レジナルド・イグニス
「こうなることは、俺にも予期できていた」
あれからすぐに帰宅した、イグニス伯爵邸。
その応接室で、黙ったままのレジナルドとは対照的に、エルヴィスが怒りを押し殺した低い声音で唸るように言葉を発した。
「当然ながら殿下、あなたもそのことは承知していたはず。その上で色々対処しているものなのだと、そう思っていたが――」
そう言って、ジゼルの肩に目を向ける。明るい照明の下で見るあざは紫がかった濃い色をしていて、兄のまなじりがさらにキリキリと釣り上がった。
「以前俺が申し上げた警告を、よもや冗談だと思ってたとは言ってくれるなよ」
「お兄さま!」
すぐにでも剣に手をかけそうなエルヴィスを、ジゼルが割って入る。
「殿下はすべての敵を制圧してくださいました。私が反撃しなくても、きっと助けてくださったはずです」
それに、と兄をキッと見据える。
「悪いのは殿下ではなく、こういった卑怯な手で殿下を陥れよう、追い詰めようとする相手ではありませんか。加害者ではなく被害者を責めるなんて、それでも騎士の見本となるべき団長なのですか?」
「ジ、ジゼル……」
「お兄さまの騎士道精神とはそのようなものなのですね。見下げ果てました」
「いやそんな正論を言われると頭が痛いんだが」
「頭ではなく心を痛めてください。殿下は何も悪くありません」
眉間を寄せて淡々と怒るジゼルに、エルヴィスは「わかった俺が悪かった」としぶしぶ両手を上げた。不承不承といった様子ではあるものの、ディランに顔を向け「申し訳ありませんでした」と謝る。
その謝罪を受けてディランが口を開こうとしたが、それまで黙っていたレジナルドが口を挟んだ。
「とりあえず、手当をして着替えてきたらどうかな、ジゼル」
「お父さま」
「殿下、娘を少し着替えさせても?」
「……ああ」
「だそうだ。エルヴィス、ジゼルを医師に」
「……わかりました」
有無を言わせないレジナルドの姿に、エルヴィスが言葉を飲み込んだ様子でジゼルを促す。一瞬躊躇ったものの、ジゼルも促されるまま席を立った。
(お父さまは、殿下と二人でお話がしたいようです)
どんな内容を話すか気になるものの、ジゼルに似て芯の部分はけして譲らない父に何を言っても無駄に終わることを、ジゼルは知っている。
(お父さまは殿下が悪いなどとはけして言わないでしょうし……)
「それでは、一旦失礼いたします。殿下、お父さま」
「ああ。遠出をして疲れただろう。着替えたら自室で待っておいで」
淑女の礼を執るジゼルに、レジナルドが穏やかな笑顔で応える。
ディランはこちらをちらりとも見ないまま、感情がまったく読めない表情で座っていた。
◆◆◆
「――さて、お疲れさまでした。殿下のお怪我も心配ですが、手当はやはり必要とされませんか」
「必要ない」
淡々と言い放つディランに、レジナルドは「そうですか」と穏やかに微笑んだ。
一見穏やかだが、その感情はディランには読めない。怒っているのか憐れんでいるのかはたまた何も思っていないのか、ここまで感情を悟らせない男は早々いない。
とはいえ、こうして二人きりで対峙してあらためて気づく。
元々うっすらと予想していた考えは、どうやら当たっていたらしい。
「――イグニス伯爵。あなたは、すでに気づいているのだな」
「何をでしょうか?」
おそらくその話をしたくてディランと二人きりになるよう差し向けたというのに、レジナルドは微笑みを崩さない。
「伯爵」
生馬の目を抜く貴族社会で生きてきた男の当然の社交術に、ディランは眉を顰めて首を振った。
「回りくどい会話は好みではない。端的に話そう」
「そのようですね」
レジナルドは好ましいものを見るような目をディランに向けながら苦笑する。
「とはいえ殿下も、私が一体何をどこまで察しているのか、探っているように見えます。一体、私が何に気づいているとお思いなのか……」
そう言ったレジナルドの瞳に、影が落ちる。
「娘が自ら命を絶ち、時を戻ったこと? それとも――……マレ伯爵が、当家を陥れようとしていることでしょうか」
声音はひどく穏やかで、その口調はぞっとするほど静かだった。だからこそ押し殺された感情が滲んで見えるようだった。
しかしその感情をあえて拾わず、ディランは再び口を開く。
「それに加えて、本当の敵がマレ伯爵ではないことも」
ディランの言葉に、レジナルドが淡く微笑む。
「そうですね。……しかし私はおそらく、あの子の一度目の人生で不覚を取るまでそのことに気づかなかった。または、気づいたところで何の抵抗もできなかったようです。これでも、それなりに小賢しいと自負していたのですがね」
そこまで言って言葉を区切り、その淡い微笑みが一瞬だけ消えた。
「……それなのに私は、あの子の才能を開花させてしまった」
「……」
「我がイグニス伯爵家は、その才ゆえに国を歪ませてはならないと国政に関わらないという信条があります。しかし私は貴族として生を受けた以上、民のために命を捨てる覚悟はある。きっとジゼルもそうでしょう。――しかし愛する我が子に、私は二度も死や絶望を見せたくない。その狭間で揺れて、あなたの行動を静観すべきか止めるべきか迷い――ひとまず、静観の体を取っていました」
レジナルドが、ディランに向かってまっすぐに目を向ける。
「あなたのような人にとって、ジゼルは光でしょう」
「……」
「眩しくて、仕方がないのではありませんか」
その声音は憐れむようにも、何かを懐かしがっているようにも聞こえた。




