻み叶えるために生きてきたその目的を叶えるためには瑣末なことだと、本気でそう思っていたのだった。


「恐怖は人を竦ませます。殿下が――いえ、一人の男が決めた決断に、何か物を申す野暮はしませんが。しかし一つだけ」


 そう言いながら目を細めたレジナルドが穏やかな、しかし有無を言わせぬ圧のある微笑を浮かべた。


「婚約の解消は、殿下の口からジゼルに伝えてください。それが、あの子の内側にまで入り込んでしまった、あなたの責任です」

「……ああ」


『平穏で当たり前の日常には、もう殿下がいらっしゃいます』

『私は、自分にとって大切な人への侮辱をけして受け入れられません』

『元気になってほしいと思うくらい、殿下が大切だからです』


 これまでの短い時間でジゼルが話した言葉が、ディランの脳裏によぎる。

 誰にも入り込ませない、誰の元にも入り込まない。幼い頃からずっとそうしてきたはずの処世術は、いつの間に消えてしまっていたのだろう。

 内心で自嘲するディランに、レジナルドが時計を見て口を開いた。


「そろそろジゼルも手当や着替えが終わり、自室で殿下を待っている頃でしょう」



◆◆◆



 レジナルドとディランの会話は、ジゼルが想定していたよりも早く終わった。


「ジゼルお嬢様、殿下がお見えです」

「どうぞ」


 ノックから一拍置き、家令の声がする。予想よりずっと早い自室への訪問に胸を撫で下ろし、ジゼルは自らドアを開いてディランを部屋へと迎え入れた。

 ディランを案内してくれた家令には「ありがとう」と礼を言い、一旦下がってもらった。部屋に入ったディランに向き直り、笑顔で口を開く。


「お父さまとのお話は終わりましたか?」

「……」


(……あら?)


 ディランは、ほんの僅かに表情が変わったような気がした。


(いつも通りの無表情といえば、そうなのですが)

 どことなく、寂しそうな影がある。しかし同時にどこかほっとしているようにも見え、ジゼルは小さく首を傾げた。


「まさか、お父さまが何かひどいことを申し上げました?」


 そんなことはないだろうと思いつつ、ついついそう尋ねる。するとディランは僅かに目を見張ったあと、鼻で笑った。


「そんなわけがないだろう」


(まあ、そうですよね……)


 とはいえ今日の後半からそうだった通り、ご機嫌という様子ではなさそうだ。


「どうぞおかけください。今紅茶を……あ、侍女を呼んで淹れてもらいますね」


 ソファに座るようディランを促し、用意していたティーポットを見てそう言う。


(本当なら自分で淹れるところですが)


 ジゼルの淹れる紅茶は、なぜか美味しくない。

 温度や蒸らし時間などにいくら気を配っても、『美味しくなりそう』という兆しも見えない。


 出来上がるのは兄のエルヴィスでさえ『茶葉が悔恨の念を抱かぬよう、俺が全部飲んでやるから安心しろ』と苦しいフォローを入れざるを得ない代物だった。

 ジゼルが早速侍女を呼ぼうとすると、ディランは「必要ない」と言った。


「俺が淹れる」




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