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帰り道の襲撃



 てくてくと、馬車までの道を歩く。

 空はすでに瑠璃色に染まっていて、淡く輝く三日月が空へと昇っていた。

 ディランはいつも通りの寡黙さを保ち、いつもより少しだけ速い速度で歩いている。そんなディランに当たり障りのない会話を向けながら、ジゼルは周りに神経を張り巡らせた。


(……つけられていますね)


 ジゼルとディランの後をつけるように、複数の人物が離れて歩いている。

 足音と気配を殺し、ジゼルとディランの歩幅に合わせて歩いているところから、ジゼルたちに用が――それも、物騒な用があるのだろうと察することができた。


 おそらくはまたディランに差し向けられた刺客だろう。そう判断すると同時に、何かが風を切る音がした。


「っ、殿下!」

「問題ない」


 射抜かれた矢を、ディランが切り捨てる。人間離れした反射神経についつい二度見しながら切り捨てられた矢を見ると、矢じり部分が夜目にもかすかに変色しているのが見てとれた。

 おそらく、毒が塗られているのだろう。


 矢が切り捨てられたと同時に、刺客が動き出す気配がする。ジゼルが振り返って真正面から刺客を見据えようとするが、それより早くディランがジゼルの前に立った。


 ディランの早く美しい剣筋が、刺客をどんどんと斬り捨てていく。

ジゼルは何があってもすぐに動けるように身構えつつ、ディランが急所を外しつつも敵を無力化させていく様を、まじまじと眺めていた。


(……何か、おかしいです)


 ジゼルが、今までディランが襲われている姿を見たのは二回だ。そしてその二回とも、刺客は死闘を覚悟の上でディランに立ち向かうような、そんな覚悟と本気の殺気が感じられた。


 しかしこの刺客たちには、その殺気が感じられない。

とはいえ圧倒的な強さを見せるディランに対し投げやりという雰囲気もなく、ジゼルが訝しく思った瞬間――


「!」


 ジゼルの背後から伸びてきた手がジゼルを捉え、口を押さえた。


「痛い目を見たくなかったら一緒に来い」


 囁かれた低くて凄みのきいたその脅しに、ジゼルは今回の襲撃の意味を悟る。


(――狙いは、私?)


 今回狙われていたのはディランの命ではなく、ジゼルの身だったらしい。


(――とはいえこれは、想定の範囲内です)


 兄の剣を見慣れているジゼルの目にも、ディランの剣は圧倒的なものだとわかる。これまで幾度も差し向けられて失敗に終わった暗殺を闇雲に続けるよりも、ジゼルという弱みを攫った方がいいと判断するのは自然の流れだとも言えた。


(懸念点はお兄さまの存在でしょうが――いざというときは刺客を使い捨てと考え、依頼者まで足取りを辿れないように策略を立てたのかもしれません)


 なんて卑怯なのだろうと、ついつい眉根が寄る。


(……一体、人の命や人生をなんだと思っているのでしょう。絶対に捕らえて、然るべき処罰を受けていただかなければ――それはそれとして、えいっ!)


 ジゼルが考えを巡らせている数秒の間に、ジゼルを連れて行こうとしていた刺客のみぞおちに、勢いをつけて肘を叩き込む。

 骨を捉えた感触が響き、鈍く重い音がした。


「アガッ……!」

「申し訳ありません!」


 胸を抑えてよろめく刺客に、咄嗟に謝る。


(これは少々――いいえ、かなり痛かったはずです)


 こんなこともあろうかと、エルヴィスがジゼルに施した護身七つ道具の一つをドレスの肘部分の内側に仕込んでいた。それなりの厚さがある鉄で作られた肘当てだ。

 重量もそこそこあるため、筋力トレーニングにもなる他、こうして背後から掴まれたときに敵を無効化することもできる、とても便利な道具である。


(とはいえ、みぞおちは急所。とっても危ないので、本当に緊急事態だけの使用にしたいのですが――)


 目の前の刺客は蹲って苦悶の表情を浮かべているものの、命に別状はなさそうだ。さすが鍛えている暗殺者、よかったとほっと胸を撫で下ろしたとき――グイっと、腕を掴まれた。


「……! 殿下?」

「……」


 いつの間にか大量の刺客をすべて無効化していたディランが、眉根を寄せてジゼルに鋭い視線を向けている。

 いや、ジゼルに――というよりは、その視線はジゼルの肩に向けられていた。

 ジゼルが自身の肩に目を向けると、そこには夜目にもわかる手の痕が、くっきりと残っていた。


「ああ……少し、赤くなってしまいましたね」


 ちらりと眺め、特に気にせず答える。こんなものは怪我のうちには入らない。


(普通の貴族令嬢でしたら大事になるかもしれませんが、私はちょっぴり慣れていますからね)


 前世日本で組員たちから様々な武道を教わって生きてきたジゼルにとって、この程度のあざは見慣れたものだ。


「痛みもありませんし、すぐに治りますから大丈夫です。それよりも殿下にお怪我はございませんか?」


 あれだけの人間を相手にしたのだから、怪我をしていてもおかしくない。

 そう思ったジゼルはディランに目を向けて――その目を、ぱちぱちと瞬かせた。


「……殿下?」

「――……」


 目の前にいるディランは微かに顔を歪めて、表情を強張らせている。悪くなった顔色が夜目にもわかった。


 さっき景色を眺めていた時よりもずっと放っておけないその様子を見て、ジゼルはディランの手に手を伸ばした。

手袋越しでも、冷えていることがわかる冷たさだった。


「……ご覧の通り、私は大丈夫ですよ?」

「……」


 そう言ってもディランの顔色は優れないままだ。


「それに怪我というなら、殿下の頬こそです」


 見上げたディランの頬には、うっすらと切り傷がついている。今まででかすり傷一つ負ったことがないディランの、そんな姿を見るのは初めてだった。


 懐からハンカチを取り出して、血の滲むその場所をジゼルが優しく拭おうとすると、低く掠れた声がやんわりと、しかし明確に拒絶するようにジゼルの手を掴んだ。


「……やめてくれ」

「でも、血が」

「大丈夫だ。――残党がきても面倒だ。早く帰るぞ」


 食い下がるジゼルを、ディランが顔を背けたままにべもなく言い放つ。ジゼルの手を離さないまま、無言で歩き出したディランはまるでジゼルがこれ以上口を開くことを、恐れているようにも見えた。




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